事故調査ファイル_死神の手⑤
外輪船の出航準備は水夫たちの協力により異常なスピードで行われていった。
夏季の観光運行を終えて半年。大人しく眠っていた老船は、老人たちの荒っぽい手際で強引に叩き起こされる。
「観光用のリミッターを外せ! 魔石のバイパスを直結しろッ!」
ハンクの怒号とともに、機関室では安全装置の封印が次々と引きちぎられていった。
パドルの軸受けには、摩擦熱を厭わぬほどの高粘度油が塗り込まれ、緩んでいた伝声管が締め直される。
魔石エンジンが観光運行では決して出さない重低音を響かせ始めると、外輪船は優雅な遊覧船の皮を脱ぎ捨て、荒波を駆ける”猛獣”へと変貌する。
水夫たちは船に乗ることを拒みはしたが、出航準備には惜しみなく助力を申し出た。
彼らとて救出の手立てがあるならば、信じたいという気持ちは持っている。
これまでも幾度となく救出を試みてきたのだろう。だが、結果は散々なものだった。今は信じることが恐ろしくなってしまっていても仕方ない。
清貴もその気持ちは痛いほどによく分かる。
事故調査委員会としての仕事は常に”事故が起こった後”なのだ。救えなかった悲劇。救われなかった人々。
いくらその原因を究明したとして、失われた命は戻らない。
その絶望を、胸をかきむしりたくなるような悔恨を、自らの身でもって知っている。
「出航準備、完了したぞ!」
外輪船の上からハンクが声を張る。
清貴は頷くとすぐにタラップを駆け上がった。
乗船する人数はごく僅かだ。ハンクと、彼の同僚の老人たち。清貴とアレスにゼノン、それにシグリと騎士団の12名。
「ま、……シグリ様! お待ちください! この出航は無謀すぎます!」
ゼノンは未だシグリを説得しようと試みているが、シグリはてきぱきと騎士たちに司令を出している。
騎士団はシグリの命によって甲冑を全て脱ぎ捨てていた。海の上では甲冑は身を守るどころか、足を引っ張りかねない代物だ。もし海中に落ちようものなら、その重さが命取りになる。
もっとも、雪解け直後のこの時期であれば、例え身軽な状態であれ、すぐに体温を奪われあっという間に命を落とす事になるだろうが。
「ゼノン、今更ボヤくな。もしもの事があれば、貴様の家族は私が責任をもってその生涯を見守ろう!」
「待って下さい! そんな、死ぬ前提で話を、……いえ、それも心配ですが、心底心配ですが! それ以前の問題として、まだ港湾局への緊急出航届を提出していません! これは紛れもない違法行為です!」
「ならば、私、シグリの名において、『臨時軍事徴用特例』を発令するッ!」
「無茶苦茶です! それは戦時下における特権であって、平時に、……ッ!」
「ならばゼノン、お前がその賢い頭で、今すぐ相応しい理由を捻り出せ!」
シグリの有無を言わさぬ一喝に、ゼノンは涙目で喉を鳴らした。
「ひ、ヒィ、……ッ! で、では、商船の喪失はアイガス公国との和平を著しく損なわせる死活的問題であるとし、『王家海事緊急大権』を事後適用、……ああっ、私のキャリアが、退職金がぁ……ッ」
「よしッ! 言ったな! 出航せよ!!」
シグリの宣言に、ハンクが腹を抱えて高笑いを轟かせた。
「お前ら、覚悟はいいか! 少々荒っぽい出航になるぞ! ガキ共の筆降ろしに付き合ってやる余裕はねぇ! 放り出されたくなかったら、ケツの穴引き締めて捕まってろ!!」
ハンクの声に慌てて皆が手すりにしがみ付く。
「行くぞ!! 盤木を外せ!」
怒号と共に、巨大な木槌が最後の支柱を叩き折った。
船底が悲鳴のような摩擦音を立て、外輪船が傾斜路を滑り出す。
今しがた鯨油を撒かれたばかりの傾斜路から、摩擦熱による白い煙と獣脂の焦げる臭いが猛烈に立ち昇った。
凍てついた空気が頬を打つ。
船体はその勢いのまま海面へと突き進み――ドォオオオオオンッ! と腹の底を揺さぶる爆音を轟かせた。
爆ぜるがごとく水柱があがり、冷たい海水が雨のように降り注ぐ。
着水の衝撃で生じた波は、ドックで見守る水夫たちの足元をさらっていった。
「魔石出力、最大! パドル、全開だッ!!」
ハンクの叫びに応え、船の内部で魔石がフルスロットルで稼働し、重厚な魔力波が空気を震わせた。
船体の左右に取り付けられた巨大なパドルが、獲物に食らいつく猛獣のごとき唸りを上げ、冷たい海水を真っ向から叩き伏せる。
不自然に静まり返っていた黒い海面が瞬く間に攪拌され、荒々しく、生命力に満ちた真っ白い泡へとかわっていく。
外輪船は、滑り出しの勢いを殺すことなく、猛然と”死神”の待つ沖合へと牙を剥いた。
「レディース&ジェントルメン! この度はハンクの外輪船へご乗車下さり心より感謝申し上げるぜッ! チビった奴はとっととズボンを脱いでおけよ。この風じゃ、凍り付いて竿が捥げても知らねぇぞ!」
がっはっはっと笑うハンクに、一部の騎士たちは「なんと下品な」と呟きを漏らすが、真っ向から声をあげるほど気力のある者はいなかった。
横を見ればゼノンは白目を剥いており、アレスに首根っこを掴まれてかろうじて落下しなかったようだった。
騎士の半分もほとんど腰が抜けていたが、老人たちは我が家のごとく軽快な足取りで甲板を歩き回っている。
清貴はなんとか持ち直すと、舵を握るハンクの元へと駆け寄った。
「風向きは? 商船はどっちへ流されてる?」
「おお、まともに歩けてるじゃねぇか! ハハ、気に入ったぜ。風は東からだ。このままじゃ暗礁に突っ込んでお陀仏だな!」
「衝突までの猶予は?」
「このまま風が変わらないとすりゃ、長く見積もって15分か?」
「よし、船の東側に回りこんでくれ。アンタのご立派なパドルで思い切り死神の横っ面をぶっ叩いてやれ!」
ハンク流の言い回しを真似た清貴に、老人たちから歓声があがる。
「はっはっは、いいぜ! このハンク様の熱いビンタを食らわせてやろうじゃねぇか!」
清貴は再び甲板に飛び出した。
外輪船は死神の巣食う海を進み、順調に商船へと近づいていく。
「……風が強いな。ゼノン! 商船にマストを畳むよう指示を出してくれ!」
ようやく意識を取り戻したゼノンは、清貴の声によろめきながら立ち上がる。
足元は危ういながらも、懸命に拡声器にすがりつきゼノンは声をはりあげた。
「アイガス公国商船へ通告します! スウェンディラ港湾管理規則、第十八条に基づき緊急勧告を発令!
本船の航行安全を確保するため、直ちに『全檣の縮帆』を命じます! 繰り返す、直ちに帆を畳みなさい! これは港湾管理局からの正式命令です!」
だが、商船は完全なる混乱状態に陥っていた。
甲板では水夫たちが右往左往と動き回り、脱出艇を降ろそうとするものと、それを止めようとする者とで、激しい怒号が飛び交っている。
「アイガス公国商船へ通告します! 帆を畳みなさい! アイガス公国商船! 聞こえていますか!」
「……私が行きましょう。ハンクさん、船をもう少し左舷に近づけて下さい!」
名乗り出たのはアレスだった。
ハンクが声に応じて商船の左舷へと外輪船を近づける。
アレスはスカートをめくりあげると隠し持っていた武器や暗器をごろごろと取り出し、それをゼノンの手に渡していく。
「ちょ、ちょっと、待って下さい、待って下さい、何をするおつもりですか? 嫌な予感しかしないのですが!? というか、このすっごく痛々しくて禍々しい武器はなんですか!? いえ、やはり知りたくないですね! え、これ私が持ってなくちゃいけない理由ってありますか!?」
最後にジャラジャラと鎖の音をさせながら鎖鎌をとり出すと、アレスは獲物を手に欄干に飛び乗った。
「ちょっと待った! アレスさん、まさかとは思いますが飛び移るつもりじゃないですよね? 駄目ですッ! スウェンディラ海上交通規定、第十二条です! 出航後の船舶に対する、船長の許可なき接舷および臨検まがいの飛び乗りは、厳格に禁止されています! 始末書じゃ済みませんよ、不法侵入で国際問題になりますってぇ!!」
ゼノンの悲鳴じみた制止を、巨大な外輪が巻き上げる飛沫が虚しくかき消す。
アレスの体幹は激しい振動を受けとめながら微動だにせず、鎖鎌を振り回した。
そうして錘ではなく、鎌を勢いよく投擲した。
「いやぁあああああ、やめて下さいぃいいいいいいいッ!」
ゼノンの声は断末魔に近い絶叫だった。
アレスは切っ先を商船の甲板に突き立てれば、迷いなく欄干から空をかけるよう疾駆する。
スカートの裾がぱっと花開き、次の瞬間に黒衣のシスターは商船の舷側を駆け上がった。
「……な、な、な、なんですか、アレは!? 曲芸師だってあんな真似はしませんよッ!!」
「気にするな。ありゃ、神のご加護を受けた小奇麗なゴリラだ」
「ゴリ? ゴリラ? なんですか、それは!? バーサーカーの上位種ですか!?」
「あながち間違ってないかもなぁ」
商船に飛び乗ったアレスがマストをよじ登っていく様に、清貴は肩をすくめて見せる。
「よし、それじゃあ、死神を蹂躙してやろう。ハンクさん、頼んだぜ! 思いっきりやってくれ!」
「おう! 任せておけ!」
操舵席からハンクが腕を振り上げる。
「魔石出力、最大!! 俺さまのパドルパンチを食らいやがれッ!!」
唸りをあげながら回転するパドルが、海水を手荒く攪拌する。
激しく泡立って白波が湧き上がり、鏡のようだった海面が見る間に白く塗り潰されていく。
「いいぞ、その調子だ。ハンクさん、商船の進路を先行するように旋回しろ!」
外輪船が作り出す怒濤の攪拌域が、商船の船首を包み込んだ。
その瞬間、アイガスの巨船が「ガクン!」と大きく身震いした。見えない死神の腕が千切れたのだ。
空回りしていたスクリューが確かな水の手応えを掴み、重厚な駆動音が海鳴りのように響き渡る。
ゆっくりと、だが力強く。巨体が”死神の手”を抜け出し、青い外海へと滑り出した。
アレスは商船の甲板を駆け抜けると、翻るスカートと共に重力を嘲笑うような跳躍を見せ、清貴の傍らに着地した。
「――死神はいなくなった。ただの海に戻ったぞ!」
商船から上がる歓喜の声。
水夫たちは甲板から身を乗り出すと、清貴たちに千切れんばかりに手を振ってくる。商船の船長も合間から顔を出すと、帽子をとり深々と頭を下げた。
外輪船の騎士たちや老人たちも、互いの肩を叩き合い、奇跡の生還を祝っている。
清貴は遠ざかっていく船を見送りながら、深く、安堵の息を吐いた。
「見たか。理解不能な怪物などどこにもいない。こいつは複雑な要因が絡み合った『自然の悪戯』だ。……理屈がわかれば、死神だって怖くない」
「お見事です、聖女様。……いえ、調査官殿」
シグリの瞳には、安堵の涙が浮かんでいた。




