事故調査ファイル_死神の手①
本エピソードより新規執筆分となります。
掲載済みの『事故調査ファイル_湖の魔瘴』は一挙公開しましたが、新規分より毎日一話ずつ12時に投稿予定です。最終話まで執筆済、全4部構成、各部6~7話となります。
パチュミアン湖インシデントから数か月、清貴はヴェネンティカ王立研究所の一角の『大陸事故調査委員会』に居を構えていた。
調査員、研究員は現在のところ魔塔の魔術師や学院の教授などと兼業のものが多いが、ナサニエルの働きにより専任として働いても十分に生活出来る環境が整いつつある。
清貴の生活は順調だった。
もとより生活が不規則で、食事にしても適当にあるものを胃に詰め込むだけだった清貴は、異国の食事にもすぐに馴染んでいった。
唯一、珈琲がないことが苦痛であったが、これについては学者たちの伝聞とナサニエルの外交によって、南方諸国から買い入れることに成功した。
かくしてヴェネンティカ王国では一大珈琲ブームが訪れていた。
商魂逞しい商人たちが”あの聖女様ご用達”と触れてまわったせいでもある。
独特に苦みと泥のような見た目、さらに焦げた異臭を漂わせるそれは最初こそ倦厭されたものの、美食家の貴族たちの間ではじわじわと人気に火がついた。次第に”珈琲を飲むと聖女様のように頭脳明晰になる”などという胡散臭い噂話とともに王国を席巻することになったのである。
なんにせよ「珈琲は血液」と豪語する清貴にとっては、美味しい珈琲にことかかない生活はそれだけで十分に快適であった。
因みに清貴の身の回りの世話には相変わらずシスター衣装のアレスが付き従っており、美味しい珈琲を入れるのもアレスの役目であった。
アレスの女装は日に日に進化しており、最近では遠目から見れば十分に美女に見えるようになってきていた。男性的な体格を隠すために衣服を改造し、喉ぼとけや肩幅を目立たなくしたり、ウェストの位置を高くしたりという涙ぐましい努力によって、徐々に不自然さが消えていったのだ。
これは清貴があずかり知らぬことだったがアレスは”ナチュラルメイク”も極めつつあった。可哀そうな新人の騎士が「あの可憐なシスターはどこのどなただろうか」と囁き合う場面も存在していた。
――閑話休題。
ナサニエルが外交官であるカーマンを連れて清貴の執務室に訪れたのも、ちょうど午後の珈琲を飲んでいた時のことだった。
「”死神の手”と呼ばれる現象を聖女様の手によって解決して頂きたいのです」
形式的な挨拶を終えたあと、カーマンが切り出した言葉に清貴は顎をさすった。
「それは”事故調査委員会”に対しての依頼と受け止めてよろしいですか?」
「はい。正式な依頼書に関しましては後ほど貿易管理局より提出させて頂きます」
「では分かっている範囲でその”死神の手”とやらの情報を教えて下さい」
カーマンは重々しく頷くと言葉を選ぶように口を開いた。
「この依頼は正式には、同盟関係にあるスウェンディラからのものとなります。
スウェンディラはここより北方に位置しており、海に面した貿易国家です。我がヴェネンティカ王国ではおもに鉄鋼を輸入しております。
……しかしながら、このスウェンディラの港はたびたび原因不明の沈没事故が起こるのです」
「沈没事故、……それが”死神の手”と言われている、と?」
「左様でございます。まるで海から死神の手が伸びてきたかのように舵をとられる事からそのように呼ばれております」
「藻が絡まったりなどの物理的要因ではなく、原因不明という事ですか?」
「そのように聞き及んでおります。我が国の貿易船もすでに数隻が原因不明のまま海に沈んでおります」
カーマンはそこで言葉を切ると、窺う視線をナサニエルに投げた。
ナサニエルは肩をすくめ改めて清貴に向き直る。
「実はね、この件は面倒な政治的な一面に絡んできているんだ。すなわち、何者かが意図的に船を沈めているのではないか、という憶測が飛び交っている」
政治的と聞いて途端に清貴の顔が渋くなる。
「一つ目はスウェンディラが他国の貿易船を沈めることで、利益を増やそうとしているというものだ。
我が国としてはどうしてもスウェンディラの鉄鋼が必要になるからね。積み荷が失われればその分だけ買い直しが必要になる」
「……他国の港で船が沈んだ場合、何ら保証制度がない、という認識で間違いないかい?」
「その通りだ。それに加えて、スウェンディラは沈んだ船や岸に流れ着いた荷物は、その土地の領主のものになるという法が存在している。船が沈めば大損な上に、運よくどこかに流れついても奪還は不可能という訳だ」
「そらまた随分と横暴なもんだ」
清貴は呆れた顔で溜息を吐いた。
ナサニエルは薄く笑みを浮かべてから穏やかに言葉を続ける。
「ただ僕はスウェンディラの陰謀である説は薄いと思っている。理由は明解。スウェンディラの貿易船も同じ海域で数多く沈んでいるからだ」
「なるほど」
「二つ目はスウェンディラよりさらに北部に位置するノルディンランド公国のダム解放が原因というものだ。
ダムを解放する際には下流の国家に対して事前通告をするのが慣例だ。しかし秘密裡にダムを解放することによって経済を圧迫する狙いがあるのではないかという話だね」
「それにたいしてノルディンランド側の意見は?」
「事実無根だと言ってきている。ただダムの管理は国家機密に等しいからね。事実関係の裏どりは出来ていない」
「まぁそれもそうだろうな」
「そのほかにも、スウェンディラで異教とされるドルドマン教徒たちの呪詛が原因であるとか、高速船に乗った海賊が犯人であるとか、あげればきりがない。でも僕はこれが、君のいう”科学”で解明出来る事象ではないかと思っているんだ」
口調こそ穏やかだがナサニエルは清貴を煽るのが上手かった。
その空色の涼やかな瞳は”もちろん、君なら出来ないなんて言わないだろう?”と語っている。
清貴は鼻を鳴らすと、不敵に口角を持ち上げた。
「ああ、勿論だとも。事故調査委員会の初仕事として、見事解決してみせようじゃないか」
スウェンディラの港は”大海獣の顎”と呼ばれるに相応しく、入り組んだ地形と切り立った崖の合間にある。
周囲には深い霧が立ち込めており、清貴が乗った船の先端には船の衝突を防ぐための魔石が青白い光を放っていた。
ギィギィっと船を揺らす波音はどこか不気味で、汽笛を鳴らしながら別の船がゆっくりと通り過ぎていく。
港へ近づくにつれ朝霧は薄くなり、やがてスウェンディラの港町が見えてきた。
海風は吐く息が白く濁るほど冷たく、甲板に立っているだけで足元から凍り付いていきそうだ。
まず最初に見えたのは荷揚げにつかう巨大クレーンが立ち並ぶ姿で、それは首長竜のようだった。
港周辺には鍛冶場が集まっており、金属を打つ音があちこちで響き渡り、至るところで煙が立ち上っている。
その向こうに見える街並みは象徴的な赤色の木造建築が軒を並べていた。
「なるほど、……鉄鉱石の副産物を塗料として使っているのか」
清貴は街並みに眺めながら誰ともなく呟く。
船から降り立てば五日ぶりの揺れない大地に、ほっと息を吐き出した。
もともと外回りの多かった清貴も慣れない風土の船旅は心身を削るものがある。
だが、深呼吸をするのも束の間、すぐにスウェンディラ王国の使者が現われ、慌ただしく馬車に乗り込むこととなった。
「この地域は積雪が多いのか?」
馬車での移動の合間、清貴は小窓から外を眺めながら使者に尋ねた。
「はい、その通りです。冬場は人の背丈以上の雪が積もることも珍しくありません。よくお分かりになりましたね」
「ああ、ほとんどの家が一階部分は石造り、二階以上が木造になっている。屋根の傾斜もきつい。これは積雪や雪解け水に備えた作りだ」
「素晴らしい観察眼でいらっしゃる。つい二週間前まではほとんどの家々が雪に覆われておりました。今はご覧の通り、大方の雪は溶けましたが街中がぬかるんだ状態です」
使者の言葉通り、正面通りの石畳の道ですら往来によって運ばれてきた泥によって緩くなっている。泥に車輪をとらわれた荷馬車を総出で押し出している様子も目に入った。
やがて馬車が止まったのは、港を見下ろす高台に建つ、武骨ながらも気品のある石造りの離宮だった。
「こちらが清貴様のご滞在先となります。……そして、こちらが今回の件の責任者である、第三王女のシグリ様にございます」
出迎えたのは、この世界には珍しくドレスではなくパンツスタイルの少女だった。年のころは17か18歳くらいだろうか。
煌めくブロンドの髪は王族らしく毛先まで整えられているが、その瞳に宿る好奇心の色は幼い子供のようでもある。
知性と快活を兼ね備えた王女は、清貴の前に進み出ると恭しいカーテシーを披露する。
「第三王女シグリにございます。父に代わり聖女様にご挨拶申し上げます。この度は”死神の手”の調査をお引き受け下さりありがとうございます」
若い女性との交流機会などほとんどない清貴は僅かにたじろぎ、頭をかきながら会釈を返す。
「……清貴だ。聖女様っていうのは勘弁してくれ」
「かしこまりました、清貴様」
シグリの丁寧な対応に清貴は僅かに眉を寄せた。有体に言えば、責任者が王族、それも王女というのはやりにくくて仕方がない。
その様子を見たシグリはふっと相好を崩す。
「分かったわ。堅苦しいのはここまで。さぁ、外は寒いから中に入って。淹れたての珈琲を用意したわ。それとどろっどろに甘いスモアもね。頭をフル回転させるには甘いものが必要、そうでしょう?」
王女の変貌に使者は頭を押さえ、清貴は眉尻をひょいっと持ち上げた。




