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事故調査ファイル_鋼の狂走⑥

 線路わきの側道を馬で駆け、現場にたどり着いた清貴達を待っていたのは視界を覆い尽くす、白と黒の煙幕だった。

 ごうごうと燃え上がるサトウキビは茎や葉に蝋分が多く含まれている。これが不完全燃焼を起こすと、油分が混ざり合った大量の黒煙を吐き出すのだ。

 それに加え、サトウキビの糖分が高温によって溶けだし、鼻の粘膜に甘く焦げ付く匂いが入り込む。それは、思わず咳き込むほどに強すぎる刺激となって、その場にいる者たちを包み込む。

 さらに必死に火事を消そうとして憲兵たちが使っている散水魔法が、現状を悪化させていた。

 一度燃え始めたサトウキビに対しての散水は、すぐに水蒸気に変わるばかりで、周囲は初冬とは思えないほどの蒸し暑さになっている。


「カシアン! 何があった!」


 清貴が声を張り上げると、『遊撃憲兵騎士団』のリーダーであるカシアンが振り返る。

 黒揃えの鎧と怜悧な顔は相変わらずだが、その瞳には僅かに焦りが混ざっているのが見てとれた。


「聖女様、……」

「何があった。説明してくれ!」


 傍らに駆け寄った清貴は、カシアンの戸惑いを打ち消すように鋭く声を飛ばす。

 カシアンは一度目を閉じたあとに、意を決した様子で口を開いた。


「調査のために、固まっていた砂糖の層を剥がしておりました。すると、突然勢いよく炎が噴き出したのです。

 それまでに全く予兆はありませんでした。煙すら出ていなかったにも関わらず、爆発するかのように燃え広がり、……」

「バックドラフト、――いや、燻焼からの急激な再燃だ。糖分の層が密閉空間を作っていたんだ」

「……どういう事ですか?」

「いいか、まずここで石炭を積んだ車両が横転した。そして、事故の衝撃で火花が散り、それが石炭に引火。最初の火事が起こった」

「それは把握しております」


 カシアンは重々しく頷いた。


「ですが、事故後、火は完全に鎮火していました」

「そう見えていただけだ。火事によってサトウキビの糖分が溶けだし、周囲に散乱した石炭の上をコーティングしていたんだ。

 それによって表面上は火事は終息したかのように見えた。だが実際には、糖分で固められたその内部で、石炭はじわじわと燃え続けていたんだ。

 糖分の層を割った事により唐突に空気が流れ込んだ。それによって、目に見えなかった炎が一気に噴き出した」

「そんな、事が、……」

「知らなかった事は仕方ない。今は火事を消すのが先決だ。まず、散水魔法をやめさせてくれ。あれでは炎を消すどころか、皆の視界を奪うだけだ」

「――承知しました」


 カシアンは僅かに眉を寄せたが、すぐに声を張り上げて指示を飛ばす。

 散開していた憲兵たちが集まってきた頃合いに、ルドヴィコがオルシーニの猟犬達を伴って現場に駆け付けてきた。


「中央の”お客様”は、砂糖の扱い方をご存じないらしい。ティースプーンで掬った事しかないようだ」


 馬上のルドヴィコが投げる皮肉に、カシアンに反論の言葉はない。

 憲兵たちは猟犬たちの登場にあからさまに警戒の姿勢を示したが、ルドヴィコはその様子を一笑した。


「サトウキビの火事は水ではどうにもならん。区画を決め、なぎ倒して延焼を食い止める。

 猟犬ども、すぐに農夫たちをかき集めて刈り取りを開始しろ。第三排水溝から、東の見張り小屋までの区画を全て切り倒せ!」


 ルドヴィコの指示に猟犬たちが一斉に飛び出した。

 カシアンはその背中を見送ったあとに、清貴とルドヴィコに向き直る。


「我々、『遊撃憲兵騎士団』も消火に加わります。ご指示願えますか?」


 中央に所属する憲兵としては、ルドヴィコの指示に従うのは本意ではないだろう。

 しかしカシアンは現状を鑑みて、成すべきことを判断した。その迷いのなさに、ルドヴィコの冷淡な瞳に僅かばかりの好奇の色が宿る。


「刈り取りの人数は多ければ多いに越した事はない。刈り取ったサトウキビはすぐさま運び出す必要がある。寝かしておくと、そこに火が燃え移る」


 恐らく今までもサトウキビ畑での火事は幾度も起こっているのだろう。

 耳を済ませれば轟々と音をたててサトウキビが燃える音に混じって、各所にある見張り小屋の鐘が打ち鳴らされている音も聞こえてくる。


「それにしても、石炭があるせいか火勢が強いな。粉塵が巻きあがって飛び火している。切り倒しだけで防げればいいが……」

「オルシーニ卿、サトウキビを切り倒し、運び出しを終えたあとの地面に散水魔法を使いましょう」


 ルドヴィコの呟きに清貴が即座に応じる。


「防火帯に大量の水分を含ませて、泥濘状にすることで飛び火の危険性が激減します」

「なるほど。では、『遊撃憲兵騎士団』にはサトウキビの移動と、散水魔法をお願いする」

「お任せください」


 ルドヴィコの言葉にカシアンは素早く応じれば、魔法が使える者と力仕事に従事する者を素早くより分けて指示を飛ばす。

 そうしている間にも、続々と集まってきた農民たちと、それに入り混じった猟犬たちがサトウキビの切り倒しを開始する。

 収穫間際だったサトウキビの高さはゆうに3メートルに達している。


「――倒れるぞッ! どけぇ!」


 猟犬の男が放った斧の一撃により、3メートルを超えるサトウキビの巨躯が傾く。

 直後、「引け! 泥を這ってでも引きずり出せ!」と農夫たちの怒声が響き、水分を吸って丸太じみた重量になった茎が、安全圏へと力任せに引き剥がされていく。

 子供たちも数人がかりでそれにすがりつき、必死に安全な場所へと運び出していった。

 その背後では、カシアンの鋭い号令が響いていた。


「第一陣、魔力を切らすな! 地面を底なしの泥濘に変えろ! 第二陣、次が控えている、限界の一歩手前で交代しろ!」

「応ッ!」


 むき出しになった地面へ、散水魔法がかけられる。

 もともとサトウキビ畑のある土地は、雨季にはどろどろの沼地のように変貌する。

 大量の水分を含ませれば、見る間に防火帯は沼地のごとく変わっていき、それは石炭による高温の炎でも超える事はないだろう。

 男たちの掛け声は次第に、炎の咆哮をねじ伏せるような一つの巨大なうねりとなっていく。


「引くな!! 絶対に引くな!! このラインを守り切らないと隣の畑もやられるぞッ!」

「倒せッ! 倒せ倒せ倒せッ! 休んでる暇はねぇぞ!!」


 怒号が飛び交い、農民も、猟犬も、そして憲兵たちも、皆が煤と泥に塗れて一心不乱に動いていた。

 清貴はゼノンとともに見張り台に登り、風向きから火勢を読み、刈り取りラインへと指示を飛ばす。

 アレスはサトウキビ畑の中を疾駆し、刈り取りが遅れている場所へと駆け付ければ、あたかもショベルカーのごときパワーでもって、サトウキビをなぎ倒し、また別の場所へと駆けていく。

 気が付けば、炎が迫りくる中で、誰もが隣合う相手が誰なのかなど忘れていた。

 憲兵がぬかるみに足を捉えた猟犬に手を伸ばし、農民が魔力切れを起こした憲兵に水を差し出している。普段、身なりに気を使う猟犬たちも、いまやその毛皮がいくら汚れても、気にする者などいなかった。

 業火を前に、抗う人間の心は一つになり、声を掛け合わずとも、互いに互いを助け合う。


 全ての防火帯が泥濘と化した時、火頭はまさに目前に迫っていた。

 黒煙は空を焦がすほどに立ち上り、そこにある筈の太陽すら厚い雲がたちこめたように隠している。

 皆が疲れ果て、もう僅かにも動けないほどだった。

 泥濘に足をつき、真っ黒にそまった顔で呆然とただ目の前の光景を眺めている。


 やがて、僅かずつだが、黒煙が薄れはじめた。

 弱い陽射しが隙間から差し込み、海からの湿った風が駆け抜ける。

 目の前に広がるのは、天を衝くように伸びたまま、黒焦げとなった数多のサトウキビの群れだった。

 それらはまだあちこちで燻り、地面を炎がちらちらと嘗めている場所もある。

 だが、一つだけ確かな事があった。延焼は食い止められたのだ。


 誰かが歓声を上げ、誰かが拳を振り上げた。

 泥のように重い身体を動かして、よろよろと立ち上がり、傍らにいる誰かの肩を抱く。

 ところどころで、相手が憲兵と気付いた猟犬が互いに苦い顔をする場面があったものの、結局彼らは肩を抱いたままだった。

 見張り小屋の上でも、清貴はゼノンと手を叩いて子供のようにはしゃいでいた。

 そんな中、全身を煤で真っ黒に染め上げたアレスが、見張り小屋へと軽やかに飛び込んできた。

 ――それはまるで、伝説の怪物が襲撃してきたかのような有様であり、清貴とゼノンが思わず悲鳴をあげたのも、致し方ない事であった。

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