事故調査ファイル_深海の顎③
「ああ、……大陸事故調査委員会の清貴です。発言しても宜しいでしょうか?」
騒然となった会議室で声をあげたのは清貴だった。
議長のガブリエルが頷くのを確認し、腰をあげる。
「先ほどブリスタイン沖の孤島にサーン=ラペの監視塔があるとの発言がありましたが、その監視塔でなんらかの異変、……例えば、地震の発生などの報告はありませんでしたか?」
「確認いたしましょう」
ガブリエルが命じると、今しがた報告に来た男が速やかに部屋から立ち去っていく。
そうして五分もしない間に戻って来ると、再びガブリエルに耳打ちをした。
「……調べさせたところ、半刻ほど前に監視塔でも微小な揺れを観測したとの報告が来ておりました」
「なるほど。やはり、ラング・オルムの漂流速度が急上昇したのは、外洋性津波の影響です」
「津波、……しかし、監視塔の報告では異常と思われるほどの水位の上昇は報告されておりません」
「監視塔の建てられている場所にもよりますが、たとえば見晴らしのいい断崖絶壁の上などにある場合、潮位が50センチほど上昇したとしても目に見えた変化はないでしょう。
しかし、50センチの津波は、日頃見慣れているような砂浜に打ち寄せる波とはまったく性質が異なります。海底から海面までの水塊が丸ごと移動する、水平方向への圧倒的なエネルギーです。150トンの巨体を強制的に押し流すには十分すぎるほどの力になります」
「なんと、……」
絶句するガブリエルに、腰をあげたのはオベール少尉だ。
「原因究明は大事ですが、今は目下の事態解決に全力を注ぐべきと存じ上げます。すぐに我が海軍の軍艦を出動させ、正面からワイヤーをかけて漂流を食い止めるべきではないでしょうか!」
「待て、それは自殺行為だ」
清貴は即座に手を挙げてそれを遮った。
「波の進行方向に真っ向から逆らうように牽引すれば、ロープが千切れるどころか、軍艦の竜骨がへし折れて沈没する可能性もある」
「では……正面から受け止めるのではなく、湾を迂回するように、横方向へ力を逃がしながら斜めに牽引しては如何ですか」
海軍長官が必死に海図を睨みながら絞り出した提案に、清貴は「その通りだ」と頷いた。
「それがもっとも理にかなっている。正面衝突を避け、ベクトルの向きを逸らす。
……しかし、問題はラング・オルムのあの長い形状だ。あの長大な尾は、旋回の最中に波の影響をダイレクトに受ける事になる。方向転換の最中に、20メートルもの尾部が海中で巨大な『錨』のように働き、回頭の動きを完全に阻害される可能性が高い」
「でしたら私に考えがございます」
再び椅子から立ち上がったのはアンヌだった。
「骨格標本図をご覧ください。先ほど申し上げた『排泄口』の真上――尾の付け根にほど近い、こちらの第三関節付近の骨の形状は、比較的遊びのある造りになっています。つまりこれは、生きていた時にはこの第三関節を起点に、長い尾をしならせるように移動していたという事になります」
アンヌはマホガニーの机に身を乗り出し、熱っぽく図面を指さした。
「と、なればこの部分は皮膚や鱗も他の部分より遥かに薄く、可動域が広い形状になっている筈です。
そして、死後数日が経ち、無防備な腹部を上にして漂流していたのだとすれば……、第二捕食者――小型のシーサーペントや鮫、狂暴な海洋魔獣どもに真っ先に食い荒らされ、すでに骨関節が半ば剥き出しになっている可能性が非常に高い」
「なるほど……!」
清貴は小さく膝を打った。
「装甲が食い破られてハダカの状態なら、バリスタの大矢をその露出した第三関節に直接叩き込み、骨そのものを衝撃で粉砕してしまえると言う訳か」
清貴の言葉にアンヌは大きく頷いた。
「ラング・オルムの尾は分厚いゼラチン質と筋肉組織の塊です。この部分にはガスを溜める空洞がほとんど存在しないため、関節の骨さえ破壊すれば、尾は自重と津波の水圧で綺麗に千切れて海底に沈みます」
「尾がなくなれば全長はおおよそ半分、重量も3分の2程度まで軽くなる。それなら水の抵抗も激減するな」
「ええ、これならば何とか軍艦の馬力でも、横方向にずらす事が可能になる。あとは、津波の直撃を避けるように斜めに航行し、安全が確認できた岩礁地帯で、残った胴体を爆破出来る……!」
興奮して拳を握るアンヌに、会議室の面々も次第に熱を帯びてくる。
「それならば……」
「ああ、可能だろう」
囁かれる声を聞きながら海軍長官が立ち上がった。
「ならば、今すぐ出航の準備を開始いたします。清貴様とアンヌ博士には、戦艦に同乗頂けますでしょうか?」
「もちろんだ!」
「もちろんよ!」
清貴とアンヌは、ほとんど同時に頷いた。
ブリスタインの街は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
街のあちこちで警鐘が鳴り響き、市民たちが高台へと避難を開始している。その高台からは、すでに水平線上に黒く浮かぶ物体が見える距離まで近づいてきていた。
湾内にいた船も一斉に移動を開始していた。
二年前の惨劇で、湾内に停泊していた船のほとんどは再起不能となったからだ。
それに加えて、今は津波の接近も予想されている。その高さは正確には予想出来ておらず、船体がぶつかって傷つく可能性も十分にある。
陸と海。その双方が慌ただしく移動を開始し、誰もが必死に動き回っていた。
そんな中、清貴とゼノンとアレス、そしてアンヌは軍艦のタラップを進んでいた。セルジュはお留守番であり、ガブリエルが預かってくれている。
清貴たちが乗り込むと同時に、タラップが引き上げられ、魔導エンジンが唸りをあげる。
ブリスタイン海軍の軍艦は、見た目こそ優美な帆船型のフリゲート艦に似ていたが、その外壁のほとんどは魔石精錬された鋼鉄で造られており、鈍重な船体を動かすために強力な魔石エンジンとスクリューが搭載されていた。
しかし、ひとたび大海原へと漕ぎ出せば、三本のマストに帆を全開にして風を掴み、魔石エネルギーを温存するという、いわばハイブリッドの運用がなされている。
船体の左右には合わせて三十ほどの砲門がずらりと並び、そして船体後部の特設デッキには、全方位を射程に収める回転式の巨大バリスタ座が取り付けられていた。
計三隻の軍艦が白波を切って、海上を滑り出す。
「いやはや、面白い、実に興味深いな……」
清貴は船上で感嘆の声をあげていた。
傍らにいたアンヌが首を傾げる。
「どうなさったのですか、聖女様」
「いや、……僕のいた世界にも、この軍艦とよく似た系譜の船があったんだ。
『機帆船』、あるいは『帆走蒸気船』といってね。あちらは魔石ではなく石炭の熱量でスクリューを回していたが、燃費のために平時は帆で走るという運用の思想まで、驚くほどそっくりだ。
僕の世界の歴史でいえば、それが海軍の主役だったのは十九世紀頃の話だ。
この世界の文明レベルは、建築や社会構造を見る限り全体でいえば十七世紀のそれだが……魔石という超高密度エネルギーの存在によって、造船や軍事といった一部の技術だけが、二世紀近くも歪にオーバーテクノロジー化しているわけだ」
「なるほど、聖女様のいた世界では、魔石が存在しなかったのですね。となれば、……そうですね、そのエネルギーを石炭で賄っていたとなれば、社会の様式は随分と違うものだったでしょう」
「ああ。この世界は、僕がいた世界よりも、もっと早いスピードで成熟していくかもしれないな」
「でしたら、……より聖女様のような存在が必要ですね」
アンヌの言葉に、清貴は目を瞬かせた。
新しい技術が生み出されるという事は、それだけ新たな問題に直面することを意味している。
テクノロジーの進化は、より大きく、より悲惨な事故の引き金にもなりうるのだ。
アンヌはそのことを直感的に理解している。
「君は、実に聡明な女性だ」
清貴が思わず声を漏らすと、アンヌは嫣然と微笑んだ。
「あら、聖女様ったら、私を口説いていらっしゃるの?」
ごほっと大きく咳き込む清貴に、アンヌはころころと楽し気に笑みを転がした。
「嬉しいわ。私、美しいだとか綺麗だとか言われるよりも、聡明だと言われた方がずっと素敵だもの」
清貴が何か言いかけたところで、ふいに上空を影が走った。
身構える間もなく急降下してくる物体を、ふわりと舞い上がったアレスの鋭い蹴りが弾き飛ばす。
甲板へと叩きつけられたそれは、プテラノドンにも似た小型の翼竜だった。
蹴りの衝撃で首をへし折られた翼竜はそれでも甲板を転げまわり、兵士たちにサーベルを突き刺されて動きを止める。
「な、なんだ……!」
咄嗟にアンヌを庇うようにして屈みこんだ清貴の目に、上空を飛び交う翼竜の群れが飛び込んで来る。
「空の死体漁り達です。あれは、カルネ・アーラね。群れになると途端に凶暴になるの。私たちが獲物を横取りしに来たと思っているようね」
「まぁ、あながち間違ってはいないな」
艦上の警鐘が打ち鳴らされ、次々に甲板に出て来た兵士たちが交戦を開始する。
アレスもまたモーニングスターを構えると清貴へと振り返った。
「聖女様、艦内に避難してください!」
「了解した!」
アンヌの手を取って駆けだす清貴を、ゼノンが一足遅れて追いかける。
その一歩を、空の捕食者は見逃さなかった。
羽を畳み、一気に下降した翼竜が、その鋭いかぎ爪でゼノンの身体を掬い上げる。
「ひ、ッ、……ヒエェエエエエエエエエエ!!!!」
遠ざかる悲鳴を追いかけ、アレスが檣楼を駆け上がる。相変わらずの化け物じみた脚力だ。
その体が全身をバネに檣楼から飛翔し、獲物を手に飛び立とうとした翼竜の頭蓋を叩き割る。
「ぎやぁあああああああああああ!!!!」
途端に、打って変わって落下するゼノンが断末魔じみた悲鳴をあげ、だがその体が叩きつけられるより早くアレスの腕へ抱え込まれる。
ズダァアアアアン、と。
到底、人間の着地音とは思えない音を轟かせ、アレスが甲板に降り立った。
その腕の中ではゼノンがガチガチと歯を鳴らして震えている。
「おおおおおお、おかしいでしょう! おかしいですよ! こういう場面ではヒロインが攫われるものでしょう!?」
「……よし、元気そうだな」
こんな場面でも不平を漏らすゼノンに清貴は思わず苦笑する。
「アレス、急いで鳥どもを蹴散らしてくれ。もうあまり時間がない」
「承知いたしました、聖女様。このアレス・レクイシムがすぐに掃除して参りましょう」
ラング・オルムは、すでに港から肉眼でも見える距離まで近づいている。
津波の第一波が到達するまでのタイムリミットは、あと僅かしか残っていなかった。




