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事故調査ファイル_灯篭の祭②

 ケマルダグは、なだらかな丘陵地帯に穿たれた、すり鉢状の巨大な城郭都市であった。

 街を遮絶するようにそびえ立つ堅牢な城壁の外には、入街審査を待つ多くのキャラバン隊が長い列を成している。

 空気はひどく乾燥しており、冬に向かう季節柄、頬をなでる風は容赦なく肌の水分を奪っていった。近隣には広大な湖があるものの、内陸特有の乾いた大地は水源に恵まれているとは言い難い。氷点下まで厳しく冷え込む夜であっても、雪が降ることは滅多にないとのことだった。


 今回の訪問はトップシークレットだ。目立つ飛空艇を使うわけにもいかず、清貴たちはティムールが率いる商隊の荷馬車に身を潜め、厳重な正面門をくぐり抜けた。

 街に入って清貴の目を引いたのは、独特な家々の構造だった。土台となる一階部分は強固な石積みだが、二階から上は木造の建築になっており、それが狭い路地を埋めるように頭上へとせり出しているのだ。

 すり鉢状の地形ゆえに街全体がひどい傾斜の斜面であり、正面の目抜き通りを除けば、道幅は馬車一台がやっと通れるほどに狭い。あちこちに点在する急な坂道と、頭上を覆う木造建築の圧迫感を見上げながら、清貴の胸に事故調査員としての微かな警戒心が芽生え始めていた。


「入り口の審査は随分と徹底しているんだな」


 馬車の荷台に揺られながら清貴が口を開くと、ティムールは低く唸るような音を漏らした。

 キャラバンの荷馬車の中でも清貴たちが乗り込んだ馬車は、車体を支えるバネが柔らかく作られており、隙間なく敷き詰められたクッションと厚手の絨毯によってたいそう居心地よく作られている。

 内部には甘い香が漂っており、小さな魔石ストーブも置かれている。天幕をまくり上げて外の様子を窺うための窓も複数設けられており、旅は予想よりはるかに快適であった。


「今は、その通りです」

「ずいぶんと含みのある言い方だな」

「ええ。ケマルダグの街は普段こそ警備が厳重です。しかし、祭りの時期だけは別なのです。巡礼者のために正面門は完全に解放され、多くの人々が際限なく流れ込んでくることになります」

「それは……治安維持という部分でも大問題にならないか?」

「まさしく」


 ティムールは眉間に深くしわを刻んで頷いた。


「街は巡礼者で溢れかえります。この街には彼ら全員を収容できる施設はなく、その多くが野外にテントを張る。広場は勿論、街の細道に至るまで、あらゆる場所が巡礼者のテントで埋め尽くされることになるのです」

「それでは街の機能が麻痺するんじゃないか?」

「流石にケマルダグの領主もそれは承知しており、正面通りだけは設営禁止として取り締まっています。しかしその分、しわ寄せのいった裏通りは巡礼者で満たされ、ろくに通行も出来ません。そしてそれは、清貴様の仰る通り、街の治安を著しく悪化させる要因となります」

「窃盗や、暴力事件が多発することになるだろうな」

「その通りです。それを助長しているのが、ケマルダグの住民の『人種』の差です。我々のように元々この地で生活していたディタルニア人と、他国から来る巡礼者たちとでは、肌の色も考え方も異なります。巡礼者たちは我々を卑しい先住民と考えており、搾取することに躊躇いがない者も存在する。

 裏通りの細道は夜間ともなれば真っ暗です。そこに巡礼者のテントがひしめいていれば、我々はそこを通り抜けるだけでも命がけになる。毎年、多くの若い娘たちが彼らによって被害を受けているのです」


 清貴は思わずぐっと息を呑んだ。

 ティムールの声は静かだが、その奥底には沸々と燃え滾るような、暗い怒りがはっきりと滲んでいる。


「その巡礼者が、今年はさらに増えるとなれば、祭りの前から街は一触即発の混乱状態になりかねないな」

「ええ。ですので、最近では祭りの時期となると多くのディタルニア人が街の外に出て、数日間をテントで過ごしています。今年もすでに、多くの同胞が近隣の村々へ避難を始めています」

「賢明だが……平等ではないな」

「まさしく。しかし、逃げるだけでは防げない問題もあります。一つは窃盗です。我々が家や商店を空ければ、その隙に盗みに入る者が現れる。元よりケマルダグの街は一部を除き、決して裕福とは言い難い。水も食料も常に最低限です。そこに多くの巡礼者が詰めかけたところで、元から足りないものは出しようがない。

 食料や水が不足すれば、それは命に関わります。故に、普段は善良な巡礼者であっても、生きるために盗みを働かざるを得なくなる」

「ケマルダグの領主は事前に食料確保をしないのか?」

「それに努めているのは確かです。しかし、物理的な必要量にはとても届かない。なぜなら、ケマルダグの物流を担っているのは我々、黒蹄衆なのですから。我らディタルニア人が、自分たちを迫害する巡礼者のために、貴重な食料を積極的に差し出すなど考えられないことです。

 我々の多くは、異教徒たる巡礼者が飢えて死ぬことに何ら痛みを覚えません。それどころか、犠牲者が増えることで祭りの規模が縮小されることを、心から願っているのです」

「ふむ、その考えの全てには賛同できないが……領主の立場であれば、それを織り込み済みで手を打つべきだろうな」


 低く唸る清貴に、ティムールは冷淡に肩をすくめた。


「それ以外にも、さらに不衛生な問題が発生します。見ての通り、この街の水資源は豊富とは言い難い。巡礼者が宿泊できる施設が足りないということは、彼らの食料だけでなく、その排泄物の処理も間に合わないということです。

 街はあっという間に悪臭で満たされ、下水道はすぐに使い物にならなくなる。……これに関しては、数年前に土木ギルドが街中の下水道を深く掘り下げたことで多少の改善はなされましたが、流れる水がなければ、ただ悪臭が地下に溜まる一方です」

「……なるほど、そういう問題もあるんだな」


 悪臭、だけではない。

 水のない下水道にそれだけの排泄物が溜まれば、伝染病の温床になる。さらに、発酵した排泄物から発生するメタンや硫化水素などの可燃性ガスが、逃げ場を失って地下に充満する危険性もあった。

 それは清貴にとって想定外、かつ極めて深刻な災害の予兆であった。

 しかし、この世界において衛生や気体の科学知識はまだ未発達だ。疫病のメカニズムや、ガスの可燃性について正しく理解している者は、おそらく清貴の他にはいない。


「問題が多いことは理解した。しかし君たちの依頼は、こたびの祭りの規模がかつてないものになることを前提とした安全対策だったな。今、聞いた問題はこれから対策するには時間が足りない」

「承知しております。これらの問題はケマルダグの街全体が変革すべき構造的な問題です。そして、この問題に聖女様がいくら正論を述べたところで、狂信的な彼らが聞き入れることは万が一にもないでしょう。

 ご安心ください。我々もそれは重々承知しております」


 ティムールの眼光が鈍く光る。

 そこにあるのは、虐げられた被害者の目ではなく、敵の喉元を虎視眈々と狙う肉食獣のそれであった。


「ふむ……君も商人だ。ただ『人道的な安全策』を練りたいというわけではないな」

「誤解です。我々はあくまで安全策を求めています。ただしそれは、もっと恒久的で、この街の支配構造を根本から変えるものでなければならない。ですが、今の我らにはそれを成し遂げるだけの発言力がないのです」

「言っておくが、僕は民族間の流血沙汰や、宗教戦争の手助けをするつもりはないぞ」

「存じております。我らも一方的に彼らを追い出そうと考えているわけではないのです。何故ならば、かつてこの街はもっと貧しく、人々は飢えていました。ここが聖地となったことにより、物流が盛んになり、我々の生活水準が向上したのは紛れもない事実ですから。ですが、それと我らが不当に虐げられるのとは話が別です」


 一度言葉を切って、ティムールは再び口を開く。


「――断言しましょう。こたびの祭りは、必ず恐ろしい惨事を引き起こします。そして、それを完全に防ぎきることは誰にもできない。しかし、被害を『軽減』することは出来る。我らはその救済の段階において主導権を握り、発言権を得るのです。それならば、聖女様のお心と違うこともないでしょう?」

「確かに、それはその通りだ。願わくば、発言権を得た君たちが、それを正しく使うことを祈るばかりだが」


 その言葉に、ティムールは初めて軽やかな笑い声を響かせた。


「それには心配に及びません。なにせ、聖女様には『血塗れの狂熊(ブラッディマッドベア)』がついていらっしゃる。約束を違えれば、我らは一瞬で血祭りにあげられる。誰もそんな割に合わない危険は冒したくはありませんよ」

「ええ。もし貴方様が約束を違えた際には、このわたくしが、存分に腕を振るいましょう」


 それまで黙していたアレスが口を開き、にっこりと上品に笑って見せた。


 やがて、石畳を進んだ馬車は街の中心部にほど近い、巨大な石造りの建物の中へと入っていく。

 その入り口の門には、蹄を模した鋼鉄のレリーフが掲げられている。ここが黒蹄衆の本拠地であることは間違いがないようだ。

 何台もの荷馬車が行き来する中庭は広大で、馬留にはたくさんの馬が繋がれている。建物内で行き交うのは浅黒い肌のディタルニア人ばかりだったが、彼らは皆、清貴たちの到来を事前に知らされていたのか、好奇の目や敵意を向けてくる者はいなかった。

 この街での過酷な歴史を鑑みれば、宗派が違うとは言え、支配層と同じ宗教の者に対し、これほど徹底された統制が取れていることこそが、黒蹄衆の団結力の高さを窺わせる。


「長旅、お疲れ様でございました。部屋を用意してありますので、まずは疲れを癒してください」


 丁寧に頭を下げるティムールに、清貴が小さく首を振ると、それを見たアレスが流れるような動作で一歩前に進み出た。

 馬車から降りたその瞬間から、アレスが”聖女”として振る舞う手筈になっている。


「――いえ、心配は不要です。どうぞ、すぐにでも詳しいお話をお聞かせください」

「かしこまりました。では、黒蹄の間へご案内いたします。……我ら黒蹄衆、心より聖女様の御来訪を歓迎いたします」

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