事故調査ファイル_災の埋伏⑥
上流の上層区は、異様な空気に包まれていた。
彼らは自分たちがしでかした事の重大さを理解せざるを得なかった。
なぜならば、水路を解き放った瞬間に起こったことは、あまりにも恐ろしく死を予感させるものだったからだ。
水が一気に溢れ出す轟音。それは予想の範疇であっただろう。
だがその後に訪れたのは、目を開けていることすら難しい、息が詰まるほどの猛烈な熱波だ。
水路に沿って世界が歪み、陽炎が立ち上る。
その炎は目に見えずとも歪む空気と、肌を焼く熱波は、恐怖を抱かせるには十分すぎた。
さらにその先へ。海に流れ着いた瞬間に一気に立ち上った蒸気と、海水が蒸発するすさまじい音。
そして目の前にあるのは、あまりの高温によって水路周辺にあった建物のガラスが砕け散り、幹を伸ばしていた木々の葉が焼け焦げた光景だった。
「なにが起こった?」
「いったい、何故……?」
囁き合う人々の前に、清貴とカシアンが現れると、彼らは一斉に静まりかえった。
遊撃憲兵騎士団は、無駄と承知で、それでも上層区の人々に瓦礫を撤去する危険性を訴えていた。
だか彼らは耳を貸さなかった。
それが、下層区の人々を救うための欺瞞であると決めつけていたからだ。
しかし今、それはただの方便ではなかった事が証明された。
「……瓦礫撤去の強硬を先導していたのは、貴方だったんですね、ハブリエル卿」
魔石クレーンのすぐ傍らに立っていたのは、酒造工場のオーナーでもあったハブリエルだ。
カシアンが鋭い視線を向ければ、ハブリエルは誤魔化す様子で咳払いを落とす。
「わ、私は、上層区の人間として、出来る限りの事をしていただけだ。こんな一大事になるなぞ思ってもみなかった」
「私の部下は、何度も説明を申し上げた筈ですが?」
「それは、信じられずとも仕方ないだろう。水路が燃えるなど、どう考えたところで絵空事だ」
「だが実際、それは起こりました」
ハブリエルは唇を尖らせて顔を背ける。
その態度は悪戯を見咎められた子供のようでもあり、事態の深刻さに対する疚しさよりも、面と向かって非難された事に対しての不満であった。
「……ハブリエル卿、あなたは事の重大さを理解しておられない。そもそも、この事故の原因を作ったのも貴方自身なのですよ?」
カシアンの言葉に周囲の人間たちが息を飲んだ。
「ば、馬鹿な! 何を根拠にそんな事を!」
「清貴殿、もう一度ご説明いただけますか?」
その言葉に清貴は僅かに黙り込んだ。
大衆を前にして、個人の失態を暴露することは魔女狩りに等しく、危険な行為だ。
しかしこの機会を逃せばハブリエルが証拠を隠滅し言い逃れをする未来も目に見えている。
「……説明いたしましょう。ハブリエル卿の酒造工場には、おおよそ二階建ての建物に該当するほどの巨大な酒樽が3つ並んでいました。そしてこの樽は、嵐の前の季節外れの高温、そして嵐の予兆によって崩壊寸前にありました。事件前日、樽を支える箍に亀裂が入っている事が確認されており、……事故の瞬間、この亀裂が致命傷となり巨大な樽が次々にはじけ飛び、高濃度の酒が大量に溢れ出したのです。
この酒の波は下層区をなぎ倒し、さらに蒸発したアルコールが何らかの原因により火がついた事で爆発に等しい炎上を巻き起こしました」
「嘘だ!」
ハブリエルは叫んだ。
「下層区で火事があった。それが私の工場に延焼したことによって樽が破壊されたんだ! 証拠もある! 証言する者も沢山いるぞ! お前達は酒樽が先に破裂したとどうやって証明するつもりなんだ!?」
「火事が先にあったとして、被害を広めたのは巨大な酒樽の破裂です」
「それがどうした! 酒樽が大きくて何が悪い! 樽のサイズを決める法律などないぞ!」
唾を飛ばしてがなり立てるハブリエルを、清貴は静かに見つめ返す。
残念ながら、ハブリエルの申し立てもまた、この国の法制度においては一つの事実だった。大樽のサイズを制限する規定はない。故に、大樽を所有していること自体を罪には問えない。爆発と火災の物理的な因果関係を、法廷で完全に証明するのは極めて困難だ。
清貴が苦い奥歯を噛み締めたその時――。
パチ、パチ、パチ、と、皮肉なほどゆっくりとした拍手をしながら前に一歩進み出たのは、ゼノンであった。
「いやぁ、流石はハブリエル卿、実に素晴らしい。貴方がいかにして商売で成功してきたかがよく分かります。その、法律の網の目を潜り抜け、人を人とも思わぬ冷徹な視線こそが、貴方に与えられた最たる才能なのでしょう」
嫌味なほど褒め称えるゼノンに、ハブリエルは大きく突き出した腹を撫でながら、得意げに鼻を鳴らした。
清貴とカシアンはゼノンの意図を読み切れないまま、だが、この男には何かの算段があるのだと信じ、舞台の主役を譲る形で一歩引く。
「ハブリエル卿の仰る通り、酒樽のサイズを規定する法律はありません。規格外の巨大な酒樽を持つこと、それ自体には何ら違法性はないのです。ですから、事故の原因が樽の大きさにあると責めることはできません」
ゼノンの言葉に、ハブリエルは「当然だ」と言わんばかりに何度も大きく頷いた。
「――しかし、酒税の未払いは、全く話が別ですがね」
その瞬間、周囲の空気が目に見えて凍りついた。
ハブリエルが喉を鳴らして息を呑み、ゼノンは薄い口角を冷酷に引き上げる。
「酒樽を大きくした理由は色々とあるでしょう。栄誉の誇示か、あるいは盗難防止か。……ですが、最も重要な目的は『酒税の誤魔化し』です。
我が国の酒税は、酒の容量と度数に対してかかります。本来なら税務署の監査が入りますが、貴方のように中央にパイプを持つ有力貴族の工場に、地方の下っ端役人が強引に踏み込んで中を覗こうものなら、それこそ人生が破滅しかねない。
そこで役人達はどうしたか。書類に登録された『工場の床面積』だけを見て、そこに並べられる標準的な樽の数を元に、推定で税をかけるという妥協案をとった訳です」
ゼノンはまるで舞台役者のように優雅に歩きながら、淡々と、しかし確実に外堀を埋めていく。
「最初にお会いした時、貴方は『一年分の酒が無駄になった』と嘆いておられた。常識で考えれば、あの敷地の床面積に一年分の在庫を保管することなど不可能です。ですが、貴方はそれを実現した。床面積からは想像もつかない『高さ十メートルの化け物樽』を密造し、さらにそれを、水を混ぜて薄める前の、最もカサが小さく、最も税金が高い『度数八十度超の原酒』の状態で保管し続けた。
本来なら加水されてボリュームが増した後の、出荷用の酒として申告し、相応の重税を払う義務がある。しかし貴方は、その手前の原酒のまま巨大樽に一括で隠すことで、国に報告する容量を半分以下に偽り、差額の税金をすべてポケットにしまいこんでおられた訳だ」
「そ、……そんな証拠はどこにも……!」
「ところが、何ということでしょうか。……驚くべきことに、ここに証拠があるんですね」
ゼノンは懐から、分厚い台帳を取り出した。それを見たハブリエルの顔から、一気に血の気が引いていく。
「そうです。他ならぬ貴方自身が、親切にも私に預けてくださったものです。あの工場でお話を伺った際、私が『被害報告の書き方次第では、国から巨額の補助金が出ますよ。出来る限りご協力しましょう』とお話ししたところ、貴方は大喜びでこの『本物の帳簿』を私に渡し、請求可能な隠し在庫の精査をしてくれと仰った」
「貴様ァ!! 私を裏切ったのか!?」
「とんでもない。私はただ『出来る限りご協力する』と言っただけです。貴方の犯罪行為に加担して書類を偽造してやるとは一言も申し上げておりません。ただ私が、……職場の不満やらを少々漏らしたところ、貴方が勝手に『金をちらつかせれば簡単に抱き込める小役人だ』と勘違いをなさっただけの事です」
職場の不満と聞いて、清貴は思わず非常に渋い顔になった。
自分のせいでゼノンに溜まっていたであろうストレスの数々が頭をよぎっていく。思い当たるところが多すぎた。
「この台帳には、実に見事に記されていますね。実際にどれほどの原酒を隠匿していたのか、あの違法な巨大樽を発注した日付まで克明に。……まだ概算ですが、貴方が税金を誤魔化していた期間は十年以上。果たしてその追徴課税がどれほどの額になるのか。
……工場をすべて失った今の貴方に、果たして払い切ることができるでしょうかねえ?」
「待て、待ってくれ、私は、……っ」
にっこりと完璧な営業スマイルを浮かべたゼノンは、怯える大悪党に背を向けると、手にした台帳をカシアンの前へ差し出した。
「カシアン卿、この台帳を重大な脱税の確実な証拠品として提出いたします。こたびの災害における『過失』の立証は時間がかかるとしても――この脱税に関しては、言い逃れの余地のない、一発で爵位剥奪と全財産没収に値する罪状です」
カシアンは台帳を受け取りながらも、顔は喜びよりも戸惑いが占めていた。
「……感謝する、ゼノン殿。ハブリエル卿、大人しく御同行願えますか? 街の名士たる貴方の首に縄をかけて引きずっていくのは気が引ける」
突き刺すように言い放つカシアンに、ハブリエルはどさりと膝を折って項垂れる。
彼を取り巻く者たちの中に、手を差し伸べる者はいなかった。
彼らもまた、今の一幕により、今回の事件の元凶が誰であったのかを悟ることになったのだろう。
こうしてアメルスヘンの名士ハブリエルは、名誉も地位も、その全てを失う事となったのだ。




