事故調査ファイル_深海の顎①
ヴェネンティカ王国のさらに西方に位置する、海洋大国ブルタニア公国。
その最西端にそびえるブリスタインは、王国屈指の規模を誇る「海洋要塞都市」である。
年間を通じて吹く海風がもたらす気候は穏やかだが、この都市の真の価値はその奇跡的な地形にある。
外洋からの狭い水路を抜けた奥に広がる「ブリスタイン湾」、――広大な内海を抱くその湾は、荒波を遮る天然の要塞であり、ブルタニア最大の造船ドックと軍港を擁する国難の盾であった。
都市の深部まで張り巡らされた運河では、休日ともなれば貴族たちが優雅に舟遊びに興じ、湾内には流れるように白い帆船が行き交う。
青い海と、青い空。行き届いた統治が生み出す平和な日常。
それがブリスタインという都市であった。
「……待ってくれ、これは、僕の仕事なのか……?」
そのブリスタインよりさらに南西の洋上。
ようやく完成した事故調査委員会専用の飛空艇『アレテイア号』の甲板から、清貴はそれを見下ろしていた。
吸い込まれそうなほど深い海のブルー。
そこには、一目見ただけで本能的な恐怖心を呼び起こす異常な物体が浮かんでいた。
清貴が知っている生物で例えるならば、もっとも形状が似ているのは『ラブカ』だろう。
鮫をウナギのように引き延ばしたような形状のそれは、白い腹を天に向けて海原を漂っている。
特筆すべきはその大きさだった。
飛空艇は上空にあるものの、それでも一目で異常と分かるそのサイズは、シロナガスクジラほどあるだろう。
その身体には数多の第二捕食者が群がっており、まるで巨躯全体が波打っているかのようだった。
「そもそも、アレはなんなんだ?」
「あれは、ラング・オルムです」
呆然と問いかける清貴の声に答えたのはゼノンだった。
「ブリスタインの海域に生息しているドラゴンの一種ですが、生きた状態での目撃例はほとんどありません」
「ドラゴン、……そうか、ドラゴンか。そうだったな、ここが異世界だという事を久しぶりに思い出したよ」
「ラング・オルムはとくに珍しいドラゴンですからね。専門家の間では、深海に生息しているという説が有力です」
「なるほど、それであのやたら長い尾、か」
勿論、清貴が元居た世界と、この世界では大きく異なる部分は存在する。
魔法、魔石といった存在が最たるものであったが、人々の営みは清貴の理解の範疇にあった。
しかしこうして、現世にはまったく存在しなかった、太古の生物を思わせる存在に遭遇すれば、改めて別世界である事を実感する。
「……ああ、それで、……その、あれはラング・オルムの死骸だな。それが僕の職務とどう関わるんだ?」
「それに関しては、私から説明させて下さい」
ゼノンのすぐそばに控えていた男が一歩前に進み出た。
名をガブリエル・アダン。50歳を超えているであろう落ち着いた物腰と、若かりし頃の輝かんばかりの美貌を想起させる思慮深い顔立ちは、皺を刻んでもなお十分すぎるほどに美男といえる。
ガブリエルはブリスタインの執政官であり、清貴たち『大陸事故調査委員会』に至急の依頼を出してきた当人であった。
「今からおおよそ二年前の話です。丁度、収穫祭の前日でした。その日いつも通り目覚めたブリスタインの市民は信じられない光景を目にする事になったのです。
それは、湾内に流れ着いたラング・オルムの巨大な死骸でした。
夜の間の満潮に乗って流れてきたのでしょう。我々が気付いた時には死骸は港に入り込み、座礁した状態にありました」
「……それは、さぞ異様な光景だっただろうな。今まではまったくなかったのか?」
「記録としてはございますが、100年以上前のことです。近隣の浜に死骸が打ち上げられた事もあり、骨格標本も存在しております。しかし、実際に見た者は殆どおりませんでした」
「なるほど、それでどうなったんだ?」
清貴が問いかけると、ガブリエルは目を伏せて、眉間に深くしわを刻んだ。
「当初、我々はそこまで事態を重く見ておりませんでした。鯨の死骸が流れ着いた時と同じように対処すればいい、誰もがそう思っておりました。
見た限りでは、かなり腐敗が進行していたため、軍艦で湾外まで牽引した上で、腹をついてガス抜きをして沈めてしまえばいいと考えていたのです。一部では、近隣の海岸まで曳航して、新たな骨格標本を造れば観光名所になるなどという楽観的意見もあったほどです」
「しかし、そうは行かなかったのか」
「そうです。まず、ラング・オルムは我々が想定していたよりも遥かに重量がありました。それも、すでに座礁した状態であれば、死骸を動かすことは不可能な状態にあったのです」
清貴は改めて洋上を漂うラング・オルムの死骸を見下ろした。
目測ではあるが、その体長は20メートルをゆうに超えるだろう。さらに尾部まで含めれば40メートルにも届きそうだ。
シロナガスクジラと全長はほとんど大差はない。むしろラング・オルムは鯨に比べれば、随分と細長い形状だ。
しかし、深海に生息しているならば、その圧力に耐えるために身体は分厚いゼラチン質と膠質の皮膚、そして水分を含んだ高密度の肉質で覆われている事になる。さらに体内にみっちりと詰まった内臓の質量を計算すれば……胴体だけで100トン、尾で50トン。総重量は150トンを軽く超えるだろう。
150トンの質量は、海中であれば浮力が働く。それゆえに、軍艦が数隻あれば牽引することは可能だろう。
しかし、その身体が座礁しているならば、話はまったく違ってくる。
引き潮によって湾奥の泥にめり込んだ死骸は、泥の表面張力と凄まじい摩擦力によって、ほとんど動かせなくなってしまう。
「複数の軍艦が右往左往する中、港ではさらに恐ろしいことが進行しておりました。
先ほどお話しました通り、ブリスタインは収穫祭の前日でした。各地から観光客が集まり、ただでさえ港町は賑わっていた。
それに加えて、誰もが見たこともないラング・オルムの死骸が流れ着いたのです。人々はこぞって港に集まり、……その賑わいは収穫祭のために訪れていた商人たちが、前倒しで屋台を出したほどでした。まさに、お祭り騒ぎとなったのです」
「ふむ、……嫌な予感しかしないな」
数々の調査書を読んできた清貴にとって、予期せぬ事態とそれに群がる群衆の構図は、『大事故の青写真』と同意語だ。
「ええ、その通りです。午後を回り、太陽がぎらぎらと照りつけ始めた頃合いでした。群衆が見守る中、ラング・オルムの死骸は腹部が異常なまでに膨張し、目に見えて危険な状態でした。海軍は、群衆に避難を促しましたが、従う者はほとんどいなかった。
そして、正午より半刻後。激しい爆音とともにラング・オルムが爆発。その威力は凄まじいものでした。
付近にあった軍艦三隻のうち、二隻が沈没。はじけ飛んだラング・オルムの胴体からは、巨大な肉塊や、内臓、鋭利な骨が飛散し、詰めかけていた群衆の上へと飛散しました。死者は300人以上、怪我人は2000人を超え、飛び散った肉塊などにより付近の建造物も多大な被害を被ったのです」
「あ、あの、申し訳ない、爆発したというのは一体? ラング・オルムの死骸に爆弾をしかけたという事ですか?」
眉尻を下げながらそっと手をあげたのはゼノンだった。
「ああ、爆発というのは、ラング・オルム自体の体内に溜まったガスの事だ。あれを見てみろ、腹部が膨らんで見えるだろう?」
清貴が傍らに促すと、ゼノンは恐る恐る飛空艇の縁にやって来て身を乗り出した。
「生物が死ぬと腐敗するのは知っているだろう? その際に大量のガスが発生する。人間の場合も勿論そうだが、巨大な水棲生物の場合は勝手が異なってくるんだ。
水棲生物は、水温や水の圧力に耐えるために、皮膚がより強靭に出来ている。その内側で発生したガスは外に漏れ出すことなく、どんどんと皮膚を膨張させる。皮膚は強靭だが、……それでも限界は存在する。限界が訪れた瞬間に起こるのが爆発だ」
「な、なるほど、そんな事が……」
ゼノンはそれを聞いて慌てて顔を引っ込めた。
「……被害は、爆発による直接的なものだけには留まりませんでした」
再びガブリエルが口を開いた。
「爆発によって漏れ出したガスにより、呼吸困難や体調不良を訴えた者が数多く現われました。さらに恐ろしい事に、その被害は半年経ったあとも様々な形で残っていたのです」
「半年が経ったあとも?」
「そうです。はじめの数週間は、悲惨そのものでした。湾内はラング・オルムの油分により厚い膜がはっており、腐敗臭は耐えがたいほどでした。それによって、まず漁師たちが被害を受けました。湾周辺の魚が死滅してしまったのです」
「150トンの脂質が引き起こした海域の急激な富栄養化、――デッドゾーンの形成によるものだな。油膜が海面を覆って水中の酸素供給を断ち、爆発的に増殖したバクテリアが残りの酸素を食い尽くしたんだ。
さらにラング・オルムの体内で育っていた寄生虫や病原体が広範囲にバラまかれた。近辺の魚を食べた者たちからの健康被害の報告もあったんじゃないか?」
「ございました。はじめのうちは、それがラング・オルムと結びついているとは考えもしませんでしたが、今思えば、聖女様の仰る通りなのでしょう」
ガブリエルは重苦しく息を吐いた。
「さらに湾内に残ったラング・オルムの骨も問題でした。それらは、港に入って来る船の底に突き刺さり、何隻もの船を座礁させる事となったのです。全ての骨を取り除くには、一年の月日を要しました。
そうして、ようやくブリスタインの街は平和を取り戻したのです。しかし、……昨晩、ブリスタイン沖にある灯台からの魔石通信により、ラング・オルムの死骸が漂っているとの報告が入りました。このまま放置すれば、二年前と同様に湾内に流れ着く可能性が非常に高いのです」
「軍艦の手配は?」
「すでに済ませております。しかし、処置が適切でなければ、前回のように軍艦が沈没する可能性も否めません。どこで、どのような処理を施すかも決まっていないのです。
それに加えて、100年に一度あるかないかと言われていた事態が僅か2年で発生した。私はこれを偶然が2度続いたとは思いません。何らかの原因で、漂流しやすい状況が発生していると考えます。つまり、今後も立て続けに起こりうる、と」
「それで、……僕にお呼びがかかったという訳か……」
やはり、僕の仕事ではないのではなかろうか。
清貴は内心で呟いた。
確かに事故調査委員会は『鯨と船舶の衝突事故』があった場合に調査にあたる事もある。それは主に、鯨の生息区域で船舶側が適切な航行ガイドラインを守っていたか等が焦点となる。
つまり、『漂流する巨大生物の残骸の処理』そのものは清貴の専門外であるが、その二次災害が港湾インフラを破壊し、船舶の連続座礁事故を引き起こした過去がある以上、まったくのお門違いとは言い難い。
港湾における航行不能ハザードの未然防止、――運輸安全委員会の精神としては、むしろど真ん中だ。
「状況は、理解した。……出来うる限りの努力をしてみよう」
清貴は決意をこめて頷いた。




