事故調査ファイル_災の埋伏⑤
アメルスヘンは海沿いの栄えた街であり、都市内は網の目のように水路が張り巡らされている。
都市全体が低地に存在しており、アメルスヘンにおいての水路は、運河としての役割よりも排水を主体にしたものだった。
故に、ヴェネンティカ王都よりもはるかに細い水路が上層区、下層区問わず存在する。
下層区はその名の通り、より低地に存在しており、この区域の水路が詰まれば上層区も少しずつ水没する。ただでさえ排水という弱点を抱えた都市は、今は嵐が過ぎ去った直後でもあり、街全体の危機となって迫っている。
このまま水が溜まり続ければ、ただ浸水するだけではすまないだろう。
徐々に地盤が泥濘に代わり、都市全体が沈んでいく可能性もある。
水路の解放は、アメルスヘンにとって命題でもあるのだ。
それが分かっているからこそ、清貴は武力制圧という手段を選びたくはなかった。
どのみち、一度制圧出来たところで、水路の解放は近日中に必ず必要になる。
「……上層区の連中が解放しようとしている水路はどこだ?」
「ここです。この、主流となっている部分です」
「ここか。それで、下層区で被害が出ている地帯はどこまでだ?」
カシアンと伝令兵に質問を投げながら、水路を一つずつなぞっていく。
「清貴殿、……どうするおつもりですか?」
「クレーンを止められないならば、こちらから”仕掛ける”しかないだろう」
「仕掛ける?」
訝し気な顔を見せるカシアンに、清貴はその瞳に不敵な色を宿した。
「ああ。水路を解放したいなら、そうさせてやればいい。だが、その行く先を操るのは我々だ」
「行先を?」
「その通りだ」
清貴は大きく頷いた。
「瓦礫が除去され、一斉に流れ出した水は何もしなければ縦横無尽に都市を駆け巡る。だが、水が流れやすい方向を計算し、下層区側の水路の瓦礫も除去して回れば話は別だ。
そうして、――海に向けての道を開く」
「海に向けて? しかし、下層区の瓦礫を全て除去する時間はありません」
「全てである必要はない。高低差と角度によって水の逃げ道を先読みし、必要な場所だけを除去してやれば、水はより流れやすい側へ逃げていく」
「確かに、仰る通りですね」
「ああ、そうだ。カシアン、以前の火災の時に水を撒く魔法を使った者がいたな。瓦礫を除去し、かつ、火花を出さないタイプの魔法が使えるものはどれほどいる?」
「水路の規模にもよりますが、10人は出せます。水路が浅い場所ならば手動でどけることも可能ですが」
「危険だ。先ほど話した通り、流れ込んでくるのはアルコールだ。そんな中で重労働をすれば、気化したアルコールですぐに気分が悪くなるぞ」
「存じております。しかし、我らは騎士団です。必要があれば命を賭す覚悟がある」
「それは違う」
低く吠えるような声を出す清貴にカシアンは目を瞬かせた。
「必要な犠牲など認めるものか。いいか、それが騎士団であろうと、誰であろうと同じ命だ。100人を救うためならば1人を犠牲にしてもいいだなんて考えは僕は認めない。理想論だとして、最後まで救い続けるために足掻くことが僕の誇りだ」
「――足掻くことが、貴方の、……」
カシアンは深く頷いた。そして、視線を重ねあわせる。
「貴方の誇りは理解しました。しかし、我ら騎士団の誇りは別の場所にあります。……ですが、命を捨てずに足掻くという貴方の『無謀な理想』に、今回は限界まで付き合いましょう。さぁ、教えてください。我々はまず、どの水路に向かえばいいのですか?」
「感謝する、カシアン。では、まずここだ」
地図の上に素早く印がつけられ、背後で伝令がそれを目にも留まらぬ速さで記帳していく。
「順番が肝心だ。上流側から一気に解放すれば、一気に水流が暴走してしまう。必ず、海の近くである下流側から順に開けていくんだ」
「承知した。その方法ならば、兵の戦力を分散させずに、手前の瓦礫を除去しながら次の区間へと進軍できる」
「それもそうだな。ふむ、……兵を動かす段取りに関しては、やはり君の方が一枚上手だな」
「……この区間は、すでに我が団が瓦礫の撤去を終えている。馬での強行突破が可能だ。だが、この区間は……一度上層区側から迂回した方が速いな」
一枚の地図に、清貴とカシアンが食いつくようにして作戦を吟味していく。
清貴の目には水路を流れる液体のベクトルが、カシアンの目には戦術としての兵の動線が見えていた。二つの異なる知性が、完璧な歯車となって噛み合っていく。
「よし、このルートでいいはずだ。だが、現地にはまだ不確定な要素が残っている」
「承知している。あとは現場での臨機応変な判断だ。……清貴殿、当然、同行を願えますか?」
「勿論だ。……宜しく頼むぞ、カシアン」
清貴はそう言って、片手をひらりと胸の高さに掲げた。
カシアンはその妙な手のポーズの意味が読み解けず、端正な顔をわずかに強張らせて固まった。
「……ああ、これは、僕の故郷の挨拶だ。『ハイタッチ』という」
「はいたっち?」
「そうだ。……僕の掌を、君の手で叩いてくれればいい。ああ、言っておくが、騎士様の本気の力で叩くなよ? 軽くだぞ?」
思わず身を引くように言葉を付け足した清貴に、カシアンの冷徹な表情がふっと和らいだ。
「――承知した」
パチン、と天幕の中に小気味よい音が響き、互いの掌が重なった。
遊撃憲兵騎士団はカシアンの指示の下、まるで獣のように瓦礫の街を駆けていた。
騎士団の人数は全体としては120人ほど、うち80人が実戦人員で、残りは補給や設営、救護などを担う後方部隊となる。
今、その80人のうちの半数は、救助活動と、そして暴動を防ぐための防衛に回っている。
残った40名の実働部隊は四班に別れ、下流から順に水路の瓦礫を取り除きにかかっていた。
一か所を除去すれば、上流のポイントに移動する。それぞれの班の連携は流石のエリート部隊であり、一糸乱れぬものだった。
「伝令! 第六区画の瓦礫除去に成功! トーマ隊は第三区画へ進撃中!」
また一つ、水路の瓦礫が取り除かれ、騎士団が移動を開始する。
火災の中心地へ近づけば、馬での移動は困難になり、瓦礫を掻き分けて進む他なかったが、それでも騎士団の進む速度は速かった。
大きな瓦礫が詰まっている場所もあれば、大量の木片が水路を埋め尽くしている場所もある。
場所によって即座に配置人数を割り当て直し、次々に作業を進める様は、文句のつけようのないものだった。
「上層区の状況はどうだ!?」
「撤去作業はかなり進んでいます。巨大な瓦礫が水門に食い込んでおり、それの除去に時間を要しています。ですが、あの瓦礫が撤去されれば、一気に水が流れる可能性もあります」
「そうか。急げッ! もう少しだ!」
作業を困難にさせているのは、上層区からの水の解放のタイミングがまったく読み切れない事だった。
いつ、見えない炎が押し寄せて来るか分からない。
そのプレッシャーの中で戦い続けることになる。
あるいは数十秒後には、ふいに身体が燃え上がる危険性と隣り合わせなのだ。
「第五区画完了! 第四区画は木片が多く、作業が遅延しています!」
「ウィリアムの班を第四区画の補助に回せ!」
カシアンが指示を飛ばす中、清貴もまた前線で指示を出していた。
「そこだ! あの瓦礫の隙間から水が溢れてきている。瓦礫の下部を狙って破壊しろ!」
流れ出る水流を読み、積み重なった瓦礫のバランスを即座に計算して、もっとも弱い箇所へ魔法をあてる。
上手く瓦礫を破壊すれば、あとは水流が押し流し、作業の後押しとなってくれる。
「伝令!!!! 上層区の瓦礫撤去作業はまもなく完了! 水が来ます!」
「急げ!!!! 急いで撤去しろ!!!!」
騎士たちも死に物狂いになっていた。
水路に降りられずとも、槍で瓦礫を突き、木片を破壊する。
それでも、瓦礫の隙間から溢れ出す水量は目に見えて増しており、すでに決壊が始まっている事を告げている。
「クソ、間に合わないかッ!」
「まだだッ!」
清貴が吠えた。
「こうなったら、残りの瓦礫を激流で押し流す。水の逃げ道を塞ぐんだ。側道に逸れる水路の石橋を破壊しろッ! アレス! あそこの橋を壊してくれッ!」
その声に、アレスは迷わず走り出した。
地面に転がる巨大な丸太を拾い上げると、全身の筋肉を限界まで撓らせ、まるで攻城兵器のバリスタのごとく投擲する。
ズガァアアウウウンッ!! と鼓膜を揺らす鈍い衝撃音が響き、石橋の基部に丸太が深く突き刺さる。
一瞬の静寂の後、ガラガラと音を立てて崩落した石材が、脇へと逸れる邪道を完全に塞ぎきった。
「来るぞッ!! 伏せろ!! 水路から離れろ!!!!」
直後、轟音とともに、大量の土砂と瓦礫を巻き込んだ濁流が押し寄せた。
一本道に絞られ、一気に水圧を増した激流は、第四区画に残っていた頑固な瓦礫を一網打尽に粉砕し、いとも簡単に海へと押し流していく。
だが、安堵の時間はなかった。次の瞬間、騎士たちは一斉に息を呑んだ。
――目の前の景色が、ぐにゃりと歪んでいる。
赤い炎も、黒い煙もない。ただ、水路の上の空間だけが陽炎のように激しくのたうち、肌をじりじりと灼くほどの凄まじい放射熱が吹き抜けていく。
パチチチッ、と水路の縁に取り残されていた木片が、何もない空間に触れた瞬間、突如として勢いよく爆発的に燃え上がった。
「行けッ!! そのまま海まで駆け抜けろ!!!!」
清貴の叫び通り、水路は一本の「透明な導火線」と化していた。
上層区から放たれた目に見えない熱波の死神は、清貴の作った一本道を猛スピードで駆け抜け、そのまま広大な海へとパージされていく。
そして、透明に燃え上がるアルコールの波が海に突入した瞬間に、ジュウジュウと音を立てて水蒸気があがる。
アルコールは海水によって希釈され、炎がかき消されていく音が遠く響く。
あと一歩、ほんの数秒でも遅れていれば、この見えない導火線はアメルスヘンの街全体に逆流し、すべてを焼き尽くしていただろう。
「――助かった、のか?」
呆けた顔で呟く清貴に、カシアンも大きく息を吐く。
周囲を焦がすような熱風は、やがて海からの湿った風と混ざり合い、静かな余韻だけを残していた。




