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事故調査ファイル_災の埋伏①

 ヴェネンティカ王国北西部の都市アメルスヘンは、人口3万人ほどの中規模な交易都市である。

 街を縦横無尽に走る運河と、その水面に影を落とす赤煉瓦の家々。あちこちで回る風車。

 かつてこの地は「花と音楽が絶えない陽気な都」と称えられていた。


 だが、今、眼前に広がっていたのは、巨大なハリケーンによって踏み荒らされたかのような、「半壊」の光景である。


 街の南側は平穏そのものであるにも関わらず、北側の半分だけが、まるで巨大な刃で削ぎ落とされたように瓦礫の平原へ変わっている。

 家々の残骸が運河を堰き止め、逃げ場を失った水が、すり鉢の底のような低地スラムへと流れ込んで浸水を広げていた。


 かつて街を満たしていた花の香りはどこにもなく、音楽の代わりに啜り泣きと祈りの声が響いている。


「火災があった、と報告にはあるが」


 壊滅した都市を見つめ、低く呟いた男がいた。

 火野清貴──「聖女」としてこの異世界に召喚されながらも、現在は大陸事故調査委員会の会長を務める男である。彼の鋭い眼光は、廃墟が放つ決定的な「矛盾」を捉えていた。

 大火災があったというのに焼け焦げた黒い煤はほとんどなく、割れた煉瓦の断面は、まるで白く炙られたかのように乾燥しきっている。


「その通りです、聖女様。記録上は『大規模な火災』と。……しかし、その後に訪れた大嵐が、全ての痕跡を洗い流していきました」


 清貴の傍らで応じたのは、意匠の一切を削ぎ落とした漆黒の鎧をまとった騎士であった。

 名をカシアン・ヴァルハイト。

 カルヴァトリ半島でのインシデントでも顔を合わせた事のある『遊撃憲兵騎士団』の隊長である。


「聖女様にご足労いただきましたのは、こたびの災害がいったい何に起因するものか、我々の知識ではまるで全容が掴めないためです。火災発生から3日。土砂や瓦礫の下にはいまだ多くの住民が埋もれておりますが、救助活動は完全に頓挫しております」

「頓挫している理由は?」

「……瓦礫の撤去にあたった兵たちが、原因不明の体調不良を訴えて次々に昏睡しているのです。それだけではありません。火の気などない濡れた泥を掘り返した者が、突如として激しい『火傷』を負う事例まで頻発しております。むやみやたらな捜索は、これ以上の二次被害を生むと判断いたしました」

「正しい判断だ。目に見えない危険なガスが滞留しているとすれば、被害は救助部隊のみならず、生き残った住人すべてを巻き込む可能性がある」


 清貴の言葉に、カシアンは微かに目を見開いた後、深く会釈を返した。

 石のように凝り固まっていた彼の表情がほんの僅かだけ緩み、張り詰めていた周囲の空気が和らいだのを清貴は敏感に察した。


「原因究明と、安全な救助方法の模索を平行して行おう。まずは現場を見て回りたい。案内を」

「かしこまりました。これより聖女様の歩みは、我が遊撃憲兵騎士団が全力を尽くして守護いたします」


 黒騎士は、その無骨な右手を胸に当て、恭しく頭を下げた。





「事の発端は3日前のこと、この日の朝、貧民街で爆発騒ぎがあったとされています。複数の生存者が”大きな爆音が響き渡った”と証言しておりました。その後、火災が発生したのですが、……この火災が目に見えなかったというのです」

「目に見えなかった?」

「はい。街全体が歪んだように見えたそうです。直後に、何の前触れもなく髪や服が燃え上がった、と」

「……高温によって空気が歪んでいたのかもしれないな」

「それと、爆発から逃げ出そうとした者たちが、煙も火もない場所で急に千鳥足になり、バタバタと意識を失って倒れていったとの話も聞いております」

「ふむ、……」


 災害発生からまだ3日。このスピードで現地へ入れたのは、カシアンの判断力と飛空艇の機動力によるものだ。

 カシアンの話を聞きながら、清貴は頭の中で事故を再構築する。

 聞く限りでは何らかの原因によりガス漏れが発生、ガスを吸い込んだ者から意識を失い、さらにそのガスが引火した事により爆発が起こったと考えるのが自然だろう。


「カシアン、救助がなかなか進んでいないと言ったな。ならば一刻の猶予もない。僕は腹の読みあいは好まない。だから教えて欲しい。君がこの事件をただのガス爆発だと断定しなかった理由はなんだ?」


 清貴が真正面から問いかけると、カシアンは緩く目を瞬かせた。

 遊撃憲兵騎士団の隊長であるカシアンは優秀な男である。数々の災害現場に出向いた経験がある筈だ。そのカシアンが異変を察知し、清貴を呼び寄せたのならば、そこには彼の嗅覚を刺激する何らかの要因がある筈だ。


「……私も、当初はガス爆発を疑いました。以前に炭坑の街で起こった火災と似ている部分が多かったためです。空気が揺らいで見える、爆発的に拡がる火災、救助の際にガスが漏れ出し二次被害が発生する。これらは今まででも経験のある事でした。ですが……」


 カシアンは瓦礫となった街を見回しながら、静かに言葉を続ける。


「此度は、まず爆発の中心地と思われる場所に陥没穴がありませんでした。地下のガスが何らかの原因で噴き出した場合、多くのケースにおいて、その場所は陥没します」

「ああ、そうだな。圧力が一気に抜ければ地盤が落ちる」

「さらに、火災の様子です。街を見て回りましたが、煤がほとんど残っていない現場は初めて見ました。通常の火災やガスの爆発なら、もっと黒く焦げるはずなのです。火災の後に嵐が来たことにより洗い流されたとしても、かえって煤溜まりが発生する場所もある筈です」

「いい着眼点だ。ガスの成分によっては煤が出にくいものもあるが、建物ごと燃えて煤が出ないのはおかしい」

「……光栄です。そして最後に、――匂いです」

「匂い?」

「ええ。我々はすでにこの匂いに慣れ切ってしまいましたが、もう少し中心地に向かえば聖女様も気付く筈でしょう。……甘い、果実や花のような、奇妙な匂いが漂っているのです。炭坑のガスは、もっと腐った卵のような、鼻を突く硫黄臭がするものでした」

「念のために聞いておきたいんだが、……そういう奇妙な匂いをまき散らす類のドラゴンや、植物系のモンスターは存在するのか?」


 ふと、前回のラング・オルムの件が頭をよぎり、清貴は問いかけた。

 この世界は清貴の知っている科学の常識とは、まるで勝手が異なる場合がある。


「――今回のケースには当て嵌まりませんが、匂いを放つ植物型魔獣によって山中にある街で行方不明者が多発し、結果的に滅びたという話ならございます」


 背後に控えていたゼノンが、手帳をめくりながら口を開いた。


「植物が、街を?」


 清貴が振り返ると、ゼノンは重々しく頷いた。


「ええ。かなり特異な食人植物が近辺の山に生息していたのです。その植物自体は移動する事はないのですが、地下茎を伸ばしいつの間にか都市部の直下まで範囲を広げていました。そして、排水溝などから捕食用の管を街のあちこちに出現させ、――この管がたいそう甘い匂いを放っており、迂闊に近づいた住民を吸い込んでいたのです。

 結果として行方不明者が増え、気付いた時には都市の根幹を揺るがすほどに地中に根が張り巡らされていたため、都市を捨てざるを得なかったそうです。今回の『甘い匂い』と『原因不明の昏睡』という点で、念のため多角的なケースとして」

「なるほど、地中から根を伸ばすタイプか。いい情報だ、勉強になったよ。今後も僕が知らなそうな事案があったらその都度教えてくれ」

「分かりました」


 ゼノンは一礼すると口を閉じた。

 恐ろしいことに、ゼノンが語った魔獣とよく似た種の食虫植物は現世にも存在していた。ゲンリセア・ロブスタと言う名のそれは、葉を変形させたらせん状の管を地中にびっしりと張り巡らせる。そして、甘い匂いを放ち、ひとたび微生物や虫が中に入り込めば、繊維に絡め取られて二度と出て来られなくなるという仕組みである。


「……話を戻そう。つまり君はこれがガス爆発ではないと判断して事故調査委員会へ出動依頼を要請した訳だな」


 その問いかけにカシアンは僅かな沈黙を置いた。

 言葉を選ぶように視線を彷徨わせた後に、大きく息を吐く。


「もう一つ。……これは私の”予感”です。この事故はまだ終わっていないのではないか、という予感がするのです。そして実際、この街は今新たな問題に直面しています」

「問題とは?」

「大火災のあとに発生した嵐により、破壊された建造物や流れ出した土砂により街のあらゆる水路が塞がれた状態なのです」

「それは、……問題だな。飛空艇から見た限り、この街は海に面した低地に作られている。何日にも渡って水路が塞がれた場合、街のあらゆる場所で浸水被害が発生するだろう」

「まさしくその通りです。実際、火災被害を免れた上層区でも見る間に水が上がってきており、水路の瓦礫を撤去しろという声が増加してきています。しかし、今すぐに瓦礫を撤去した場合、下層区の瓦礫の下にいる生存者の救出は絶望的になります。故に、原因究明と被害者救助はまさに一刻を争う状況なのです。

 ……被害が、下層区に集中していた事もあり、上層区の富裕層を押しとどめておける時間は、さほど長くはありません」


 カシアンは務めて感情を押し殺していたが、その声は僅かに揺れている。

 清貴は、遠くで回り続ける風車を見つめながら、最悪のシナリオを予測していた。

 この手の低地都市は、網の目のように張り巡らされた水路による絶妙な排水バランスで成り立っている。それが何日も遮断されれば、スラムが水没するだけでなく、いずれ街全体の地盤が緩んで赤煉瓦の建物ごと瓦解しかねない。

 上層区の者たちが強硬姿勢に出るのも、ただの我欲ではなく「都市の崩壊」を本能的に察知しているからだろう。


「確かに、……急ぐ必要がありそうだな。それではカシアン、改めて宜しく頼むぞ。今回は、裏事情はないと信じたいものだな」

「それに関しては、私も同じですよ、聖女様」


 清貴は一度足を止めて振り返った。


「カシアン、その聖女様というのはやめてくれないか? 清貴と呼んでくれ」

「承知いたしました。では清貴様、どうぞよろしくお願いいたします」

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