事故調査ファイル_灯篭の祭④
清貴はティムールたちとともにケマルダグの街を歩いていた。これから起こるであろう大惨事の火種を、この目で直接確認するためである。
清貴もゼノンも、そしてアレスも、黒蹄衆が用意してくれたこの地方特有の民族衣装に着替えていた。異国人であればそれだけで目立つのは確実であり、特にアレスのシスター服はセレスティア派のものであるため、源流派の聖地では最悪の場合、不敬罪で捕えられかねないからだ。
用意された衣装は、分かりやすく言うならば『アラビアンナイト』の世界に紛れ込んだかのような代物だった。
清貴とゼノンは、鮮やかな布地に豪奢な刺繍が施された上着を羽織り、腰にはまた派手な色の帯を巻いている。清貴はターバンを巻き、ゼノンは頭にぴったりとした帽子を被っていた。ズボンは乗馬袴のように大きく広がった裾を、頑丈なブーツに入れ込むスタイルだ。
アレスもまた、花や鳥など様々なモチーフが刺繍された、緩やかなローブにも似た美しいドレスを纏い、頭には顔の輪郭を隠すベールを被っている。着付けの際、アレスが「戦闘に支障がないか」を確認するためにドレスの裾を翻して切れ味の良い上段蹴りをかましていたことに、清貴は全力で見て見ぬふりを決め込んだ。
三人は中央広場から四方に繋がる通りを一つずつ歩いて確認し、道幅や坂の傾斜を細かく地図に書き込んでいった。
他にも群衆の障害となりうる剥き出しの下水道の堀や、各所にある境界門の形状、古い木造建築が過密に集中しているエリアなどをピックアップし、災害予測図――ハザードマップを仕上げていく。
やがて情報が書き込まれた地図は、清貴の予想通り、街の構造そのものが災害を誘発し、増幅させるための凶器と化した様をまざまざと表していた。
「ティムール、黒蹄衆はどれほどの人材を動員できる?」
様々な商店がひしめき合う裏通りを歩きながら清貴が小声で尋ねると、ティムールは慎重に顎をさすった。
「どのような作業を想定されているかにもよります。例えば、専門知識が必要なく、命の危険もない後方支援であれば、呼びかけ一つで多くのディタルニア人が動いてくれるでしょう」
「なるほど。では、お膳立てさえ整えておけば、マンパワーは十分に期待できる訳だな」
「ええ。……しかし、それも内容によります。悲しいかな、彼らの多くは『迫害してきた源流派の巡礼者どもを、なぜ自分たちが積極的に救わねばならないのか』という冷めた感情を抱いているのも事実ですから」
「ふむ、……つまり、巡礼者を助けるためではなく、『自分たちの住処と命を守るための防衛策だ』と納得して貰えれば問題ないわけだね」
「その通りです」
裏通りを見て回るだけでも、ケマルダグの街が抱える歪さが浮き彫りになっていく。
そこには様々な商店が並び、色鮮やかな布や手編みの籠、干した肉や果実を売る活気ある市場が形成されていたが、源流派のペトラーダ信者はただの一人も見かけない。彼らはきらびやかな表通りのみで買い物を済ませ、この裏通りには決して近づかないのだ。
たった一本、路地を挟んだだけで、完全に断絶した二つの文化圏が存在している。
第二の聖都が築かれて百年。二つの民族は交わらぬまま、冷え切った均衡を保ち続けてきた。平時であればそれも一つの生き方かもしれない。しかし、五十年前のように予期せぬパニックが起きた瞬間、この断絶は決定的な憎悪と殺戮へ変貌する。
「領主も火災のリスクは認識しているものの、打つ手がないと言っていたな。……領主側に、こちらの対策をねじ込む『話し合いの余地』はあるかい?」
「それも提案の中身次第でしょう。清貴殿は、どのような交渉を望まれているのですか?」
「避難経路の公認、誘導要員としての憲兵へのルート周知、そして事故発生時を見越した救護用食料・物資の事前買い付けだ。彼らのメンツを潰さず、暴動を防ぐための『警備計画』として提出すればどうだ?」
「……それでしたら、大義名分が立ちます。領主とて、百周年の式典を血で汚したくはないはず」
「了解した。一度、本部に戻って作戦を練ろう」
黒蹄衆の本部へと戻ってきた清貴は、完成したハザードマップを円卓に広げると、すぐさま巡礼者たちの予測動線を割り出す作業に入った。
正面門から入った群衆が広場までどう進むか。広場で火災が起きた際、パニックを起こした人々はどの方向に逃げ出し、どこを「安全である」と誤認するか。そして、大勢が押し寄せた結果、逃げ場のない『圧死地帯』へと変貌してしまうボトルネックはどこか──。
あの細く急な坂道は、間違っても逃げ込ませてはならない最悪のトラップだ。一度入り込めば、群衆は瞬時に身動きが取れなくなる。その先に待っているのは、五十年前とまったく同じ凄惨な群衆雪崩だ。
「祭典が始まり次第、この細道の入り口はすべて封鎖してしまおう。元々、周囲の家々が密集していて入り口自体が分かりにくい場所だ。巡礼者たちが広場の祭典に目を奪われている隙に、土木ギルドを中心とした作業員たちで一気にバリケードを築く」
「しかし清貴殿、逃げ惑う群衆がバリケードを見つければ、パニックを起こして力任せにぶち壊そうとするのでは?」
ティムールの懸念に、清貴は不敵に首を振った。
「だからこそ、いかにも『通行止め』と分かるバリケードにしては駄目なんだ。最初からそこには道など存在しない──ただの『壁』だと認識させる」
「壁、にですか?」
「ああ。パニック状態に陥った人間は視野が極めて狭くなり、直感的な情報しか処理できなくなる。高さはせいぜい2〜3メートルもあれば十分だ。周囲の石壁とまったく同じ材質・色に見える偽装板をあらかじめ量産しておき、設置した境目を泥や漆喰で塗り潰す。そうして祭りが始まった瞬間、速やかに路地を『消失』させるんだ。これなら群衆はそこをただの家々の壁だと信じ込み、別の広い通りへと流れていく」
「なるほど……! それならば現場での衝突も起きない。住人たちも、暴徒の侵入を防げるとなれば進んで偽装板の設置に協力するでしょう」
ティムールは目から鱗が落ちたように深く頷いた。
「さらに、封鎖しない大通り側にも『仕掛け』を施す。この地図で示した主要動線の中央に……すぐには動かせない巨大な荷車や、頑丈な石をつみ重ねた樽等をあらかじめ設置しておくんだ。特に、ボトルネックになる境界門の手前には必ずこれを置く」
「道を狭くするのですか?それでは逆効果では……」
怪訝な顔をする一同を見回し、清貴は円卓の地図を指で叩いた。
「いや、あえて通路の中央に巨大な障害物を置くことで、津波のように押し寄せる人の波を左右に『割る』んだ。これは人間の流れを制御する楔になる。
もしこれがなければ、群衆は門に向かって直線的に殺到し、門の手前で正面衝突を起こして互いの圧力で身動きが取れなくなる。専門用語で『アーチング』や『デッドロック』と呼ばれる現象だ。
だが、中央に障害物があれば、流れは強制的に二つのスムーズな一方通行に分配され、門の直前での圧力集中を劇的に緩和できる。単純だが、非常に効果的な群衆制御の技術だ。
ここまでの情報はあらかじめ領主に伝えておく必要がある。憲兵たちが貨物を撤去してしまっては意味がない」
この技術は、現代において、大勢が集まると想定される場所に応用されている。
単純ながらその効力が抜群だ。
ティムールは責任を持って領主に説明することに同意した。
「最後に、万が一の事態――災害が起こってしまった後の対策だ。あらかじめ大量の救援食料を確保し、それをケマルダグの街の中ではなく、近隣の村々に分散して保管しておく」
「……それは、あたしらディタルニア人が、あの巡礼者たちに無償で施しをしろって事かい?」
ヨンジャが眉をひそめ、円卓のギルド長たちからも不満のざわめきが漏れた。
迫害の歴史を思えば、当然の反発だった。
「考えてもみろ。確かにその瞬間は持ち出しになり、損をするように思えるかもしれない。だが、それによって災害発生後の『暴動』を未然に防げるのならばどうだ?
歴史上、大災害の後に起きる凄惨な暴動や殺戮は、その大半が『食料不足』と『配給の不平等』への恐怖が原因だ。しかも今回は、黒蹄衆がボイコットして街の供給網が止まっている。そこへ被災直後、ディタルニア人が組織的かつ迅速に食料を配給したとなれば、飢えと恐怖でパニックになっていた巡礼者たちも、怒りの矛先を失って大人しくなるはずだ」
「確かに、理屈ではそうですが……」
「いいか、ティムール。これは、惨劇を防ぐための防壁であると同時に、今後あなたたちが領主や教会と行うあらゆる交渉において、『最強の切り札』になり得るんだ」
清貴は、円卓の面々をまっすぐに見据えた。
「百周年という歴史的な節目に起こった、聖都の大災害。その生き地獄の中で、源流派の信者たちに命の糧を与え、救い出したのは誰だ?
――他でもない、彼らが日陰者として虐げてきたディタルニア人たちだ。この『歴史的事実』が持つ政治的な重みが、どれほどのものか分かるか?」
黒蹄の間が、水を打ったように静まり返った。
数千、あるいはそれ以上の信者を救う。それも、他ならぬディタルニア人の手によって。
もしそれが実現すれば、今後あらゆる内政の場において、源流派や領主は今までのような高圧的な態度を保ち続けることは、道徳的に不可能になる。彼らはディタルニア人に「命の借り」を作ることになるのだから。
弾圧の歴史に終止符を打ち、対等な地平に立つための、正当な話し合いの場。
それを得るための、これは血を流さない戦いなのだ。
あるいはこの混沌は、さらなる歪みや摩擦の原因になる可能性も秘めている。
だが、清貴は信じていた。
ティムールをはじめとする黒蹄衆たちは、源流派の信者たちを一方的に憎み、絶滅させたいわけではない。ただ、人間として向き合うための席が必要なだけなのだ。
おそらくそれは、気の遠くなるほど長く、険しい道になるだろう。
それでも――彼らならば、いつか必ず成し遂げるはずだ。
「……清貴様」
長い沈黙の末、ティムールが深く、深く息を吐き出しながら、畏敬の念を込めた言葉を漏らした。
「どうやら貴方は、ご自身が思っているよりもずっと……『聖女』の名に相応しいお方のようだ」
安全工学のシミュレーションと、二次災害を防ぐための冷徹なリスク管理のつもりだったのだ。
清貴は、その過大評価に顔をしかめ、呻きながら全力で首を振った。
「――それだけは、本当に勘弁してくれ……」




