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事故調査ファイル_死神の手④

 沈黙を孕んだ深い霧の中から姿を現したのは、顔半分を煤けた布で覆った男たちの群れだった。

 彼らが手にするこん棒や巨大なスパナは、使い古された機械油と錆に塗れている。

 霧を吸って重く湿った男たちの体躯は、視界を塞ぐ巨大な壁のごとき威圧感を放っていた。

 だがその目にあるのは殺意というよりも、根源的な怯えだった。まるで追い詰められた獣の目だ。


「……全員がドルドマン教の使徒という訳ではなさそうだな。その立ち方、そして使い込まれた工具――ここの水夫たちか?」


 清貴が冷静に観察結果を突きつけると、男たちの間にさざ波のような動揺が走る。

 やがて、巨漢たちが形成する壁が割れ、その合間を縫って、黒いローブを纏った小柄な人影が音もなく滑り出してきた。


「貴様が異教の魔女か。貴様らの穢れた血によって龍神様がお怒りになっておられる。即刻立ち去らねばさらなる犠牲が求められることになるであろう」

「……聖女の次は魔女かとはな……」


 心底うんざりとした顔で清貴は溜息を吐いた。


「素人質問で恐縮だが、……いくつか聞かせてもらっても構わないか?」


 臆するどころか一歩前に出る清貴にローブの男は僅かにたじろいだ。


「龍神様、という名称から海の神のニュアンスよりも、川の神に寄った存在であると推測する。この龍神がお怒りになる、という表現は港に流れ込む河川において問題が生じているとの指摘で間違いないか?」

「……その通りである。愚かなる王が異なる血を混ぜたことにより龍神様はお怒りになられたのだ」

「異なる血、それは別の河川の水を流入させたという事か? ……ゼノン、そのような記録は?」


 振り返って尋ねるとゼノンは目を白黒させながら口を開いた。


「え、ええ。確かにダミアン様の治世になられてから治水工事を行いました。たびたび氾濫していた東の川を、港に流れる大きな河川と合流させたのです」

「なぜ今まで黙っていた?」

「い、いえ、その、川の治水が本件に関わるとは思いもよらなかったもので」

「ふむ。聞き取りの『調査範囲(スコープ)』を絞り込みすぎていたか。河川に関しての環境変数の変化を質問リストから除外していた私のミスだ」


 清貴は速やかにミスを認めて頷くと再び黒衣の男に向き直った。


「龍神様を鎮めるために牛を投げ入れるという手段が確立されたのはいつからだ?」

「我々は古きよりそのように生きてきた。海鳥が去り、魚が消えた時には龍神様がお怒りになられている。故に、犠牲を払う必要があるのだ」

「海鳥が去り、魚が消える、……なるほど、そういう事か」

「そうだ、龍神様がいかにこの惨状を嘆いているか理解できたであろう。貴様らのようなよそ者が嗅ぎ回れば龍神様は尚の事、お怒りになられる。今すぐ立ち去らねば我らが神の御名においてその血でもって贖いをさせてやろう!」


 声高に叫ぶ黒衣の男に、武器を持った男たちが一歩前に進み出る。

 ゼノンはヒっと喉奥で悲鳴をあげ後ずさった。

 対してアレスが前に進み出ようとした刹那、ドックから複数の人影が現われた。ハンクと彼の同僚の老人たちだ。


「おうおう、なんの騒ぎだ? 朝からキャンキャン騒ぎやがって」


 ハンクのしゃがれた声は、だが元船長らしく雄々しく響く。


「そこのお前、シャイマスのとこのせがれだな、そっちのお前はマーティンか? 海の男が寄ってたかってお客さんを恐喝か?」


 名を呼ばれた男たちは、顔を覆っていた布を引き上げながらも怒鳴って返す。


「ハンクの爺さんは黙っててくれッ! アンタはもう引退したようなもんだが、俺たちにとっちゃ明日の飯の種なんだ!」

「だからって何だ。わざわざ調査に来てくだっさった学者様を追い返せば解決するってのか?」

「よそ者に何が分かるってんだ! 死神の恐ろしさが身に染みてるのは俺たちだッ!」

「なんだ、情けねぇ。死神がいつ来るか分からないからって、ビビって小便でも漏らしたか?」


 ハンクが鼻で嗤い飛ばすと、男たちは怒気に顔を赤らめる。

 一発触発の空気ながら、たじろぎもしないハンクの背中は、その人生を海に捧げた者として相応しい、荒波を割く岩のように気高かった。

 ハンクはじろりと面々を睨みつけると、ふとある男で視線を止める。


「アアン? そこのお前は見ない顔だな。……いや、待て、記憶にあるぞ。ラガット卿の腰巾着だな?」


 男たちの中でもやけに高価な服を身につけていた男は、慌てて顔を引っ込めた。

 清貴はその名に覚えがあった。

 ラガット卿といえばこの港と隣接した区域を収める貴族の名だ。漂着した船の荷を徴収し、利益を得ていたと報告書に記されていた。


「ったく、情けねぇ。こんな簡単な絡繰りに引っ掛かっちまうような奴らが海の男だとはな。ラガット卿とドルドマン教が手を組んで、死神の手を理由に大儲けをしてたって訳か。

 道理でこのところドルドマン教の連中の羽振りがいいと思ったよ。

 祈祷料で稼げなくても、船が難波すりゃラガット卿の領地に流れ着く。どっちに転んでも美味い飯が食えるように手を組んだってわけか。

 神だなんだ言いやがって、お前らが信じてるのは神様よりも銭様ってわけか?」


 一気にまくし立てるハンクに、黒衣の男は目で見て分かるほど小刻みに身体を震わせる。

 しかし、武器を構えていた男たちは先ほどより覇気が薄れており、そこには明確な温度差が生じていた。


「き、貴様ッ! 黙って聞いていれば我らの信仰をそのような下劣な言葉で穢すとはッ!!」


 黒衣の男が唾を飛ばして叫んだが、ハンクは動じる気配もない。

 ……どころか、歯をむき出して笑い出した。


「ハッハッハ、この程度で下劣だって? いいか、下劣ってのはなぁ、テメェは母ちゃんの股ぐ――……」


 言葉の途中で慌てふためいたゼノンに耳を塞がれた。

 いや、自分もとっくのとうに成人した男性であるのだから、下品な言葉の一つ二つで今更動揺する事もないのだが、と清貴は思ったが、ふと見れば隣のアレスが顔を赤らめ震えている。黒衣の男も今にも泡でも噴きそうな物凄い形相になっており、むしろ何を言えばそこまでの事態になるのか知りたくなった。

 黒衣の男の後ろにいる屈強な水夫たちも、揃いも揃って茹蛸のような有様になっている。

 ようやく罵詈雑言が終わったのか、ゼノンがそっと離れたが、周囲は何とも気まずい沈黙が降りていた。

 

「よ、……よくも、よくも、そ、そのような、破廉恥極まりない台詞を、次から次へと……! ええいッ! 許せぬ! 許しておけぬッ!! 貴様の首をねじ切って龍神様の捧げ物にしてくれるッ!!」

「……ぁー、素人質問で恐縮ですが、ドルドマン教では穢れの概念はないとの解釈で宜しいでしょうか。神への捧げ物としての選出基準において、本人の言動は加味されないと?」


 すっと手をあげる清貴に、ゼノンが「おやめくださいッ」と蚊のなくような声で訴える。

 だが当然のようにその囁きは無視された。

 清貴はなおも言葉を重ねる。


「確かに、原始的な宗教においては、いわゆる”乱痴気騒ぎ”というべき行動が祈りの一環として捧げられるケースも存在している。あえて禁忌や卑猥な言辞を弄することで神を喚起する”儀礼的放縦”というべき形式も……」

「黙れッ、黙れ黙れ黙れッ!!!! 殺してやる! 貴様のような髭面の男が聖女などであるものか!」


 それは清貴も同意する。だが深く頷けばかえって火に油を注いだようだった。

 もはや地団駄を踏みながら叫ぶ黒衣の男に、周囲の男たちはすでに遠巻きになっている。


「――聖女様、そろそろ、宜しいでしょうか?」


 収まりのつかなくなった舞台に、恭しく前に進み出たのはアレスだった。


「ああ、情報はあらかた集まったが、……」


 口ごもる清貴の前でアレスが外套を脱ぐとそれをゼノンに手渡した。

 シスター装束のアレスはスカートのすそを持ち上げ、深々と礼の姿勢をとる。


「それでは、……主の御名において、ここより先は、神の理が支配する領域であることを宣言します。

 聖光庁直属・異端審問局、第七執行官アレス・レクイシム」


 ガシャンっと禍々しい音をたて、アレスの手にあったモーニングスターから火花が散る。

 ゼノンがヒィっと悲鳴をあげた。

 その先端から飛び出した鉄の棘は、その身に吸った血の量だけどす黒く染まっていた。


「主より賜りし『浄化』の権能を以て、この場を検めさせていただきます。

 ……罪人たちよ、貴様らの神が救いの御手を差し伸べるか否か、今ここで確かめて差し上げましょう」


 その口上に男たちは息を飲む。

 それはこの世界において、いわば治外法権の宣言である。聖光庁の異端審問官は自らの権限で、即時の裁きを下すことが出来るのだ。

 アレスが一歩前に踏み出した瞬間、真っ先に悲鳴をあげて逃げ出したのは黒衣の男だった。

 そのあまりの素早さに男たちは呆気にとられ、互いの顔を見つめ合う。

 アレスがもう一歩進み出れば、ぬかるみに足をとられた一人が尻もちをついて転がった。

 圧力に押され、一人が逃げ出し、あとは総崩れになっていく。

 泥に転がった男を、別の男が助け起こして、我先にと争うように逃げていく。

 あとに残された清貴とゼノン、ハンクたちはあっと言う間の出来事に、紡ぐべき言葉を失ったまま立ち尽くす。


「――た、大変だぁああ!! “死神の手”が現われたぞ! アイガス公の重装商船が捕まったッ!」


 気まずい停滞を打ち破ったのは、桟橋から響く悲鳴だった。

 霧の向こう、立ち往生する巨船の影が少しずつ風下へと流されていく様が目に入る。


「まずいな。あのまま流されれば暗礁に突っ込むぞ」


 ハンクが唸る声を上げ、老人たちも悲痛な呻き声を吐き出した。

 ドックからも次々と水夫たちが現われて、巨船の影を見守っている。その誰もが、諦めの表情を浮かべている。


「どけッ! 道を開けろ!!」


 声が響き、蹄を鳴らして、泥を跳ね飛ばしながら、騎馬の一隊が現われた。

 先頭の騎馬から素早く降り立った影は第三王女のシグリだった。シグリはブーツが泥で汚れるのも厭わずに、清貴の元まで走ってくると勢いよく頭を垂れる。


「聖女様、申し訳ございませんッ! ドルドマン教徒達が現われたとお伺いいたしました。港の警備を、……」

「今はいい!」


 清貴はシグリの言葉をいつにない鋭さで遮った。


「ハンクさん、ドックにあった外輪船、あいつはすぐに出せるか?」


 振り返って声を投げる清貴に、ハンクは驚いて目を見開くも、すぐに大きく頷いた。


「ああ、出せるが、……まさか、あの重装商船を助けに行くってのか?」

「その通りだ」

「無茶です! おやめください! 今、まさに”死神の手”が現われているんですよ!」


 悲鳴をあげたのはゼノンだ。だが清貴は首を振る。


「無茶じゃない。……説明している時間はないが、外輪船ならば”死神の手”には捕まらない」

「貴方がそう言うならば、そうかも知れません。ですが、説明なしに水夫たちを説得するのは無理ですよ! 誰が船を操るんですか!?」

「俺は乗るぞ」


 すぐに名乗り出たのはハンクだった。


「俺の船は、一度だって死神に捕まった事はねぇ。だから俺は、いつだって俺の船を信じてる」

「私も向かいます!」


 シグリがも一歩進み出ると、護衛の騎士たちが慌てふためいた顔になる。

 シグリは騎士たちに向き直ると、凛として背筋を伸ばし声を張る。


「お前たち、その剣は我に捧げたもの。その忠義に狂いはないな? ならば、我が後についてこい!」


 先頭を切ってシグリが走り出し、騎士たちが後を追いかける。


「威勢のいいお姫様だ」


 清貴が肩を叩くと、ゼノンは大きくため息を吐いてうなだれた。

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