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事故調査ファイル_湖の魔瘴③

 パチュミアン湖周辺はお祭り騒ぎになっていた。

 清貴を中心とした魔術師や学者の一団に加えて、グランガラムを運搬してきた騎士団たち。湖に管を設置するための技術者たちだけでも相当な人数になっていたが、それに加えて清貴の噂を聞きつけた周辺各国の知識人がどこからともなく湧いてきたのだ。

 人が集まるとどうなるか。

 さらに人が集まるのである。

 事情はよく分からないが何かあるらしいという物見遊山の貴族たちが集まってくれば、それを目当てに行商人もやってくる。

 かくしてパチュミアン湖周辺は多くの人々でごったがえし、大変な騒ぎになっていた。


「一歩間違えたら大惨事だってのに、呑気なもんだ」


 高地に設営した野営地から、清貴は呆れた顔でごった返す人々を見つめていた。

 眼鏡越しの視線は剣呑というよりは諦観で、さしたる感情の色はない。

 ガス抜き作業の準備は着々と進んでいる。魔術師たちの技術と、清貴の知識によって湖底を探るソナーを作成した。これにより、管の挿入地点を確定し、アンカーをつけて投下する準備が進行中だ。

 草食龍グランガラムの腸は驚異の400メートルに達しており、ガスの排気口も湖周辺の村々から離れた安全な地域まで延長できることも分かっている。サイフォンの原理でガスを吸い上げるために管を真空にする手段も、風魔法によって成立することが確認済だ。


「やぁ、僕の小鳥。こんな所にいたんだね」


 背後から聞こえる声は振り返るまでもなくナサニエルだ。

 ナサニエルは清貴の傍らまでやってくると肌ざわりの良いローブをそっと肩にかけて来る。

 相変わらずのパーフェクトイケメン対応だった。


 ――小耳に挟んだ噂によれば、召喚された聖女が不安にならないようにイケメンで囲むというのは公式運用であるらしい。

 聖女召喚を行っているセレスティア派が作った『聖女の取り扱い方』に記載されているそうだ。

 教会の指示としてあまりにも世俗的だがそれなりに効果はあるのだろう。

 だとしてもだ。

 その聖女がおっさんであったのだから、マニュアルは無視して柔軟に対応して欲しいものだった。


「まさかパチュミアン湖の瘴気が恒久的に解決できるなんて思ってもみなかったよ。すべて君のお陰だ」

「現場じゃそうやって気を抜いた時が一番危ない。喜ぶにはまだ早いぞ」


 清貴が静かに返すと、ナサニエルは肩をすくめて眉尻を落とす。


「君の献身には心から感謝しているんだ。王子としてだけでなく、一人の人間として貴方を尊敬している」

「確かに、無辜の民を救うのは僕の使命だ。だが僕が協力したもっとも大きな理由は、今後いっさい聖女召喚などという愚行が繰り返されないためだ。

 ナサニエル王子、あなたはそうやって聖女に気を遣い、癒す事を公務と心得ているようだ。実際、かつての聖女たちもその気遣いによって癒された者もいるだろう。

 だが、残された者たちのことを想像した事はあるかい?」


 清貴は振り返るとまっすぐにナサニエルへ視線を投げた。

 平均的な東洋人である清貴はナサニエルに比べ小柄であったし、武人でもなければ体格も決していいとは言い難い。

 だが、清貴の瞳は、……事故調として現場を渡り歩いてきた男の目は、歴戦の将にも劣らぬ鋭さだった。

 厚いレンズ越しの双眸は、王族の男を臆することなく見つめている。その黒い瞳に宿るのは知識という名の深淵だ。


「僕はね、様々な事故の現場を訪れた。残された者というのは悲惨なんだよ。彼らはその後の人生に”後悔”の二文字を刻み込まれる事になる。

 何か出来ることがあったのではないか。何か予兆を見逃したのではないか。

 なにか、なにか、なにか……、永遠にその問いを繰り返す。そして、その問いかけに答えてくれる者は二度と戻って来ないんだ。

 とくに、犠牲者が発見されない場合はなおさらだ。残された者は”希望”の名を借りた”絶望”とともに生き続ける。もしかして生きているんじゃないか、という予感は時として死よりも重い」

「それは、……」


 絶句するナサニエルに清貴は微かに笑う。


「ただ、僕が君の立場であったならば、例え残された家族の苦難を知っていたとしても、聖女を召喚するという選択をせざるを得ないだろう事も理解する。僕自身は天涯孤独の身の上だ、個人として恨んでる訳じゃない」


 ナサニエルが言葉を返せずに俯いていると、ふいに野営地が慌ただしくなり、伝令の兵が走ってきた。


「申し上げます! パチュミアン湖の住民たちが瘴気抜き作業を妨害すべく暴動を起こしております!」

「なんだって?」


 ナサニエルが問い返すと、伝令兵は緊張した面持ちで背筋を伸ばす。


「住民たちは、今後少しずつクリスタルを解体する予定であると聞いて混乱しております。湖周辺の村々にとって、クリスタル目当ての観光客は重要な資源になっていました。クリスタルが失われる事によって自分たちの生活が脅かされると、そう思っているのです」

「ああ、……ったく、人の本質ってのはどこに行っても変わらんもんだなぁ」


 溜息を吐いて歩き出そうとする清貴を、ナサニエルが手で制した。


「僕の小鳥、……いえ、清貴。あなたは現場の指揮を続けて下さい。国民の矢面に立つのは僕の仕事です。

 僕は貴方の代わりにはなれない。ですが、貴方がしなくても良いことを引き受けることは出来ます」


 ナサニエルの言葉は、静かで、しかし確かに王族の覚悟としての重みがあった。

 そうしてナサニエルは迷いもなく歩み出す。

 後ろ姿を見送りながら、清貴はその言葉に密かに感動を覚えていた。

 現場でも似たような事はたびたびあった。恒久的な対応と観光資源や住民の意思とが噛み合わない事は起こり得る。だが進んで矢面に立つ人物など滅多にいない。面倒な問題は盥回しにされ、それが現地の調査員にまで降りかかってくることも多々あった。

 あまりにも単純な話だが、研究者という立場にある清貴にとって”煩わしい事は引き受けるからお前は研究に専念しろ”と言う上司は、喉から手が出るほど欲したものだ。


「ふむ、これは、……参ったな、ここの鳥かごは案外と居心地がいいらしい」


 清貴は無精ひげの顎を撫でながらにんまりと笑う。

 勿論、小鳥でいる気は微塵もないが、居心地の良い巣は大歓迎だ。

 ここにはいない神官のアレスも、聖女が神聖力以外を用いて事象の解決を目指すことに反対した教会に対して、緩衝材として熱心に立ち回ってくれている。


「さてそれじゃあ、存分に羽を伸ばしてお仕事をさせて貰うかね!」


 ぱんっと手を叩く清貴は、ここへ来て初めて満面の笑みだった。





 かくしてパチュミアン湖のガス管設置作戦が決行される。


「各員、最終チェック。これよりグランガラム一号管(プライマリ・ライン)の沈設を開始する。全系統、ステータス報告!」


 魔導通信機片手に清貴の鋭い声が飛ばせば、すぐに応答がかえってくる。


「第一魔導部隊、通信良好。各中継地点の同期、完了しています!」

「アンカー部隊、準備完了! 聖女様の合図で一斉投下いたします!」

「よし。沈設開始! アンカー、リリース!!」


 パチュミアン湖上に設置された仮設基地から、湖底に向けてアンカーが投下される。

 湖畔に集まった群衆は、息を飲んでその様子を見つめていた。


「アンカー投下確認! ラインへの注水開始。現在、深度40、60……内部の空気を完全にパージしろ! 浮力を殺せ!」

「第三注水班、水魔法による強制充填開始! 一号管、満水になります!」

「第五監視塔より報告! 一号管のたわみ無し。潮流による流されも許容範囲内です!」

「深度150……180……まもなく湖底。目標の『瘴気溜まり』直上です」


 計測用魔動機を持った学者が慎重に数値を読み上げる。

 一歩間違えれば大惨事が起こりうる。湖底の瘴気を不用意にかき混ぜれば、いつ爆発が起こるか分からない。

 清貴はじんわりと汗が浮かぶのを感じながらも、極力感情を押し殺す。


「慎重にいけ……。ラスト10メートル。三、二、一……接地!」

「接地確認! センサー反応あり、管の先端が目標地点に到達しました!」


 野営地に集まった学者や魔術師たちの間から安堵の息が漏れる。

 だが本番はここからだった。清貴は通信機を握りしめる。


「管接続解除! フロート、切り離せ! 次、風魔法部隊、管内の排水準備!」

「風魔法部隊、スタンバイ! 管のアウトレットに真空圧を発生させます!」

「カウント開始。五、四、三、二、一……バキューム・オン!」

「フルドライブ! 管内の水を一気に引き抜きます!」


 ドォンと爆音が響き、管の先端から大量の水が噴き出した。

 管の終着点は湖から離れた地点にあるものの、一気に立ち上る水柱と振動は野営地でも十分に確認できる。


「排水完了!……インジケーター反応! 管内の圧力が急上昇、気化反応が始まっています! 自律吸引まであと一息!」

「……来い……、来い、頼む、来てくれ――ッ!!」


 清貴は拳を握りしめる。

 わずかな沈黙。

 ――暫時、管の先端から白い水蒸気が轟音とともに噴き出した。

 野営地でどっと歓声が湧き上がる。


「噴出を確認! フロー安定! サイフォン成立しました! 瘴気抜き、成功です!!」


 肩を叩き、抱き合って喜び合う学者や魔術師を見つめながら、清貴は大きく息を吐き出しずるずると椅子に沈み込んだ。

 圧し掛かってくる疲労感は、だが今までにないほどに心地よい。


「ああ、悪くない、悪くねぇな」


 清貴は汗ばんだ拳を握りしめる。その目には新たなる決意が宿っていた。






 パチュミアン湖の惨劇を退けたその日は、歴史に刻まれる最初の一歩となった。


 数ヶ月後、ヴェネンティカ王国に設立された『大陸事故調査委員会』の初会合において、清貴は壇上に立っていた。

 かつてのくたびれた白衣ではなく、ナサニエルが特注させた濃紺の正装を身に纏っている。眼鏡の奥の鋭い瞳はそのままに、無精ひげは整えられ、こびりついていた目の下の隈も今は薄くなっていた。


「……以上が、周辺諸国との共有を提案する、次なる安全基準だ」


 清貴が書類を置くと、会場を埋め尽くした各国の大使や学者たちから、嵐のような喝采が巻き起こった。

 その背後、一歩引いた位置には第一王子ナサニエルと、未だに「これも神の試練」と呟きながら、シスター衣装を纏ったアレスが控えている。


 聖女の「奇跡」が、科学という「知恵」へと昇華された瞬間。

 その活動は国境を超え、未曾有の災害から人々を救う、強固な平穏の礎となっていく。

 

 おっさん聖女・火野清貴。

 彼がもたらした真の奇跡は、湖の底から毒を抜いたことではない。

 絶望を「分析」し、明日への「対策」へと変える勇気を、この世界に根付かせたこと。

 それこそが正に、彼が成し遂げた最大の、そして最も華々しき偉業であった。




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