事故調査ファイル_灯篭の祭①
「はっきり言って、僕は賛成できない。今回の依頼は見送るべきだ」
静かに、だが決然と言い放ったのはヴェネンティカ王国第一王子であるナサニエルであった。
大陸事故調査委員会の迎賓室。
高い天井には無数のクリスタルと魔石ランプを組み合わせたシャンデリアが釣り下がっており、磨き上げられた一枚板の円卓は事故調査委員会の在り方を物語るような存在感で部屋の中央に置かれている。
アーチ状の窓の外には、水の都であるヴェネンティカが誇る美しい水路がすぐそばまで迫っており、天井に水面から反射した美しい虹彩を投げかけていた。
王家の迎賓室にも劣らぬその部屋へ同席を許されていたのは、遥か南方の国、かつて清貴が訪れた聖都エクレシアから数日の距離にあるケマルダグからの客人であった。
この国の物流の急所を握る巨大な交易網の長であり、第一王子であるナサニエルが非公式に招き入れた男。
黒蹄衆代表、ティムールと名乗ったその男は、この国の男たちに比べて遥かに浅黒い肌をしており、立派な髭を蓄えている。その身分は商人であり、ケマルダグを中心とした複数都市をまたいで活躍する物流ギルドの長でもあった。
ティムール曰く、ケマルダグの複数のギルドが寄り集まった組織が”黒蹄衆”を名乗っていると言う。
「ナサニエル王子の懸念はごもっともです。しかし、我々は窮地に陥っているのです」
顔に深く刻まれた皺の影をより濃くしながらティムールは訴えた。
双方の様子を見つめながら、清貴は慎重に口を開く。
「もう一度、事実確認をさせてくれ。ケマルダグの街では、聖地百周年の記念祭が行われる。その規模がかつてないものになると予想されるため、黒蹄衆が事前の安全対策を求めて尋ねて来た、その認識で間違っていないな?」
「その通りです」
ティムールは恭しく頭を垂れた。
「それで、ナサニエルは何故、頭ごなしに反対をしているんだ?」
視線をナサニエルに向けると、彼は珍しくアイスブルーの瞳を泳がせた。
代わりに口を開いたのはティムールであった。
「――それは、ケマルダグの街が、聖ペトラーダ教源流派の聖都であるためでございます」
「ああ、……そういう、事か」
聖ペトラーダ教は、この世界において、――少なくとも今まで清貴が訪れた国において、もっとも影響力の強い宗教である。
しかしそれだけ大きな宗教となれば様々な宗派が存在する。
中でも大きな宗派は、神の声のみを信じる源流派と、聖女は神の代弁者であるとするセレスティア派である。
百年ほど前からこの世界では”聖女召喚”が行われるようになった。
その恩恵は凄まじく、故に、セレスティア派は急速に力をつけ、聖ペトラーダ教において最も大きな宗派となったのだ。
そういった経緯から、源流派の人々にとって、聖女として召喚された清貴の存在は、受け入れがたいものである事は想像に難くない。
「しかし、聖ペトラーダ教の聖都はエクレシアではないのか?」
「正確に言えばその通りです。しかし、現在のエクレシアはセレスティア派が大半を占めており、源流派の人々が巡礼に訪れるにはいささか困難が多いのです。……現在では、”困難が多い”と言える範疇ですが、かつては今以上に難しい時期があったのです」
「難しい時期?」
「はい。……セレスティア派の信者たちが、源流派を迫害し、虐殺が行われた時期が存在しました」
清貴は息を飲んだ。
壁際で護衛として佇んでいるアレスは、黙したままただ聞き入っている。
その傍らのゼノンは落ち着かない様子でちらちらとアレスの顔色を窺っていた。
「その時期、源流派の人々は聖都を追われ、自分たちだけの祈りの場を持とうとしました。そして流れ着いた先がケマルダグの街です。
……より正確に言うならば、ケマルダグの街は源流派の人々により占拠され、元居た住民の多くが家を失いました。そして、その源流派の人々が新たな聖都を持ってから百年が今年にあたるのです」
「君は、……元々その地に住んでいた者たちの末裔という訳か?」
「その通りです。黒蹄衆は、元よりケマルダグに住んでいた者たちを中心として作られました。故に我らは源流派ではありません」
「なるほど、……」
状況は理解できた。そして、ナサニエルが反対する理由も納得がいく。
源流派の、それも百周年となるイベントだ。そこに聖女である清貴が出向くのはあまりにも危険すぎる。
「黒蹄衆は、聖女様に助言を求めたいのです。決して矢面に立たせるような真似は致しません。その訪問自体を、秘匿として扱い守り抜いてみせましょう」
ティムールの真摯な言葉に、ナサニエルは沈黙で応じる。
「――発言をお許し頂けますか?」
ゆっくりと前に一歩進み出たのはアレスであった。
ナサニエルと清貴が頷くのを見て、アレスはシスター衣装の裾を持ち上げて丁寧に頭を下げる。
「無礼を承知で申し上げます。もしどうしてもケマルダグに赴くのであれば、私を聖女として扱って下さい。万が一、源流派の暗殺者につけ狙われた場合でも、私であれば対処可能です」
「アレス、それは危険すぎる!」
「危険なのは私ではなく、暗殺者側です。聖女様はご存じでしょう?」
「それはまぁ、そうなんだが」
口ごもる清貴に、僅かに動揺を見せたのはティムールだった。
それもその筈である。ティムールから見ればアレスは”可憐なシスター”にしか見えないだろう。
視線に気付いたアレスはにっこりと笑うと、胸に手をあてて再び口を開いた。
「私は聖光庁直属・異端審問局、第七執行官アレス・レクイシムと申します」
「なッ! だ、第七執行官! あの、ペトラーダの死神、血塗れの狂熊と言われたアレス・レクイシムか!?」
思わず声を上げたティムールは、慌てて咳払いして、誤魔化すように顔を背ける。
清貴は妙に冷静に、この世界にも熊がいるんだななぞと考えていた。
むしろ現世の熊よりも遥かに大きくて凶暴な可能性すらあるだろう。なにせこの世界にはドラゴンや巨大な食人植物まで存在する。熊だって5メートルくらいあっても不思議はない筈だ。
そしてその恐ろしい熊でさえアレスならば悠々と渡り合うであろうという予感、いや絶対的な信頼があった。
「そのような二つ名があるとは初めて聞きましたが、恐らくそのアレスです」
頷くアレスの傍らで、清貴とゼノンは首がもげるほど頷いた。
間違いない。絶対にそのアレスである。
「いや、だが、今更お前が聖女を名乗っても信じて貰えるのか? 大陸事故調査委員会の代表が男であり聖女であるという話は、流石に源流派も知ってるんじゃないのか?」
清貴の疑問にアレスは首を振る。
「知っている者は多いでしょう。しかし、信じているかは別の話です。むしろ、清貴様こそが本物の聖女の隠れ蓑であると疑う者も多い筈です。大陸事故調査委員会の捜査に常にシスターが付き添っていた事も踏まえれば、シスターが聖女であり、清貴様はその代弁者であると勘ぐった者も多い筈です」
「なるほど、それは一理あるな」
聖女が40歳を超えた髭面のおっさんと言うよりは、可憐なシスターであると信じたいものも多かろう。
その可憐なシスターが最強の異端審問官であり、血塗れの狂熊であるなどとは誰も想像しない筈だ。
「何をどう信じても、なんだか気の毒になってくるな」
大きくため息を吐いた清貴は、改めてナサニエルに向き直った。
「という訳だ。表舞台には出ない、その上で、万が一に備えてアレスがいる」
清貴が視線を向けると、ナサニエルは目を伏せた。
長い睫毛が僅かに揺れ、そこには王子としての立場と、個人の感情とがせめぎ合っている様が見てとれる。
だが清貴は知っている。
ナサニエルが決断を下す時、それは最終的に感情ではなく理性によって導き出される。
「――分かった。これ以上は僕が止めたところで君は無理矢理に飛び去って行こうとするだろう。
だが、万が一でも危険を感じた場合はすぐに帰還するんだ。
……いいかい、僕の小鳥。もし源流派の聖地で聖女である君の身に何かがあれば、それは個人の損失ではすまない。戦争の引き金にもなりかねない。それを十分に理解した上で行動してくれ」
「了解した。胆に銘じよう」
大陸事故調査委員会は、人々の安全を守るために存在する。
その代表である清貴が、戦争の引き金に、……多くの人々の命を奪うきっかけになるなど、あってはならない事だった。
清貴はその言葉を重く呑み込んだ。




