事故調査ファイル_深海の顎②
海洋都市ブリスタイン。
官邸寮の中庭に飛空艇が着陸すると、まず最初にタラップを駆け下りたのはセルジュだった。
ゼノンの愛犬であるセルジュが地面に降り立つとそのモップのような毛を吹き抜ける海風がまきあげる。
ヴェネンティカ王都もまた港町であったが、ブリスタインは同じ港町であっても吹く風の温度も、匂いも、全てが異なっていた。
ブリスタインの風は海から押し寄せ、冷え切っている。荒々しいとも言える磯の香りが鼻孔を満たし、ツンっと頭の中まで凍えるような冷たさだ。
風は湿度を含むものの、ヴェネンティカに比べれば乾いている。
港の端は、今がちょうど干潮であるのか、広大な干潟がむき出しになっており、ところどころ八重歯のような岩礁が顔を覗かせている。
清貴とゼノン、そしてアレスと続いて中庭に降り立てば、飛空艇に対する物珍しさか、多くの窓から職員が顔を覗かせていた。
「会議室をご用意してあります。そこで、今後の作戦に関して話し合いを致しましょう。皆様がお休みになられるための部屋も、……」
「聖女様!!!!」
ふいに、快活な声が響き、入口に集まっていた黒山の人だかりを抜け、一人の女性が顔を出す。
風になびく金の巻き毛、上品な若草色のドレス。遠目から見てもぱっと目を惹き付けるほど美しい女性だ。
だが、女性はそのドレスの裾を持ち上げると、清貴たちの元へと駆け寄ってきた。
「聖女様、お待ちしておりました! 私はアンヌ。アンヌ・ミショーと申します! 聖女様とお話をする瞬間を心待ちにしておりました。聖女様がお書きになられた事故調査に関する記録は、……」
「アンヌ嬢」
距離を詰めるや否や、一気にまくし立てるアンヌをガブリエルが頭を抑えながら止めに入る。
清貴はただ呆気に取られていた。
間近で見てもアンヌは美しい女性であったし、世が世であれば銀幕のスターになっていただろう。
一見すれば冷ややかな印象を与えかねないガラス細工のような繊細な美貌は、しかし今は興奮故にか頬が紅潮し、色素の薄い青色の目も好奇心に輝いている。
「ああ、……ええと……?」
戸惑う清貴に、アンヌははっと息を飲むと優雅なカーテシーを披露する。
「ごめんなさい、私ったら。つい興奮してしまって。改めまして、アンヌ・ミショーと申します。ブリスタイン博物自然科学院・海洋竜種研究所の研究員として勤めております。このたびは、ラング・オルムの生態の専門家として会議に参加させて頂く事になりました」
「君が、……ラング・オルムの専門家? 目撃例はほぼないと聞いたが」
「仰る通り、目撃例はほとんどありませんでした。しかし、研究所は複数の骨格標本を保持しており、二年前の惨事においては、様々なサンプルを入手しております」
「そうだったな。座礁事故の時にも君はこのブリスタインにいた訳か」
その問いかけに、僅かに沈黙が降りる。
アンヌは一瞬だけ表情を消し、すぐに笑みを取り戻した。
「ええ、そうです。第一線での目撃者でもあり、主任研究員でもあります。お役にたって見せますわ」
青い瞳は、強い決意の色を宿していた。
ガブリエルに案内された会議室は、格式の高さが滲みだす重厚極まる空間だった。
四方の壁は磨き上げられたオーク材の飾りパネルで覆われ、高い天井からは真鍮製の魔石シャンデリアが静かな青白い光を落としている。部屋の中央には、何世代もの執政官が触れてきたであろう、マホガニーの長机が鎮座していた。
縦長の格子窓からは、ブリスタイン湾の荒々しい海原が一望できる。部屋の隅にある大理石の暖炉から届く薪の熱だけが、外の凍えるような潮風を忘れさせてくれた。
清貴が革張りの猫脚の椅子に腰を下ろすと、アンヌが手際よく、その大卓の上に何枚もの巨大な羊皮紙の図面――ラング・オルムの骨格解剖図や、ブリスタイン湾の水深図を広げていく。
会議室に集まってきたのは、軍人らしき人物も多く見られた。女性はアンヌ一人であったが、気圧される様子もなく堂々とした振舞いを見せている。
この世界には、魔石や魔法によって、身体の強靭さに頼らずとも活躍の機会を持つことが出来たが、それでも第一線で働いているのは男の方が遥かに多かった。それは、魔法が存在するからと言って、それを扱える者はそう多くはない事にも起因するだろう。結果的には、やはり多くの場において、身体の強靭さがものを言う。
そんな中であるからこそ、薔薇が花開いたかのようなアンヌの存在は異質であった。
「これより、『ブリスタイン湾竜種座礁・二次災害阻止緊急合同会議』を開始する。まずは海軍所属オベール少尉より状況説明をお願いいたします」
ガブリエルの声に起立したのは、見事な髭を蓄えた軍服の男だった。
「状況説明を実施いたします。昨日夜間、ブリスタイン沖の孤島、サーン=ラペの監視塔より魔石通信を受信。漂流するラング・オルムの死骸を発見したとの一報が入りました。
海軍はただちに高速船を派遣。ブリスタイン沖22海里地点にて目標物を発見。
漂流速度は0.2〜0.3ノット、よって、死骸がブリスタイン湾内に流れ着くのは明後日の朝となる見込みです」
オベールは報告をしながら、机に広げられた海図のラング・オルム発見地点に鋲を打つ。
そこからブリスタイン湾への漂流ルートを指で示した。
「ふむ、……今回はまだ余裕がありますな……」
「前回は朝起きたら流れ着いておりましたからな」
会議室内の空気に、まだ息苦しいほどの緊迫感は薄かった。
前回と違い、今回は不意打ちではない。湾内に入り込む前に軍艦で牽引し、安全な場所で爆破すればいいという目算がある。
会場が静まる頃合いを見計らい、再びオベールが口を開いた。
「漂着までの時間的猶予はございます。しかしながら、別の問題がございます。前回、ラング・オルムが座礁した際、海軍は船上からバリスタを打ち込み、ラング・オルムの牽引を試みました。
ですが、ラング・オルムの皮膚は非常に固く、また弾力性があり、海軍が所有するもっとも強力なバリスタであっても貫く事が叶わなかったのです」
「おお、……なんと」
続く報告に、官僚たちから失望の息が漏れる。
すぐに声を上げたのはガブリエルだった。
「その件に関しまして、ブリスタイン博物自然科学院・海洋竜種研究所の研究員であるアンヌ・ミショー博士においで頂いております。博士はラング・オルムをはじめとする竜種の研究においての第一人者であり、二年前の惨劇の際には数多くのサンプルを採取し、研究を重ねて参りました。
アンヌ博士、宜しくお願いいたします」
ガブリエルの紹介を受けて、アンヌが椅子から立ち上がった。
それだけで会場の空気が変わるほどに、やはりアンヌは華やかだった。官僚の中には、そんなアンヌに脂下がった視線を向けている者もいる。
「ご紹介に預かりました、アンヌと申します。結論から申し上げます。ラング・オルムを牽引、あるいは爆破するためにバリスタを打ち込むのであれば『排泄口』を、――つまり『肛門』を狙うのが最も適切な手段です」
途端に場内が凍りついた。
誰かが咳払いをし、先ほどまで脂下がった顔を見せていた官僚たちがもぞもぞと椅子の上で姿勢を正す。
「排泄口は、臓器です。そこはラング・オルムと言えど皮膚も薄く、貫けば体内深くまで一息に突きとおす事が可能となります。通常であれば、表面の括約筋により閉じている状態ですが、死後しばらくたっており漂流が続いている状態であれば、排泄口付近は緩んでおり、開いた状態となっているでしょう。
ラング・オルムの全長から判断するに、排泄口の大きさは30センチから50センチほど。縦長の形状をしているものと推測致します。海軍の狙撃手であれば、狙い撃つことも出来るでしょう」
会議室の面々が気まずい空気を漂わせる中、アンヌは机の上に広げたラング・オルムの骨格解剖図を指さしながら、淡々と言葉を続けていく。
「この際に射出する大矢に、内部に侵入した後に返し状に開くように細工を施せば、そのまま牽引することも可能です。また、大矢に魔石爆弾を仕掛けておけば、安全な洋上で爆破することも可能となるでしょう」
アンヌの説明が終わっても、会議室にはしばし沈黙が満ちていた。
重い空気を打ち破って、咳払いとともに立ち上がったのがガブリエルだ。
「……アンヌ博士、大変参考となるご意見を頂きありがとうございます。……海軍長官にお伺いいたします。今、ご提案を頂きましたラング・オルムの、――……狙撃案に関して、実行は可能でしょうか?」
水を向けられた海軍長官は、席を立つと重々しく頷いた。
「可能であります。我が海軍の誇るバリスタ狙撃手は、洋上にて激しく揺れる敵船の操舵手の頭を撃ちぬくことも出来るほどの熟練者揃いであります。波間に浮かぶ30センチの標的など、造作もありません」
「なるほど。では、ただちに工廠に仕掛け大矢の制作に取り掛かるよう指示を出して下さい」
「もとより海軍所有の大矢の中には、敵船の装甲を貫通させ、返しを起動し牽引するためのものや、爆破魔石を装着したものがございます。改良にはそう時間はかかりません」
清貴は黙って会議の行方を見守っていた。
どうやら漂流ラング・オルムの始末に関しては、ブリスタイン軍部だけで片付ける事が出来そうだ。
大陸事故調査委員会の出番は、始末が完了した後の、恒久的な対策案の構築となるだろう。
そう、タカを括っていた所だった。
ふいに会議室のドアが勢いよく開き、一人の伝令兵が駆けこんでくる。男は息を切らせながらガブリエルの傍らまでやって来ると、小声で何事かを報告した。
「なんだと……!」
途端にガブリエルの顔色が紙のように白くなる。
一同に緊張が走る中、ガブリエルは震える声で口を開いた。
「今しがた、巡視船より魔石通信が入りました。ラング・オルムの漂流速度が突如、上昇。……このままで行けば、日が沈むより早く、あと数時間で湾内に到達する見込みです」
「バカな、あり得ん! 沖合22海里だぞ!?」
海軍長官が声を荒らげる。
「いえ、それは発見地点です。現在の漂流地点は19海里付近です」
オベール少尉の言葉に、清貴の脳内では凄まじい速度で数式が組み上がっていく。
本来なら、漂着まであと2日弱の猶予があるはずだった。
それが、日が沈むまでの『あと数時間』で到達する。
逆算すれば、現在のラング・オルムの速度は少なくとも10ノットから15ノット……時速にして20キロメートル以上出ている計算になる。
風もない、おだやかなベタ凪の海で、150トンの死肉が軍艦並みの快速で泳ぐわけがない。
何かが後ろから強烈な力で『押して』いるのだ。
その力の正体は何なのか。会議室は、まるで豪奢な部屋ごと押し潰されてしまいそうな、重苦しい空気に満ちていた。




