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事故調査ファイル_死神の手②

 案内された部屋は、離宮の最上階に近い、海に突き出した一角だった。

 三方に取られた大きな窓からは、霧に煙るスウェンディラの港が一望できる。


「……ふむ、悪くないな」


 清貴は部屋の中央に置かれた、頑丈なオーク材のデスクを指で叩いた。

 壁際にはタイル張りの巨大なストーブが鎮座し、魔法で熱を帯びた石が部屋を春先のような暖かさで満たしている。


「これだけ光が入れば、海面の僅かな色の変化も見逃さずに済む」


 寝室は執務室のすぐ隣にあり、部屋ごとに給湯設備が整えられているのも実に魅力的だった。


「どうかしら、大臣たちは庭園に面した迎賓館を用意すべきだと言っていたけれど、私はこちらのが貴方にぴったりだと思ったの」


 珈琲とスモアの乗ったトレイを持ったメイドを連れてシグリ王女が入ってくる。

 鼻孔を満たすアロマの香りに焦げたマシュマロの甘い香りが混じり合う。


「それと、形式ばった挨拶や懇談会なんかも省略したわ」

「そら助かるな。お偉いさん相手に挨拶して回るのは時間の無駄だ」

「ええ、貴方ならそう言うだろうと思ったの。彼らへの説明は私が出来る限り肩代わりするわ」

「随分と僕のことを分かっているようだ」

「そうでしょう? 私とネイト、……ナサニエル王子は同じ学校の出身なのよ。彼は先輩だから一緒に過ごしたのは1年ほどだけれど、その後も文通を続けているの。だから、貴方の事はあらかじめ聞いておいたのよ」

「……なるほど」


 だからこそナサニエルも清貴をこの地に派遣する事に頷いたのだろう。


「貴方に対しては儀礼的な挨拶よりも、素早く現状を把握出来る環境を整える方が喜ばれると聞いたのよ。でも安心して。衣食住にはいっさいの抜かりなく、国賓としての扱いを保証する」

「ふむ、それじゃあ早速、”死神の手”とやらについて詳しく教えてくれ」

「任せて。……ゼノン、入って来て」


 ドアが開き大量の資料を抱えて入って来たのはまるでいかにもお堅い公務員という風貌の男性だった。

 年の頃は30代半ば。肩よりも伸びたこげ茶の髪を束ね、スクエアカットの眼鏡をかけている。整った風貌というよりは、顔まで折り目正しくあるべき場所に収まっているという印象だ。


「紹介するわ。彼はゼノン・ファーヴァル。スウェンディラの港湾管理局・海事安全推進課の次席事務官よ。今回の案件に関して複合的な情報を擁しているわ」


 シグリの紹介を受けゼノンは胸に手をあてて頭を下げた。


「ゼノンと申します。パチュミアン湖異変の著書は擦り切れるほど読ませて頂きました。貴方のような方とともに働けることを心より嬉しく思います」

「……こちらこそ宜しく頼む」


 短い挨拶を済ませれば、ゼノンが卓上に資料を拡げていく。


「まず”死神の手”という事象に関しまして説明いたします。巷では突如、舵を取られて沈没すると言われておりますが、これは正確ではありません。舵がきかないまま船が流された結果、暗礁などに衝突し結果として沈没するというのが正しい状況です」

「沈没した船を調査しても原因は分からなかったと?」

「はい。舵をとられるような物理的な要因は発見できませんでした」


 ただし、とゼノンは言葉を続ける。


「発生時期に関しましてはかなりの偏りはあります」

「興味深い」

「”死神の手”の発生時期は、花眩月からおおよそ二か月ほどの期間、つまりちょうど今くらいの、雪解けの時期に発生が偏っております」

「偏っているというのは、別の時期にもごくまれには発生する?」

「いえ、夏季においての発生報告は一件もございません」

「港に流れ込む川の上流にダムがあると聞いたが、ダムの解放との因果関係は?」

「そもそもこの時期はダムは常時開放されているため、関係ないと言ってしまって問題ないでしょう」

「……なるほど。ゼノン、貴方の見立てをお聞きしたい」


 清貴が尋ねると、ゼノンは眼鏡のフレームを持ち上げた。


「噂されているような、死神の仕業などという話は戯言だと思っております。ただ、異教徒たちの活動が活発化し始めた時期と、”死神の手”が現われ始めた時期が一致しているのは事実です」

「……待て、”死神の手”は最近になって現われ始めたのか?」

「以前にも稀に報告を聞くことはありましたが、頻繁に聞くようになったのはここ10年ほどの間です」

「”死神の手”が現われるようになったきっかけとして思い当たるものは?」


 その問いかけにしばしの沈黙が降りた。

 ゼノンが視線を泳がせ、かわりにシグリが口を開く。


「賢王として名高いアーロン4世が崩御され、我が父、ダミアン3世が即位いたしました。世間では、わが父の不徳が海神の怒りを買っただとか、アーロン4世の崩御自体が企みであったなどと囁かれているのです」

「――とんだ世迷言ですよ」


 ゼノンが苦々し気に言葉を引き継いだ。


「確かにここ10年、スウェンディラは慢性的な不作が続いております。ですがそれは年間を通しての平均気温が下がっているのが原因です。ダミアン様はその不足を補うべく、骨身を惜しまず尽くしておられます」

「なるほど。……異教徒、というのは?」

「ドルドマン教徒と呼ばれる者たちのことよ」


 再びシグリが口を開いた。


「正確に言えば、もともとこの地にあった信仰を受け継いだ先住民たちの子孫と呼ばれている人たちの事ね。そういう意味でいえば、この土地にとっての異教徒は私たちの方かもしれない」

「……シグリ様ッ」


 ゼノンの声にシグリは肩をすくめてみせた。


「事実は事実よ。私たちはこの土地にとっての開拓者。信仰も後から持ち込んだものだもの」


 ゼノンとシグリの様子から、この国の多くの者はドルドマン教徒を快く思っていないことが見てとれた。シグリのような考えを持ったものはごく一部であるのだろう。


「そのドルドマン教徒たちの活動が活発になっている?」

「それに関しては因果関係が逆かもしれないわ」


 シグリはスモアを齧りながら思案して言葉を続ける。


「彼らは”死神の手”を退ける方法を知っていると言いまわっている。ドルドマン教の僧侶を船に乗せ儀式を行えば無事に海域を通過できると言ってね。実際、それを信じて多額のお布施をし、僧侶を船に招いている商船も存在する」

「それで、効果のほどは?」

「彼らの言い分では、”効果はあった”とされているけれど、そもそも”死神の手”はふいに発生し、犠牲者を出す前に消えてしまう事も多いのよ。例えば私が船に乗り込んで、それらしく祈りを捧げてもある程度の確率で抜け出すことが出来るの」

「その、抜け出すことの出来る確率は?」

「残念ながら、はっきりとした数値は分からない。抜け出した船が、とくにスウェンディラの港から母国に向かった船からの脱出報告はほとんど得られないから」

「……なるほど」


 数値が足りない。情報もまったく足りていなかった。

 何よりも王の政治やら、異教徒など真実を導くにはノイズが多い。


「ちなみに、その異教徒の僧侶はどのような方法で”死神の手”を回避しているんだ?」

「……生贄よ。大型の家畜、おもに牛などに錘をつけ、生きたまま海に放り込んでいると聞くわ」


 その言葉に清貴は牛のように低く唸った。





 シグリとゼノンが部屋を出ていった後には、シスター姿のアレスのみが残っていた。

 会議の間中、アレスは沈黙を守っており、皆の会話の邪魔にならないよう注意を払いながら給仕を務めていた。


「……聖女さま」


 未だ机の上の資料に齧りついていた清貴にアレスは遠慮がちに声をかける。


「ん、どうした?」

「明日は現地視察に向かわれるという予定でいらっしゃいますか?」

「ああ、そうなるな。ここにある資料だけじゃまったく足りん。大事なのは見えているデータだけじゃない、見えていないデータが何であるか知ることだ。まずは生の声を聞くことが必要になる」


 清貴の言葉にアレスはしばし沈黙する。


「アレス、何か言いたいことがあるなら教えてくれ」

「……そうですね、ドルドマン教徒の動向が気になります。彼らはこの地の人々の不安をよく理解しています。

 真実よりも、目に見える『犠牲』と『儀式』を求める大衆の心理を」


 アレスの口ぶりに普段は表に出ない、冷ややかな一面を垣間見て、清貴はノートを書き殴る手を止める。


「それで?」

「聖女様がこの現象を暴くことは、彼らの食い扶持を奪うだけでなく、彼らが守ってきた『神の威光』を地に堕とすことになります」


 清貴の眉間に深く皺が刻まれる。

 アレスはだが、はっきりとその先を口にした。


「聖女様の目的を知った時、彼らは牛ではなく、あなたを海に放り込もうとするでしょう」

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