事故調査ファイル_深海の顎⑥
ブリスタイン官邸会議室の窓は、大きく開け放たれ、室内であるにも関わらず寒風が吹きすさんでいた。
理由は単純である。
ラング・オルムの腐敗臭がたっぷり染み込んだ清貴をはじめとするメンバーの臭気が、どうしても抜けきらなかったためだ。
本来、会議室とは機密の場である。当然、窓も機密性が高く作られている。それが今回は完全に仇となった。
最初、窓を締め切ったまま始められた会議は、僅か十五分を経たず一時中断を余儀なくされた。参加者の数名が顔を青ざめさせ、体調不良を訴えて退室したためである。
そして、その解決策として窓がすべて開け放たれる事となったのだ。
壇上に上がった清貴は、ここ数日の間に調べ上げた資料を黒板に貼りだし、寒さに身を震わせる会議室の面々を見回した。
「それでは、……改めまして、ラング・オルム座礁に関する恒久的な対策案についてご説明いたします。
まず、この問題を話し合うに当たって皆さんに知って頂きたい事がございます。なぜ、普段滅多に姿を見せることのないラング・オルムが突如として現われたのか。
これには、彼らの生態が大きく関わっています。この点につきましては、竜種研究の第一人者であるアンヌ博士よりご説明頂きます」
清貴に促されて、アンヌが壇上へとやって来る。
「ご紹介にあずかりましたアンヌです。前置きは不要でしょうから、すぐに説明に入らせて頂きます。
このたび発見されたラング・オルムは、ブリスタインよりおおよそ五十海里ほど離れた深海底を主たる生息地としていると推測されます。
潜伏型の竜種で、長大な尾による推進力により素早く前進し、海中に存在するあらゆる種を捕食しています。これには同種であるラング・オルムも含まれ、たびたび激しい共食いが行われている形跡があります。
また、それでもエネルギーが不足する場合、海底火山に由来する特定の熱水鉱床を摂取し、体内燃料として利用しています。
海面に近い場所では、体内に取り込んだこの鉱石を含む汚泥を推進剤として勢いよく噴出することで、爆発的なスピードを得ることが可能です」
「――アンヌ博士、ご説明ありがとうございます」
丁寧に頭を下げた清貴は、黒板に貼りだした海図に向き直った。
「ご説明頂きました通り、ラング・オルムは海底の、それも海底火山帯付近を生息地としている竜種です。
それを踏まえて、今回何が起こったのか……、会議室にお集まりの皆さまもすでに想像がついているかと思いますが、原因は『海底火山の噴火』です。
死骸として漂流していた個体をα、艦隊を襲撃していた個体をβとして、各個体に何が起こったかを説明します。
α個体は、β個体に比べればやや小振りの個体でした。この個体は、海底火山の噴火により致命的な熱傷を負ったか、あるいは急速な酸素不足による窒息が原因で死亡。その巨体は二十四時間ほど深海底に留まっていましたが、体内の自己消化による腐敗ガスが臨界に達したことで海面に浮上、風と海流に乗って漂流を開始しました」
清貴の説明を肯定するように、傍らでアンヌが大きく頷いた。
「β個体も、同じく海底火山の噴火により熱傷を負いますが、こちらは致命傷を免れました。
しかし、その後に発生した大規模な地殻変動、――外洋津波の凄まじい衝撃波と餌場の破壊によってパニックを起こし、津波に押し出される形で通常海域へ迷入。
そこで先行して漂流していたα個体の死骸を発見し、捕食行動に移ったものと考えられます。
どちらの個体にも共通している原因は、海底火山の噴火です。
つまり、今後も海底火山の活動が続く限り、ラング・オルムの死骸が、あるいは生きたラング・オルムがブリスタイン沖に流れ着く可能性は極めて高いと考えられます」
会議室が、にわかにざわめいた。
ブリスタインは海洋都市である。海底火山の存在は知識階級であれば十分に理解しているだろう。
だからこそ、一度活動期に入った火山が、しばらくは活動を続けることが、この国にどれほど破滅的なリスクをもたらすかを瞬時に理解してしまったのだ。
清貴は場内のざわめきが収まるのを待って、再び口を開いた。
「ここまでの課題を踏まえまして、海底火山の活動を正確に、そして迅速に把握するシステムの構築を提案させて頂きます。
具体的にご説明いたします。現在、ブリスタイン沖にある監視塔は計5か所となります。まずは、この5か所の監視塔における、ここ一か月の観測記録をご覧下さい」
清貴は地図を指し示した。
「地図上で、赤いピンを建てた監視塔は、体に感じられないほどの微小な震動を含め、100回以上の群発地震を観測した場所です。一方で黄色いピンは50回、青いピンは10回以下。
つまり、今回の震源となった海底火山は、この2つの赤いピンに挟まれた海域であると推測できます。
さらに、各監視塔が揺れを検知した『時刻のわずかなズレ』を解析いたしました。地震の波が伝達する速度から逆算していけば、交点となる震源地の特定が可能です。多少の誤差はあるでしょうが、現在活性化している海底火山の位置は、間違いなくこの地点です」
清貴は黒板に張った地図の、何もない洋上へと新たにピンを深く突き立てた。
「まずは震源に近い2つの監視塔に、より精密な地震検知器を設置して24時間体制での監視を実施します。規定値を上回る規模の地震が発生した場合、即座に魔石通信にてブリスタイン軍部へ通報。
これを受けた海軍は、ラング・オルムの浮上予測海域へと巡視船を急行させます。浮上地点は風向きや海流、また津波の有無によって変化しますが、今後の観測データを蓄積して精度を高めていけば、おおまかな位置を絞り込むことは十分に可能です。
そして――もしラング・オルムの死骸を発見した場合、バリスタを搭載した軍艦が接近し、湾内に侵入する前に遠隔から外皮を撃ち抜きます。限界まで溜まった体内の腐敗ガスを外洋で安全に『ガス抜き』し、自重で海底へ沈める、あるいは爆発の危険を排した状態で安全に牽引するためです」
生唾を飲み込んでいた官僚たちが、ここでホッと胸をなでおろす。
その様子に、清貴も静かに頷いて返した。
「この方法であれば、ラング・オルムが脅威となる前に処理することが可能となるでしょう。
しかしながら、私はもう一歩踏み込んだ対策を提案したい。そもそも、今回のラング・オルム漂着の根本的な原因は海底火山の活性化そのものです。
単に死骸の処理に留まることなく、海底火山に対する警戒、そしてそれに伴う地震および津波への対策として、より広い視野での『包括的な防災』を提案いたします。
具体的には、各監視塔の設備強化、連絡体制の即時見直し、そして危機管理に対する職員の意識改革です」
清貴が目くばせをすると、目の下にどす黒い隈を作ったゼノンが、重い足取りで会議室の面々へと資料を配り始めた。
そこには、清貴が科学者として夜通し書き上げた草案を、ゼノンがブリスタインの法制度や予算枠と冷徹に見比べながら、一つの綻びもない「実現可能な政府提案書」へと作り上げた、まさしく二人の血と涙の結晶が綴られていた。
官僚も、軍部の人間たちも、しばし沈黙したまま資料をめくっていた。
理路整然と並べられた文字は、冷徹に現状を直視しながらも、根底にあるのは僅かな曇りすらない”純粋な善意”だ。
そこには国家という垣根を超え、防災という意識を世に広めたいという清貴の思いが詰まっている。
「これは、……実に、素晴らしい。確かにこの対策であれば、ラング・オルムの座礁だけでなく、海底火山を原因とした様々な災害を未然に防ぐことが出来るでしょう」
ページをめくりながら、ガブリエルは震える声で呟いた。
ガブリエルは冷徹な政治家である。
大陸事故調査委員会が、どれほど「国家を越えた中立な活動をしている」と宣言していても、その高度な知識は結局のところ、母体であるヴェネンティカ王国が独占し、政治的カードとして利用するのだろうと勘繰っていたのだ。
このたびの依頼に関しても、利己的な限定調査に留まるものだと決めつけていた部分があり、まさかブリスタインの防災基準そのものを底上げするような、無私の提案がなされるとは微塵も思っていなかった。
「――聖女様、ブリスタインを代表し心より感謝申し上げます」
「僕は、『大陸事故調査委員会』として、やれるべきことをしました。次は貴方達がそれを実行する番です」
「ええ、その通りです。ご提示いただきました内容については、官僚と軍部で綿密な話し合いを重ね、必ずやこの手で実現させてみせます」
ガブリエルの言葉には、一片の外交的辞令もない、心からの熱がこもっていた。
そして、寒風の吹きすさぶ会議室に集まった者たちの心もまた、今や全く同じ熱で満たされていた。




