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事故調査ファイル_深海の顎⑦

 清貴は、アンヌの招待を受けて、咲き誇る白薔薇のテラスに面した私的なサロンでもてなしを受けていた。


 アンヌの屋敷は、ブリスタインの街と青い海を一望する白亜の高台に建っている。

 かつては要塞としての機能も兼ねていたのだろう。威厳ある重厚な石造りの建築でありながら、サロンの壁面には新大陸から運ばれたマホガニーの豪奢な木材が張られ、潮風を遮る格子窓には、大きなガラス板が嵌め込まれていた。

 その見事な立地と佇まいだけで、彼女の家系がこの港の利権を黎明期から握ってきた本物の名門貴族であることが察せられる。


 大きく開け放たれた窓の向こうには、久方ぶりの快晴に恵まれたブリスタイン湾が、まるで宝石を敷き詰めたように眩しくきらめいている。

 ラング・オルムの危機が去ったいま、港から迷路のように伸びる運河には、きらびやかな天幕を張って舟遊びに興じる貴族たちの歓声が、潮風に乗ってかすかに届くほどだった。


 部屋を優雅に満たしているのは、テラスの薔薇の香りと、卓上で静かに湯気を立てるお茶の香りだ。

 テーブルの上に並べられたのは、白磁の陶磁器の数々だった。眩しいほどの純白に、繊細な金の細工が施されたカップは、それ自体が美術品としても十分に価値があるものだろう。


「お約束のデザートよ。うちの料理人がたっぷりと腕を振るったの」


 アンヌは銀のトングを手に、皿の上へとデザートを取り分けていく。

 大皿に美しく盛られていたのは、港町ブリスタインの富を象徴するような、息をのむほど贅沢な菓子の数々だった。


 一つは、香ばしいアーモンドを限界まで生地に練り込み、表面に白砂糖を贅沢にまぶしてザクザクと固めに焼き上げた伝統的なビスキュイ。

 これに、新大陸産のバニラと極上のコニャックで、果肉の形が分からなくなるほど濃厚に煮詰めた無花果のコンフィチュールをたっぷりと乗せて口に運ぶ。香ばしいナッツの風味と、洋酒の芳醇な香りを纏った果実の甘みが、噛みしめるたびに口いっぱいに広がるのだ。


 そしてもう一つは、銅の型で外側を限界まで深く、香ばしく焼き上げたカヌレの原型となる菓子だ。

 蜜蝋でコーティングされた表面は艶やかな琥珀色に輝き、フォークを入れるとカリッと心地よい音を立てる。しかしその内側は、厳選された濃厚な卵黄と最高級のラム酒の香りを閉じ込めた、驚くほどしっとりと柔らかなカスタード生地だった。

 どれも、旅の疲れと激務で飢えきっていた清貴の脳に、じわじわと多幸感が染み渡っていくような、頬が落ちるほどに見事な美味しさだった。


 少し離れた席には、未だ死んだ表情のゼノンと、涼やかな顔のアレスがデザートを楽しんでいる。

 そのテーブルの下ではセルジュが蹲っており、甘い香りに興味を抱いては、絨毯の上で大きな尻尾をパタパタと激しく振っている。尾はゼノンの足を幾度も叩いていたものの、いまだゼノンは疲労しきって魂が戻って来ていない様子だった。


「ブリスタインのデザートは美味しいと聞いていたが、本当にこれは美味いな」

「お口に合って良かったわ。お土産用にたっぷりと持たせるように作らせたから、国へ戻ってからも暫くは楽しめるわよ」

「それは有難い」


 清貴は素直に喜んだ。


「それにしても、ようやくあの臭いが取れてほっとしたよ」

「そうね。もしかしたら私たちの鼻が麻痺しているだけかも知れないけれど、少なくとも街ですれ違う誰かに、不審がられて振り向かれる事はなくなったわ」

「……いや。君の場合は、たとえ異臭がしなかったとしても、別の理由で誰もが振り返ると思うがね」

「あら、嬉しいわ」


 アンヌは悪戯っぽく笑いながら、麗しい金の巻き毛をかき上げた。

 実際に、目の前のアンヌは清貴の目から見ても、一切のお世辞なしに息をのむほど美しかった。今日は深い青色のドレスを身にまとっており、それはシンプルでありながらアンヌの聡明な魅力を余すことなく引き立てている。

 アンヌはホットワインを傾けながら、僅かに咳払いをして口を開いた。


「ねぇ清貴博士。私ね、あのラング・オルムの骨格標本を、多くの人に見て欲しいと思っているの。沢山の人に披露すれば、それだけこの分野に興味を示す人も増える。……ひいては、学者の道を志す若者も増えると思うのよ」

「それは実に素晴らしい考えだ。それもラング・オルムの骨格標本ともなれば、一目見ただけでも脳を揺さぶられるほどの衝撃になるだろうな。もし子供が見たら、誰もが目を輝かせるだろうさ」


 清貴が身を乗り出すと、アンヌもまたその双眸を輝かせた。


「そうでしょう!? でもね、この国には、広く一般にそういった珍しいものを公開する場所が存在しないの。見世物小屋なんかはあるけれど、私の求めているものではないわ」

「なるほど、……”博物館(ミュージアム)”という概念がないのか」

「分からないけれど、多分それの事だと思うわ。ねぇ清貴博士、あなたのいた世界にそういったものが存在していたならば、いったいどんな風に運用していたのかを教えて欲しいの」

「ふむ、……そうだな、僕の専門外だが、……分かった。少々時間がかかるだろうが、知っている限りの情報を纏めて手紙を送るよ」

「助かるわ」

「いや、君のアイデアは本当に素晴らしい。成功したら、いずれヴェネンティカ王国でも造りたいものだな」

「いいわね。そうしたら今度は、私を特別アドバイザーとして招いて頂戴」

「君とまた仕事が出来るならば、間違いなく楽しいだろうな」


 カヌレをつまみながら清貴が自然体に言うと、アンヌはどこか悪戯めいて首を傾げた。


「それはきっと、……もっと早く叶うと思うわよ?」

「ん?」


 首を傾げる清貴に、アンヌは悪戯っぽい笑みを深める。


「あら、気付いてなかったの。今回の一件で『大陸事故調査委員会』は、巨大生物の災害対策にも協力してくれる国を越えた組織だと知れ渡るわ。

 この世界ではね、あなたがまだ知らないような様々な竜種が、あちこちで大暴れしているのよ。竜種だけじゃないわ。魔物のスタンピードや、移動する山とも言われる巨大亀の行進。そういった超常の災害が、今もどこかで起こっているの」

「……なんだか、ものすごく嫌な予感がしてきたな」

「残念ながら大当たりね。清貴博士、あなたは今後、そういった巨大生物をはじめとする世界の様々な脅威の現場からも呼ばれるようになるわ。そして、そんな時には、私もまた有識者として呼び出される可能性がある。ブリスタインは竜種の研究においては最先端だもの」

「君は、……喜んで飛んできそうだな」

「勿論よ!」


 アンヌはパンっと嬉しそうに手を叩いた。


「でも、清貴博士、あなただって楽しみでしょう? 今まで、各国の学者は自国のためだけに閉じた研究をしてきた。でもこれからは、『大陸事故調査委員会』を中心に、様々な分野の学者たちが国境を越えて繋がっていく機会が生まれるかもしれないのよ」

「そう言われると、うむ……確かに、少し心が踊るな」

「そうでしょう? 私ももっと色んな国の、色んな知識人と話がしたいの。国家の垣根を取り払って、知識を世界に広げていきたい」

「実に素晴らしい。ああ、本当に、それは、……胸が熱くなるな」


 アンヌに言われるまでは、まるで想像もしない事だった。

 だが、防災や事故防止といった、国家間の利害を越えた取り組みのプラットフォームがあれば、それが叶う可能性は十分にある。


 時間はかかる。間違いなく膨大な時間と労力を消費するだろう。

 それでも、それは、事故調査という清貴にとっての使命と同じくらいに、これからの人生の命題として持つに相応しい、あまりにも魅力的な未来であった。


「そうだな。是非とも実現しよう。その時は、君が僕のパートナーになってくれるかい?」

「あら! 結婚の申し込み!?」


 ゴホゴホっと、清貴は持っていた紅茶を盛大に噎せ返らせた。そんな彼を見て、アンヌは顔を綻ばせ、鈴を転がすような声をあげて大笑いをする。


 まったく貴族の淑女らしからぬその飾らない様は、午後の陽光の中で、眩しいほどに魅力的だった。

『深海の顎』編はこれにて終了です。明日からは『災の埋伏』編をお送りいたします。

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