事故調査ファイル_灯篭の祭③
黒蹄の間は、ヴェネンティカ王国の迎賓室とはまったく異なる趣きだった。
建物そのものは石造りの無骨さがあるものの、内部は色鮮やかな花の紋様が描かれたタイルで彩られており、その精密さに圧倒される。
ヴェネンティカにおいて「贅」とは空白の美として残されていた空間だったが、ケマルダグにおいては圧倒的な質量によって埋め尽くされていた。絨毯も、カーテンも、その表面には膨大な時間をかけて編み上げられた紋様が躍っている。それらはしかし、決して華美ではなく、厳格な秩序として存在する独自の美学として成り立っていた。
ギルド長たちが集まった部屋の中央に置かれていたのは、大陸事故調査委員会と理念を同じくするような、境界のない円卓であった。
座しているのは皆、浅黒い肌を持ち、立派な髭を蓄えた面々だ。長く伸ばした髪に数々の金属装飾をつけた者もいれば、数は少ないものの女性も混じっている。彼女たちもまた、荒くれの男たちに引けを取らない、猛獣にも似た鋭い佇まいを見せていた。
一目見て伝わる活気。それは声を上げて大騒ぎするような性質のものではなく、淡々と、だが泥水を啜ろうとも生き延びてきた者たちの強かさであった。
短い挨拶を済ませたあと、ティムールが静かに口を開いた。
「こたびの定礎奉献祭に関する協議を開始いたします。まずは祭りの概要に関して……ヨンジャ」
「はいよ」
名を呼ばれて腰を上げたのは、一癖も二癖もありそうな女首領であった。
ディタルニア人の中でも極めて濃い肌の色をしており、その瞳はブルーダイヤを埋め込んだかのように鋭く輝いている。
「紹介に預かった、土木ギルドの長を務めているヨンジャだ。……ああ、悪いね清貴サマ、アタシはあの教会連中みたいなけったいな口調は苦手なんだ。こっから先はいつも通りで行かせてもらうよ」
ざっくばらんなヨンジャの言葉に、清貴は穏やかに頷いた。
この会議の場にいるのは各ギルド長とその側近のみであり、大陸事故調査委員会の代表が清貴であることはすでに周知されている。
「それじゃあまず、祭りについての概要を説明する。この祭りはケマルダグの中央広場に『聖なる礎石』が奉納された日を記念して、毎年行われているものだ。おおよそ、五千人ほどが訪れるのが通例だが、今から五十年前……つまり、五十周年の年には、例年の倍以上の巡礼者が訪れたと記録にある。
その時の大混乱の様子については、この後で別の者が説明するが……祭りのメインイベントは中央広場でのランタン奉納だ。紙に蝋を塗って作ったランタンのオイルの火皿を灯し、その熱気で空へ放つ。一斉に浮かび上がる姿はなかなかに壮観でね。ペトラーダの信者じゃない者も、これを見物するためだけに訪れるほどさ」
ランタンを空に飛ばす、と聞いて、清貴の胸に嫌な予感がひしひしと這い上がり始めていた。
高低差のあるすり鉢状の街、細く急な坂道、そこにひしめき合う巡礼者たちの可燃性のテント。この時点で災害の予兆が満載なのだ。
そこに大量の火種を空中へ放つとなれば、それは巡礼というより、もはや殉教者に等しい地獄絵図になりかねない。
「しかも今年は、さらに百周年を記念しての祭りだ。訪れる巡礼者の数は、少なく見積もっても五十周年の時と同様、一万人以上と推定されている。……だがね、五十年前よりもさらに状況が悪化して、危険極まりなくなっている問題が複数あるんだ」
ヨンジャは幾重にも指輪をつけた細い指を一本ずつ立てながら告げた。
「一つは、街の発展に伴って建物の過密化が進み、五十年前よりも遥かに家々の隙間が狭くなっていること。
二つ目は下水だ。以前から祭りの最中に下水溝へ転落する事故はあったが、現在の下水はアタシら土木ギルドが以前より深く掘り下げちまってる。しかも、その上に巡礼者がテントを張って入り口が見えなくなる。もし足を踏み外して底まで落ちれば、ただの骨折じゃ済まない。多くの死傷者が出るだろうね」
それだけではない。
流れる水がない深い下水だ。底には高濃度のメタンや硫化水素が滞留する。落ちればケガどころか、数分でガス窒息死しかねない。
清貴が脳内で最悪の計算を弾き出している間にも、ヨンジャの説明は続いた。
「そして三つ目、これが一番最悪だ。ランタン自体が昔に比べて別物になっちまってる。かつてランタンの火皿には獣脂が使われていた。これは低温で穏やかに燃える。だが今は、より安価で高温のオイルが使われているんだ。
その上、通常なら手漉きの厚い紙に渋を塗って破れにくく加工するはずの風船部分が、今年は大量発注のせいで、ペラペラの薄紙にワックスがまばらに塗られただけの粗悪品さ。ワックスの原料も調べさせたが、アルテ地方で採れるアルテハゼを使ってるらしい。コイツは防風用としちゃ役に立つが、防火としての効果はないに等しい。
まぁ実際見てみるのが一番早いだろうね」
ヨンジャは祭り用ランタンをとり出すと、それを清貴に差し出した。
受け取って調べてみれば表面の紙こそ色鮮やかだが、よほど急いで作らせたのか中の骨組みも粗雑であったし、光に翳せばワックスのムラも目に見えて分かるほどだった。
「部下に試しにいくつか火をつけさせてみたら、十個のうち一個は、空に登る途中で風船そのものに引火して『空飛ぶ松明』になりやがった」
「……実際に試してみても?」
清貴の言葉にヨンジャが頷き、一同は会議室から中庭に出る。
用意されていたいくつかのランタンに火をつけると、僅か四つ目で激しく燃え上がった。
その様子に、円卓の面々から悲鳴にも似た重い呻き声が漏れる。
「これは……あまりにも危険すぎる。領主はこれほどの火災リスクを理解していないのか?」
円卓に戻った清貴が遮るように尋ねると、ヨンジャは吐き捨てるように首を振った。
「領主も理解はしてるさ。だが、止める術がないんだよ。今さら門を閉ざせば暴動になるし、ランタンを禁止したところで、信者どもが勝手に持ち込んじまえば現場の兵士じゃ抑えきれない。
上がいくら危険を理解していても、押し寄せてくる末端の連中が何も分かっちゃいないせいで、誰にも止められない状況なんだ。上の連中に出来ることと言えば、何も起こらないでくれと神に祈るくらいだろうね」
「無責任にもほどがあるな……」
頭の痛くなるような杜撰なリスク管理に、清貴は大きなため息を吐き出した。しかし「狂信的な大群衆はコントロールできない」というのは、動かしようのない現実なのであろう。
「祭りにおいて懸念すべき点は、まだあります」
絶望的な場をさらに追い詰めるように、再びティムールが口を開いた。
「先ほど、多くのディタルニア人が街の外へ逃げるとお話しいたしました。当然、我々商業ギルドもその多くは窓口を固く閉ざすことになります。つまり祭りの間、この街の供給網は完全な空白地帯となる。
当然、その機会を外部の強欲な商人たちが見逃すはずもありません。特に今回は百周年の大祭です。おそらく当日は、他国や近隣から小銭稼ぎの商人が詰めかけ、あらゆる路地裏にまで、所狭しと即席の屋台が立ち並ぶことでしょう」
最早、街全体で壮大な集団自殺でも図っているのかと言いたくなる。
清貴はこめかみを押さえたくなった。
ただでさえ狭く過密な坂道に、外部の人間が火気を使う屋台を無秩序に並べる。それはいざという時の避難経路がより狭まるという事だ。
完璧なまでの災害のドミノが、清貴の頭の中で音を立てて倒れ始めていた。
「なるほど、……それで、五十周年の時には何が起こったんだ?」
「それは、私からお話いたしましょう」
しゃがれた、しかし確固とした声が円卓の端から響いた。
声の主はかなり高齢であることが窺えた。髪は全て白く染まり、顔は深い皺に覆われている。その刻まれた皺の一つひとつに、長い年月を生き残ってきた者の苦難が刻まれているかのようだった。
「五十周年の祭りの際、この街のあらゆる通りは巡礼者たちで埋め尽くされました。最初に何が起こったのか、今となってははっきりと記憶している者はおりません。ただ、広場でランタンを飛ばす段階になって、どこかで小さな火災――小火が発生したのは確かなようです。
それで広場に凄まじい混乱が生じました。誰かが悲鳴を上げ、それが波及してみなが一斉に混乱に陥った。そして我先にと、狭い出口へ向かって逃げ出したのです。
その時点で、広場では多くの者が転び、その上を踏みつけて逃げる者が現れました。
幸いにも小火自体はすぐに消し止められ、広場の混乱は終息するように思われました。しかし……その時点で、街の裏手ではすでに、取り返しのつかない事態が発生していたのです」
老人は当時を忌まわしく思い出すように、苦痛に目を伏せた。
「広場から命からがら逃げ出した巡礼者たちは、周囲の細い坂道にも殺到しました。その中でも、我らディタルニア人が住む貧民街を通る坂道は、傾斜がきつい上に舗装も行き届かず、道幅もかなり狭かった。しかも、立ち並ぶ家々の住人の多くは、暴徒化しかねない巡礼者を恐れて、戸口を固く閉ざしていたのです。
逃げ場を失い、そこに詰めかけた巡礼者たちは……やがて、その場から一歩も動くことが出来なくなってしまいました」
清貴には、その先の凄惨な光景がありありと想像できていた。
それは、最悪の都市型災害――『群衆雪崩』が起こる寸前の状態だ。
一箇所に人々があまりにも過密に集まった際、群衆は「個」としての自由を失い、まるで巨大な液体の塊のような挙動を見せる。個人ではまったく身動きを取ることができなくなり、集団そのものがうねる波となって揺れ動くのだ。
閉じ込められた人々は、異常な圧力によって呼吸困難に陥り、立ったまま圧迫死するか、肋骨をへし折られる危機に晒される。そして何らかのきっかけ――誰か一人が意識を失って崩れるなどすれば、その圧力のバランスが一気に崩壊する。
――人々が文字通り、雪崩のようにいっせいに折り重なって倒れるのだ。
清貴のいた世界でも、ハロウィンの夜に都市の狭い路地裏でこれと全く同じ惨劇が起きた。あの時は、わずか一平方メートルの空間に十七人もの人間が詰め込まれていたと言われている。それが一息に崩壊すれば、いかなる地獄絵図が繰り広げられたか想像するだけでも恐ろしい。
何より事故調査員として許しがたいのは、この『群衆雪崩』という悲劇は、事前の動線設計や入場規制といった危機管理を徹底してさえいれば、そのほとんどが“防げたはずの人災”であるということだ。
「細い通りで完全に立ち往生し、押し潰されかけている人々を見て、閉ざしていた住人たちも慌てて助け出そうとしました。ドアを開き、一人でも多く家の中に引き入れようとしたのです。しかし……あまりにも過密に寄り集まり、互いの体が楔のように噛み合ってしまった人々は、外から引っ張る程度ではびくともせず、助け出すことさえ出来ませんでした。
そして……彼らは一斉に崩れ落ち、人が人の下敷きとなって、数え切れないほどの命が失われたのです」
老人は円卓の上に乗せた拳を小刻みに震わせながら、血を吐くような言葉を続けた。
「事故の後もまた悲惨でした。生き残った巡礼者たちは、門戸を閉ざした住人たちの冷酷さがこの死を招いたのだと怒りに燃え、貧民街に火を放ったのです。街のあちこちで凄惨な衝突が起こり、多くの血が流れました。
……あのような悲劇を、二度と繰り返してはならない」
「――その通りだ」
清貴は深く、強く頷いた。
この地に足を踏み入れるまでは、今回の依頼に対していささか政治的なきな臭さを感じ、懐疑的な部分もあったのは事実だ。
しかし、今は違う。自分たちの持つ現代の安全工学の知識と行動によって、これから確実に起こるであろう「既知の惨劇」を縮小することが出来るのだ。
ここで自分が何もしなければ、五十年前とは比べものにならない規模の地獄が繰り返される。
清貴の胸中で、そして円卓に集ったディタルニアのギルド長たちの瞳の奥で、悲劇を絶対に阻止するという静かな、しかし苛烈な使命の炎が燃え上がっていた。




