事故調査ファイル_災の埋伏②
火災が発生した貧民街は、文字通り破壊の限りを尽くされていた。
木造の粗末な家が寄り集まって建てられていたであろう区画は、多くの建物が破壊され、さらに立て続けに襲い掛かった嵐により、瓦礫の山と化していた。
ただでさえ細い通りを今は大量の土砂や木材が散乱しており、歩いて進むのも骨が折れる。
それでもメインとなる通りは住民たちによって瓦礫の除去作業が進んでおり、なんとか通ることが可能だった。
「確かに、……奇妙な匂いが残っているな。これは、……松脂か?」
火災の発生地点とされる場所へ向かうにつれて、その匂いははっきりと空気に混ざりはじめた。
清涼感のある森の匂い。ただそれは、森の中にいる時に感じる匂いというよりは、”森”を表すために作られた香水のような香りだった。もっとも近いと感じるのが松脂である。
「ええ、仰る通り、松脂の匂いに似ております。消毒薬などにもよく使われる薬草の類かと」
生真面目に答えるカシアンに、ゼノンが思わず噴き出したあと、誤魔化すように咳払いをした。
「……申し訳ありません」
「いや、……だが、何がおかしかったんだ?」
清貴が尋ねるとゼノンは困った顔で眉尻を落とす。
「いえ、その、……清貴殿はその、ご存じないのかも知れませんが、カシアン殿はやはりお育ちが宜しいな、と」
「どういう事だ?」
振り返ったカシアンの声には若干の険が混じる。
「申し訳ない。悪気はないのです。ただ、この匂いは平民であれば慣れ親しんだものです。これは、もっとも安価で手に入る天国、――この国において、ごく一般的な安酒の匂いですよ。
とはいえこれは、加水する前の匂いですから実際の酒よりも遥かに強烈ではありますが、やはり慣れ親しんだ匂いです」
「酒?」
カシアンが呆けた顔で問い返し、清貴は低く唸った。
「それは、……火災を巻き起こすのに十分に足りうる可能性が高いな。ゼノン、その安酒はどうやって作る?」
問いかけられたゼノンは改めて手帳を開いた。
びっしりと文字で埋まったページをめくり、目的の項目を見つければ咳払いをした。
「まず大麦、ライ麦、トウモロコシなどを粉砕し、お湯と混ぜて発酵させます。この段階ではまだエールのように弱い酒ですが、さらに蒸留器に入れて沸騰させ、気化したものを集める事で非常に濃い酒へと変えていきます。
しかし、このままでは非常に臭い上に舌が痺れるようなえぐみがあり、安酒といえど飲めたものではありません。そこで、ジュニパーベリーと呼ばれる実を投入し、香りづけをすることで悪臭を誤魔化すのです。
このジュニパーベリーという実が、松や柑橘系に似た独特の甘い香りがする、……今まさにここで漂っている匂いです」
「なるほど、つまり……ジンか」
現世に存在したジンも、ジュニパーベリーで香りづけをする蒸留酒だ。
市場に出回るものですらアルコール度数は40度前後。
だが蒸留直後、加水される前の原酒となれば、度数は70から80度を超える”可燃性の塊”だ。
清貴が唸っていると、カシアンが眉間の皺を押さえながら口を開いた。
「清貴殿、……爆発の中心地と思われる場所付近に、酒造工場がございます」
「なんだって? なぜ、……」
では、それを火災原因だと考えなかったのか。
そう言いかけて、ゼノンの言葉を思い出した。
『遊撃憲兵騎士団』は王国内でも選りすぐりのエリート集団である。街に在中する憲兵とは異なり、酒場の取り締まりや酔っ払いの相手などは行わない。だからこそ、彼らは庶民しか飲まないような安酒についての知識が乏しかったのだ。
実際、清貴自身もこの匂いだけを嗅いで即座に酒とは結びつけることが出来なかった。
カシアンは失態を悔いるように息を吐きながらも、再び口を開いた。
「しかし、……酒造工場で火事が起こったとして、それがこうまで街を破壊する可能性はありえるのでしょうか」
「それは工場の規模や管理体制にもよるだろうな。アルコール度数の高い酒は、樽で保存しているだけでも徐々に気化して、それが工場内に溜まっていく。例えば、定期的な空気の入れ替えなどを怠っていた場合、気化したアルコールに静電気などによって火がつき、……それが爆発的に燃え広がる可能性は存在する。
だが、カシアンの言う通り、下層区のほとんどを吹き飛ばすような爆発になるとは考えにくい」
やがて、積み重なった瓦礫の先に酒造工場が見えてきた。
木造の家々の中にあって、その工場は完全に異質であった。高い煉瓦の壁に覆われ、工場自体もどこか監獄を思わせる堅牢な石作りだった。周囲の家々が跡形もなく吹き飛んでいる中で、工場はほぼ原型を保っている。
しかし周囲に充満するジュニパーベリーの匂いは一段と濃くなっており、大量の酒が溢れ出した事は明白だった。
「カシアン、……救助隊が原因不明の体調不良に陥ったと言っていたが、それはもしかして急性アルコール中毒、――酷い酒酔いに似た症状ではなかったか?」
ふいに思いついて清貴が声を上げると、カシアンははっと息を飲む。
「まさに、その通りです。酩酊、吐き気、それに顔を真っ赤にしている者も多くおりました」
「そうか、ならば原因はやはり漏れ出した酒だ。酒の多くはそのアルコール度数の高さから蒸発した。だが、瓦礫の合間や地下に流れ込んだものは別だ。それらは、気化した状態のまま土砂によって封じ込められた状態だったんだ。
瓦礫をどけた瞬間に、気化したアルコールが溢れ出し、それを浴びたことで酒を大量摂取したのと同じ状況に陥った。それが、救助隊が体調不良に陥った原因だ」
「なるほど。原因不明のガスという訳でないならば、そこまで恐れる必要は……」
「いや、大いにある!」
清貴はカシアンの楽観を、厳しい声で遮った。
「気化した高濃度のアルコールは、肺の毛細血管から直接血液に溶け込む。酒を飲めない体質の者がまともに吸い込めば、一瞬で急性アルコール中毒を起こして命を落とす危険すらあるんだ。
それに、濡れた泥を掘り返した者が火傷を負ったと言ったな。あれはガスが引火したんじゃない。アルコールの炎は、昼間の光の下では人間の目にはほぼ透明だ。彼らは『何もない空間』に触れたんじゃない。今もそこら中で燻り続けている『見えない炎』に、自ら突っ込んでしまったんだよ」
「なっ……! 火が、目に見えないまま燃えていると!?」
カシアンの顔から、今度こそ完全に血の気が引いた。
「ならば、どうしろと?」
「魔石を使った強力なファンを用意しろ。ただし、絶対に現場へ向かって直接風を吹き込むなよ」
「……風を送ってアルコールを散らすのではないのですか?」
「闇雲に風を送れば、泥のそこかしこで燻っている見えない炎に酸素を与えて大火災を誘発する。それに、一番爆発しやすい濃度に薄まったガスを周囲にぶちまけることになる。
ファンは、ジャバラの管か何かを繋いで『吸い出し』に使うんだ。作業エリアのガスをピンポイントで吸い上げ、上空の安全な方向へ逃がす。そして、作業員は絶対にその風下に回らせるな」
「なるほど……吸い出す、か」
「それから、いくら排気を行っても、微量の蒸気を吸い込んでしまう状況には変わりない。作業は必ず短いスパンでの交代制だ。休憩中は、全員にできるだけ大量の水を飲ませろ。血中のアルコール濃度を薄めるんだ」
「分かりました」
カシアンが傍らにいた騎士に指示を出すと、すぐに駆け出していった。
これで救出作業が少しでも速くなることを祈るばかりだ。
「さて次は、……工場の中を覗いてみるか……」
清貴が靴先を向けたのと丁度同時のタイミングだった。
工場の中から、怒鳴り声が聞こえてきた。
「全部壊れただと!? 本気で言ってるのか? うちの工場が潰れたらアメルスヘンの連中はどうやって暮らしていくと思ってる!?」
清貴はカシアンと顔を見合わせ、改めて工場入口へ進んでいく。
工場の門もまた、火災の高温によって欠けた箇所はその表面が白く炙られている。
中へ入ろうとすれば、私兵と思われる屈強な男たちが行く手を遮った。しかし、カシアンが遊撃憲兵騎士団の徽章を示せば、顔を見合わせ、戸惑った顔で道を開ける。
工場の中はよりいっそうジュニパーベリーの匂いが充満していた。
そこに整然と並んでいたであろう酒樽は今はその全てが木っ端みじんになり、あちこちにその残骸が散らばっている。
火災によって吹き飛んだであろう巨大ファンの羽も床の上に転がっており、それは工場内に気化したアルコールが留まらないよう対策をしていた証でもあった。
「そ、そう言われましても、普段通りの巡回点検は行っておりました。全て報告にあげた通りです!」
「ああ、クソ、どうしてくれるんだ。ここの酒樽が駄目になったって事はな、アメルスヘンの連中はこれから一年はろくに酒が飲めないって事だ。そうなったらどうなると思う? あのクソ労働者共は暴れ出すぞ!」
「で、ですが、今はそれどころでは……」
怒鳴っているのは恰幅もよく身なりも良い男だった。話を聞く限り、この工場の持ち主であるのだろう。
「あー、お取込み中申し訳ないが少々話をお伺いしたい。僕は大陸事故調査委員会、代表の火野清貴だ」
「なんだって!?」
恰幅のいい男は振り返ると威嚇するように声を張った。
しかし清貴の傍らに立つカシアンの漆黒の鎧姿を見れば、怯えた顔で押し黙る。
それから、綺麗に整えられた髭を神経質に撫で、咳払いをして口を開いた。
「お初にお目にかかります。私はハブリエル・ボーエンと申します」
「初めましてハブリエル殿。僕は、今回の大火災の調査に来た者だ。この工場の運営体制について、作業員たちから直接話を伺いたい」
「いや、それは、……」
ハブリエルが渋ると、ゼノンが一歩前に踏み出した。
「工場運営に過失がなく、火災による一方的な被害を受けたことが判明すれば、国家からの支援金を得られる可能性もございます。ここは聴取に協力された方が中央への覚えも良いと存じ上げますが」
「支援金だと!?」
突然前のめりになるハブリエルにゼノンは大きく頷いた。
「その通りです。酒造工場はヴェネンティカ王国の中でも主要産業の一つとも言える存在です。過去にも、災害によって工場が破壊された際に国家からの支援金および、数年間に渡っての税金が免除されるというケースが存在しました」
「ふむ、……それは、そうか。いや勿論だとも。私も今回の大火災には胸を痛めている。喜んで調査に協力いたしましょう」
「ご協力に心より感謝申し上げます」
満面の笑みをはりつけたゼノンに、清貴とカシアンは思わず顔を見合わせた。
協力が得られるならば万々歳だ。しかし、ものの見事な二枚舌にはいささか末恐ろしさすらあった。




