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事故調査ファイル_死神の手③

 翌朝、スウェンディラの港街は再び深い霧に包まれていた。

 石畳を覆う雪解けの泥濘に荷馬車はあちこちで渋滞し、馬のいななきや罵りあう声があちこちから響いてくる。

 霧によって視界が狭まっている分だけ、声も出所も不明瞭になり、それがまた人々を苛立たせる。


「……足元が悪いのはご容赦ください。この時期のスウェンディラは、空よりも地面の方が不機嫌なのです」


 ゼノンが申し訳なさそうに眉尻を下げる。

 港に訪れたのは清貴とアレス、ゼノンの3人で、薄汚れた作業着の清貴は完全に群衆に溶け込んでいた。

 アレスもまたシスター衣装の上から外套を羽織っており、あえて3人に視線を留める者はない。

 シグリは国賓である清貴の少人数での現地調査を渋ったが、護衛を引き連れていてはろくな証言を得られないという指摘を受け引き下がる事となった。かわりに港周辺に詰めている兵の数は増やしたと聞いている。


「聖女様、ご覧ください。ドルドマン教の魔除けです」


 アレスが指差したのは、立ち並ぶ倉庫の入り口に結びつけられた、鮮やかな青い紐の束だ。

 紐の先端には鈴が括り付けられており、誰かが戸を開けるたびに霧の中で鈴の音が微かに響く。

 それはドルドマン教の『魔除け』だった。

 視線を向ければ港の倉庫のあちこちに青い紐の束が結ばれている。


「シグリ様の話によれば、ドルドマン教の信仰を国家で禁じてはいないそうです。しかし、このように目に見える場所に異教徒の札が貼られているのは、正直なところ”異常”ですね」


 アレスがスカートの裾を気にしながら、冷徹な眼差しでその紐を見つめる。

 港全体を覆うのは、春の予感ではない。

 いつ誰の船が「死神」に掴まれるか分からないという、逃げ場のない緊張感だった。


「清貴様、こちらになります」


 ゼノンがまず案内したのは、港の一角に建つ、潮風に晒されて黒ずんだ石造りの建物――港湾管理事務所だった。

 入り口には、濡れた合羽や長靴が乱雑に置かれ、室内は湿った羊皮紙の匂いが充満している。魔石ストーブはかなり旧式のものなのか、低く唸る音を立てていた。


「お邪魔いたします、ロンガ殿はいらっしゃいますか?」


 ゼノンの声に山積みになった羊皮紙の向こう側から小太りの男が顔を出す。

 港町特有の日焼けしてそばかすだらけの顔。長く蓄えられた髭は編み込まれたり、貝殻を加工した装飾品で飾られている。


「おう、ゼノンの旦那か。今日はどうした?」

「例の”死神の手”の調査ですよ。こちらは、隣国から来て下さった調査員のお方です」


 事前に聖女である事は伏せて欲しいと頼んでおいた清貴は、軽く会釈を返す。


「ああ、そのことか。俺に分かることだったら何だって聞いてくれ」

「協力に感謝する。ではまず、ここ一週間以内で”死神の手”の発生はあったか?」


 清貴はさっそくノートを開いて質問を開始する。


「俺の知る限りじゃ三度あったが、……幸いなことに座礁には至ってない。今のところはな」

「含みがある言い方だな」

「いやなに、これからの時期はやっこさんが出る回数が増えるからな。そうなりゃ必然的に事故も増える」

「なるほど。その三隻についての情報を教えてくれ」


 ロンガは出入港の記録を引っ張り出してくると、それを机の上へ拡げる。

 船舶の名前や出港日時、国籍や積み荷などが記されていた。

 清貴はそこに書かれた文字を指先でなぞりながら、ふと類似点に気が付いた。


「――、被害にあった船は、すべてこの港から”出航”したものばかりだな。この偏りはたまたまか?」

「いんや、大抵そんなもんだ。死神に捕まるのはここから出て行こうとする船がほとんどだよ」

「貴方の目から見て、死神に捕まるものと捕まらないものの違いについて思いつくことは?」


 問いかけにロンガが唸る。


「俺が思いつくのは積み荷の重さだな。スウェンディラに来た船はたんまりと鉄鋼を積んで出航する。つまり、出ていく船の方が重くなるって訳だ。だから死神の駄賃が必要だなんて迷信がまかり通ってる」

「……漁船などの小型船が死神に捕まったことは?」

「ないな。死神はお宝をたんまり詰め込んだデカい船ばかりにご執心って話だ」

「つまり、吃水の深さが命運を分けるということか」


 吃水の深さ、船舶が”どれほど海中に深く沈み込んでいるか”という事だ。

 入港時の船は出航時に比べれば積み荷が軽い。つまり吃水が浅い。小型船はそもそも船底が浅いため深くまで沈み込むことはない。


「ここ10年ほど”死神の手”の出現回数が増えたと聞くが、船舶や港の設備面において大きな変更があった箇所は?」


 次いだ問いかけに、ロンガはしばし考えこんだあとポンっと手を叩いた。


「あるにはある、が。だが、そいつが関係あるとは思えないようなもんだぞ?」

「可能性を一つでも多く検討したい。詳しく教えてくれないか?」

「分かった。それならドックへ行こう。直接見た方が早いし、船乗りたちから話も聞きやすいだろう」

「では、案内を頼む」






「あそこに見えるのが第一ドックだ」


 ロンガが指差した先、霧の中から巨大な鯨の骨格を思わせる、木造の覆い屋が見えてきた。

 倉庫の壁には、雪の重みに耐えるための太い控え壁がいくつも突き出し、その隙間に小舟や資材が押し込まれている。

 広い空間のあちこちに魔石ストーブが置かれていたが、海に向かって壁が開かれた造りのドックにおいて、それはストーブに身を寄せ合った人々を暖めるのみで、空間そのものは外気と変わらぬほど冷え切っている。

 船を陸に引き上げるための傾斜路は、凍り付きを防ぐために砂がまかれており、複数の船舶が修繕の途中であるようだ。


「こっちだ」


 ドックをさらに奥へ進んで行った先、そこに置かれていたのは大きな外輪船だった。

 魔石を核として船の左右に取り付けられた巨大な車輪が回転して進む船である。


「驚いたな。こいつは、……外輪船か。なるほど、魔石があればこんなデカい車輪も回る訳か」

「ああ、見事なもんだろ。まぁ最近じゃすっかり使われなくなっちまったが、俺はコイツが好きでよぉ」

「使われなくなった理由は?」

「小回りの効くスクリュー船が主流になったからだ。見ての通りコイツは外輪だけでかなりの場所を食う」

「なるほど。こいつが現役だった頃は”死神の手”は出現しなかったと?」

「まったくって訳じゃない。だがほとんど聞かなかったよ。とはいっても新しい船のが速いし小回りも効く上に燃費もいい。こいつが原因ってことはないだろうがな」


 ロンガの言葉を聞きながらも、清貴は鋭い視線でじっと外輪船を見つめている。


「引退して10年も経っているわりには船体が随分と綺麗なようだが」

「ああ、夏の間には遊覧船として使われてるんだ。こいつが水をバシャバシャかき混ぜながら進む姿が好きだって奴も多いからな」

「ふむ、確かにそいつはなかなか見ごたえがありそうだ」


 清貴は顎をさすりながら頷いた。隣で同意していたロンガはふと思い出した様子で口を開く。


「そういやスクリュー船が主流になったのと、港を深く掘り直したのもだいたい同じ時期だ」

「港を深く?」

「ああ、外輪船と違ってスクリューのが深く潜るだろ? だから港も深くなったのさ。そういや、港を掘り起こしたせいで死神が目を覚ましたなんて話もあったな」

「……そいつはあながち間違っていないかもしれないな」


 清貴が深く息を吐き出すと、ロンガもゼノンも不思議そうに顔を見合わせた。


「ここ最近で”死神の手”に捕まったという船の乗り組み員と話は出来るか?」

「いや残念ながら、とっくに国に帰っちまってるよ。ただ、……丁度その時にハンクの爺さんが近くで釣りをしてたって話だ」

「漁船の乗り組み員か?」

「いや、ハンクの爺さんは外輪船の船長だよ。遊覧船を運行してる時以外は整備工をやってるんだ」

「是非、話を聞いてみたい」

「ああ、分かった。こっちだ」


 ロンガの案内で整備中の船に向かう。

 整備とは古くなった部品の取り換えだけでなく、船体に張りついたフジツボなどを取り除く作業も含まれる。今も5人ほどの老人たちが金槌と鉄ヘラでフジツボをこそげとっている最中だった。


「おーい、ハンクさん! アンタの話を聞きたいって奴が来たぞ」


 ロンガの声に、いかにも気難しそうな顔の老人が梯子から降りてくる。

 長年、太陽の日差しと潮風に晒された顔は幾重にも皺が刻まれていた。


「いったい何だってんだ」


 不機嫌そうなハンクに、清貴は軽く頭を下げた。


「仕事中に邪魔をしてすまない。”死神の手”が出た時にそばにいたと聞いたんだが、その時、何か気付いた事はなかったか?」

「いや、あの時は風も波もなくやたら静かで、……そういや、静かな割に魚が見えなかったな」

「魚がいなかったと?」

「そうじゃない。魚はいた。ただしまったく釣れなかった。それに……何だか妙な気配がして海を覗き込んだ時に、底の方がやたら濁っていやがったんだ。こいつは何かおかしいぞと思って引き上げようとしたんだよ。そうしたら、貨物船の連中が騒ぎ出した」

「それでどうなった?」

「その時は風もほとんどなかったからな。ただ暫く動けなくなったがそれだけだ。しばらくして舵が効くようになったら、逃げるみてぇに去っていったよ」

「貴方の船にはなんの異常も起こらなかった?」

「ああ、俺の船はいつだって安全だ。死神に襲われた事なんぞ一度もない。なぁ、おめぇらもそうだろう?」


 ハンクが振り返って老人たちに声を投げると、彼らは一斉に頷いた。


「その通りだ、俺らの船は一度だって死神に捕まっちゃいねぇ」

「そうだそうだ」

「なのに連中は新型の方が速いだのなんだのいいやがって」

「――あなた方も皆、外輪船の船長ですか?」


 清貴の問いかけに老人たちは一斉に頷いた。


「そうだよ。新型と一緒に用済みになった爺どもだ。今じゃこうしてフジツボを剥がして小遣い稼ぎだ。酒代だって稼げやしねぇ」


 溜息を吐く老人たちを清貴は深く考えこむ様子で見つめていた。





 その後も清貴は水夫たちに聞き込みをして回ったがめぼしい情報は掴めなかった。

 多くの水夫たちはそれを神罰のたぐいであると信じており、その原因を探ろうともしていなかったのだ。

 ただ自分達の船が死神に捕まらないことだけを祈って過ごす。彼らは一様にドルドマン教の魔除けを身に着けていた。


 沈没した船が流れ着いた先の領地のものとなるという法もまた調査を妨げることとなった。

 死神の手によって沈んだ船はとっくのとうに解体され、資材へ変えられてしまっていたのだ。

 清貴は数日をかけて聞き込みを行い、港に流れ込む河川の水質を調査した。


「如何でしょうか、清貴様。死神の正体についての見当はつきましたか?」


 今日もまた朝いちばんに港にやってきた清貴に、問いを投げるゼノンの顔は目に見えて憔悴が滲んでいた。

 無理もない。ゼノンの目線からしてみれば、数日間の調査はなんの進展もないように見えていただろう。

 日々調査を行い、その合間に足繫く港に通う。

 とくに朝はまずはじめに港に向い、その日の第一便が出航するのを見届ける。

 それが清貴のルーティンとなっていた。

 白く濁った空気の中、足を進める清貴は襟をたてながら振り返る。


「ああ、おおよその見当はついている。だからこそこの目で確かめて確信を持ちたい。

 あれは死神でも異教の神でもない。僕の見立てが正しければ、その正体は――」

「――聖女様、私の後ろへ」


 ふいにアレスの鋭い声が、清貴の言葉を叩き切った。

 外套の下で、密かに獲物の感触を確かめる。

 霧の向こう側、幾重にも重なる「魔除けの鈴」が、風もないのに微かに、不吉な音を立てていた。


 ふと気づけば、あれほど騒がしかった港の喧騒が嘘のように消え失せている。

 馬のいななきさえ鳴りを潜め、耳に届くのは、湿った霧を震わせる鈴の音ばかり。

 その不気味な沈黙は、雪解けの朝霧よりもはるかに冷たく、3人の周囲を包囲していた。

 スウェンディラの港に潜むもう一つの悪意が、ついにその牙をむいたのだ。

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