事故調査ファイル_死神の手⑥
本日は連休最終日の方も多いかと思いますで、二話分更新となります。
桟橋に戻った清貴たちを出迎えたのは、熱い歓喜の渦だった。
外輪船から降り立てば、すぐさま群衆に囲まれる。騎士たちが身を盾にしてなんとか道を作ろうとするも、狭い桟橋では進むこともままならない。
「教えてくれ! いったいどうやって死神を追い払ったんだ?」
水夫たちの合間を縫って顔を出したロンガが鼻息荒く問いかける。
「分かった。説明する。だがここじゃ吹きっ晒しで凍えそうだ。せめてドックまで移動しよう」
清貴の言葉にようやく群衆が動き出す。
ドックにたどり着くころにはその数はさらに増えており、近隣の商人たちまでもが集まって黒山の人だかりになっていた。
「あー、それじゃあ説明しよう」
清貴はゼノンから拡声器を受け取ると、咳払いをしてから語り始めた。
「”死神の手”と呼ばれる現象は、デッドウォーター、……すなわち密度の異なる二つの水が層になった事によって発生する内部波がその正体だ。
まず、二層の水について説明しよう。まず片方は海水だ。そしてもう一方は雪解け水だ。この季節、山から大量の雪解け水が溢れ出し、それが湾に注ぎ込まれた際に”海水”の上に”雪解け水”の層が発生する」
「待ってくれ。ここの湾じゃ一年中、川から水が流れ込んでる。なんで雪解け水の時期だけなんだ?」
手をあげたのはロンガだった。
「それは雪解け水が極めて真水に近い性質であるためだ。つまり、凍っていたものが溶けて出来た水は普段の川よりも遥かに不純物が少ない、とても綺麗な水という事だ。
対して海水は塩や様々な不純物が混ざり合っている。雪解け水と比べればドロドロしていて質量も重い。この二つは互いに混ざり合いにくい性質を持っている」
そこで清貴は集まった水夫たちの顔を見回した。
「実際に君たちの多くはソレを目撃した事がある筈だ。海を覗き込んだ時にやけに透き通って見えた事はないか?
そのさらに底に、まるで透明の壁があるように濁った水があるのを目撃した事は?
あるいは、やけに澄み渡った水の中に魚がまったく見当たらないといった事はなかったか?」
清貴の問いかけに多くの水夫たちが頷いた。
「そういや、海を覗き込んだ時にやけに深いところに魚が固まってるのを見たことがある。不思議と一匹も上にあがって来ないんだ」
「俺もあるぜ。この季節だけはやけに海の底まで見える事があるんだ。その、下の方だけ海の色が違っていた」
口々に出て来る証言に清貴は大きく頷いた。
「まさにそれだ。魚が水面に上がって来ないのは、彼らが海水の中でしか呼吸が出来ないからだ。
上部が雪解けの真水で満たされている時には、海底に留まったまま上がって来なくなってしまう」
「海水と雪解け水が混ざらないっていうのは、水と油が混ざり合わないのとおんなじか?」
水夫の問いに清貴は小さく唸った。
「厳密に言えば、水と油が混ざり合わないのは別の原理だが、……振舞いとしてはそれに近い。
状況として、水と油を想像して貰っても構わない。
さてそれじゃあ何故、二層に別れているのが問題なのか、だ。
これは、水と油で例えるならば、底にたまった油の部分が一つの物体のような動きをみせる事によって起こるエネルギーの過剰消費だ。
大量の荷を積んだ吃水の深い商船は、スクリューが二層の下部に入り込むことになる。
この場所でスクリューを回した場合どうなると思う?」
「……全体で一つ、……」
ゼノンは考えこみながら言葉を続ける。
「……スクリューは後方にエネルギーを発生させ、その力によって船体を前方に押し出します。
しかし、そのスクリューが巨大な一塊に埋没した形であれば、その全体をエネルギーでいきわたらせる必要がある。
それが出来なければ前に進むだけの力を得られない」
「その通りだ。だがゼノン、単に重い塊に埋もれているだけじゃない。もっと厄介なことが起きている」
清貴は一度言葉を切ると、深く息を吐き出した。
「スクリューが二層の境界付近で回転すると、海面下には目に見えない『巨大な波』が発生する。内部波だ。
船が前進しようとすればするほど、そのエネルギーは船を押し出す代わりに、海の下でその波を大きくすることだけに費やされてしまう」
水夫たちは互いの顔を見合わせ、困り顔になっている。
目で見えないものを説明されたとしても実感が沸いてこないのだろう。
「つまりあれか? その海底にあるもう一個の海がどでかい波をたててる。
スクリュー船はその波を永遠に登り続けてるだけで前に進まないってことか?」
ハンクの言葉に清貴は大きく頷いた。
「まさにその状況だ。この内部波は船自身が作り出しているものであるために、永遠に波を作り続ける。
進むためのパワーを、波を作り出すパワーに変えられてしまってるんだ」
なるほど、とハンクが手を叩いた。
「壁にぶっかけた小便が、全部跳ね返ってくるようなもんか」
「いや、それは、……状況としては、そう、……とも言える、のか?」
「跳ね返ってくる小便が激しすぎて進めねぇって訳だな」
清貴は思わず頭を抱えそうになったが、水夫たちは概ね納得できた顔だった。
「そりゃ進めねぇな」と口々に言い合う様に、なんとも複雑な気分になってくる。
これでいいのか? という気持ちはあるものの、理解できたならばそれが一番でもあるだろう。
「そこで、解決策となるのが外輪船だ。こいつは二つの水の層を引っ掻きまわしながら進んでいく。強固に混じり合おうとしなかった真水と海水を物理的にかき混ぜて、その境界をなくす訳だ。
ハンクさん流に言うならば、小便を跳ね返してきた壁をぶっ壊してくれるという事だな」
なるほど、と頷く水夫たちにハンクは得意げに力こぶを作って見せる。
「ドルドマン教徒たちが行っていた、牛を生贄として海に投げ込む儀式も、境界をかき混ぜるという意味では的を射ていたという事ですね」
ゼノンの言葉に清貴は眉間に皺を寄せながら頷いた。
「その通りだ。彼らはデッドウォーターについて知っていた訳ではないだろうが、その対処法だけは古くからここに住んでいた民として受け継いできていたんだろうな。
今後の対応としては、雪解け水の時期に外輪船を復活させパトロールに出すことだ。”死神の手”が現われた場合に急行し、周囲の海水を攪拌すれば解決する」
「つまりそりゃ、俺たちの船がお貴族様の観光用以外にも復活するってことか!?」
俄然勢いづいたのは勿論ハンクとその仲間たちだった。
「第三ドックに予備の外輪船がまだあったな。あいつも使えるように引っ張り出すぞ!」
「こうしちゃいられねぇ! さっさと準備にかからねぇと!」
「シグリの姫さん、修理代はそっち持ちでいいんだよなぁ?」
老人たちの問いかけにシグリは大きく頷いた。
「勿論だ。三日以内にゼノンに予算の都合をつけさせる。金の事は気にせず、作業効率を優先してくれ」
「待って下さい、シグリ様!! お金のことは気にして下さい! お願いだから気にして下さい! 予算は天から降ってくるもんじゃないんですよ!!」
悲鳴をあげながら崩れ落ちるゼノンを、清貴はさも気の毒そうに見つめながら口を開く。
「安心しろ、ゼノン。君が過労で倒れる前に、私がこの現象のメカニズムを完璧に論理立ててやる。……そうすれば、財務当局も首を縦に振らざるを得ないだろう?」
「待って下さいそれは大変ありがたいことではありますが、当局に提出するためのフォーマットに手直しする膨大な時間のことは計算に入っていませんよね!?」
さらに追い打ちをかけるようシグリがゼノンの肩を叩いた。
「ゼノン、予算編成のついでに、あの外輪船の『正式な救難艇としての登録』と、運用マニュアルの策定も頼む。……今夜中に」
「ついで!? ついでって言いましたか? いや、今夜中ッ!? あの偏屈な老人たちから運用方法を聞き出してそれをマニュアルに!?」
「悪かった。明日まででいい」
「あーあー、やだー、聞こえない、聞こえない! やっぱり徹夜確定じゃないですかやだー!」
ゼノンの嘆きをかき消すように、外輪船の巨大なパドルが力強く回転を始めた。
もはやそれは、老兵のあがきではない。
理不尽な脅威に立ち向かう、絶望を紡いでつくりあげた希望のための凱歌だった。




