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【SF短編小説】共感覚翻訳士レイ・カナエの沈黙 ―312の言語、100年の孤独、そして君の心拍―  作者: 霧崎薫


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第三章:拒絶する信号(VX-Null)

 データを開いた瞬間に、左のこめかみがどくんと脈打った。


 B群だ、とレイは思った。振動伝達系の言語だ。しかし次の瞬間、その判定が崩れた。脈動が続かない。1回打って、止まった。B群の言語はリズムを持つ。単発の脈動は文法として存在しない。


 舌の裏を確認する。苦味はない。A群ではない。


 視野の右端を確認する。青みはない。C群でもない。


 ではこれはなんだ。


 刹那、胸の奥に、圧力がかかった。


 レイはその感覚をすぐに分類しようとした。初見の言語体系への身体反応。緊張による横隔膜の収縮。あるいは換気システムの気圧変動。しかし圧力は分類される前に変質した。喉の奥が少し締まった。指先が冷えた。


 翻訳を開始した。


 意味野インプラントが起動する。312言語のデータベースが順番に照合を始める。A群から始まって、B群、C群、D群、混交型、変種型。レイの身体は次々に受け取り方を変えていく。各言語に合わせて感覚の窓を開ける。


 ()()()()()()


 312番目の照合が終わった。

 どの感覚も正確に反応しなかった。


 レイはインプラントにマッピングを指示した。データベースから外れた言語の場合、類似構造を探して近似マッピングを行う機能だ。解読不能であっても、構造の分類はできる。翻訳の第一段階として、まず構造を確定させる。


 インプラントが処理を始めた。


 ただ3秒後に、止まった。


 エラーメッセージは出ていない。ただ、処理が止まっている。レイはもう一度マッピングを指示した。同じように、3秒後に止まった。


 エラーではなかった。


 ()()()()()


 インプラントが「受け取り方」を探して空転する感覚を、レイは身体の奥から感じた。312通りの窓を全部開けて、全部閉じて、また開けようとしている。どれも合わない。どれも合わない。身体が解決策を探して、空転している。


 その感覚を、レイは知っていた。


 かつて一度だけ感じたことがあった。14歳ではなく。24歳でもなく。もっと前。


 葬儀の日。


 感じたことに気づいた瞬間、感覚が消えた。


 レイは記録簿を開いた。


 解読中。感情的内容:なし。


 その一行を書いてから、波形を閉じた。今日はここまでにする、と決めた。理由は書かなかった。


 帰り道、レイはエレベーターの中で、自分の左手を見た。データグローブを外した状態の手。指が長い。指先が少し白くなっていた。


 冷えていた。


 エレベーターの扉が開いた。レイは歩き始めた。



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