事故調査ファイル_鋼の狂走⑤
「本当に捕まえて来るとは思わなかった。いや、思っていたが、……実際に見ると驚くな」
数時間後、鉄道員に金を払って借り切った駅舎の倉庫。
そこには片手で密売人の首根っこを掴んで戻ってきたアレスの姿があった。
密売人を捕らえた、まではいい。
その密売人はいかにも凶悪な顔で2メートルを越す巨躯であったが、アレスはそれを難なく片手で制していた。
少しでも動けば、頸椎が粉砕されかねない。売人もそれを察してか、強面のまま銅像のように固まっている。
「ええと、その、なんだ、ご足労おかけしてすまないが、少しばかり聞きたい事がある。君たちが列車に積みこむ砂糖に麻薬を忍ばせて密売している事について、証言して貰いたい。
この証言は、あくまでも事故調査の原因究明として執り行い、証言者が誰であったかは公表しない。
僕が知りたいのはあくまでも事故原因を繋ぐピースとしての情報だ」
清貴の言葉に、売人は鼻を鳴らし、……顔を背けようとしてアレスの握力に阻まれた。
「聖女様、もしよろしければ腕の二、三本折って差し上げれば話したくなるかもしれません」
「腕は二本しかないんだ。大事にとっておいてやってくれ」
アレスの言葉に売人は顔色が明らかに変わる。
「あー、心配しなくてもいい。そんな事はさせない。だが、どうしても話したくないならば、このままオルシーニ卿に君の身柄を引き渡すことも検討しよう」
「勘弁してくれッ!」
途端に売人が悲鳴をあげた。
「あくまで検討するだけだ。君が話してくれれば問題ない。
いいか、先ほども話した通り、僕が知りたいのは事故の要因だ。僕はオルシーニの猟犬でもないし、憲兵でもない。
ただ君が事故原因の証言者にならないのであれば、僕は君の情報提供者としての秘匿性を守る理由もなくなってしまう」
清貴は丁寧に、紳士的に諭したつもりだったが、ゼノンは渋い顔になっていたし、売人は青い顔になっていた。
「わ、……分かった、話す、知っていることは全て話す。だから、猟犬どもに差し出すのは許してくれ」
「ああ、勿論だとも。僕が欲しいのは真実だ」
もっとも、それは売人の身の安全を約束するものではない。
密売の事実が知れれば、それに関わる全ての者が制裁の、あるいは逮捕の標的となるだろう。
冷たい言い方をするならば、それは清貴にとっては預かり知らぬことでもあり、それぞれの機関が忠実に任務を遂行しているという事である。
売人はそれを知ってか知らずか、……だが素直に証言を開始した。
ルドヴィコ・オルシーニは迎賓室に清貴たちを迎えいれた。
用意されていたのは紅茶ではなく珈琲で、それは間違いなく清貴の嗜好に合わせたものだろう。
一口飲んでみれば、王都で飲むものよりも遥かに浅煎りに仕上げてあり、心地よい酸味にフルーティな味わいが混ざり合う。清貴はどちらかと言えば深煎り派であったが、まさか異世界にきて浅煎りの概念が変わるような珈琲に出会えるとは思わなかった。
「……これは、美味しいな」
「それは良かった。実は、カルヴァトリでも珈琲の栽培をはじめたのです。そこで、差別化をはかるために焙煎を変えてみたのですが、お気に召したのならば何よりです」
「お世辞抜きで、これは僕が今まで飲んできた浅煎りの中でも格別に美味い。間違いなく、カルヴァトリの新たな名産品になるでしょう」
「聖女様のお墨付きを頂けるとは光栄です」
珈琲の芳香を存分に楽しんだあと、清貴は改めてルドヴィコと向き合った。
「このたびの鉄道事故に関しての調査結果を報告しに参りました。……報告を行う前に、お約束願いたい。
僕が、『遊撃憲兵騎士団』よりも先に貴方に報告に来たのは、貴方が鉄道運営における安全対策を率先して実行し、その規格を広める事に協力して下さると信じているからです。
オルシーニ卿、貴方が必ずやそれを成し遂げる事を、僕の前で誓って頂けますか?」
清貴の鋭い視線にルドヴィコは背筋を伸ばした。
そして、胸に手をあてて目を閉じる。
「オルシーニの名にかけて誓おう。我が血はカルヴァトリをヴェネンティカ国でもっとも豊かな土地に変えるために捧げている」
ルドヴィコの誓いは、カルヴァトリという地においては貴族同士の制約よりも濃い意味を持つのだろう。
言葉の一つ一つからその重みを感じ取った清貴は、静かに頷いて口を開いた。
「それでは、事故の調査結果についてお話しいたします。この事故が発生したのは複合的な要因によるものです。
まずは物理的な要因からお話しいたしましょう。
前提として、事故の数日前にこの近辺では雨が降っていました。列車に積みこまれる石炭は、この雨水に曝された状態にあったのです。
石炭は、水を含むと見た目の大きさは変わりませんが、その重さは一割ほど増加いたします。つまり、事故当時、貨物列車に積まれていた石炭の総量は、通常時の一割増しの重量になっていたのです」
「なんと、……積載量を体積で定めていても、重量が一定ではなかったという事か。だが、一割でそれほど影響が出るものなのか?」
「では、実際に計算してみましょう。列車は全部で15両、そして積み込みを行う石炭は一両あたり10トンを想定されていました、10トンが15両分で150トン、これが一割増になると165トンです。
一見大した増加ではないように見えますが、これでちょうど『見えない貨車が丸々一両分』増えている計算になります。
しかし、列車の機関部は15両分の重さしか想定して造られていません」
「つまり列車のブレーキは16車両分の重さを受け止めるようには出来ていないということか」
「その通りです。それに加えて鉄道のレールが滑りやすい状態にありました。常日頃から石炭を運搬するにあたり、レールの上には石炭の粉が積もっており、それが雨によって溶けだしたことで潤滑油のような薄い膜を作っていた。それにより、スピードが出やすい状態になっていたのです」
清貴は、一拍の間をおいて再び話を続ける。
「すなわち物理的な要因は、雨によって列車全体の総重量が一割増しになっていた事。それに加え、カーブに続く長い下り坂のレールが滑りやすい状況になっていた事で、列車が想定以上のスピードになってしまっていたのです」
ルドヴィコは低く唸りながら頷いた。
「ですが要因はそれだけではありませんでした。この時点では、まだ事故を防ぐための予防措置が存在しました。すなわち、待避線への切り替えスイッチです。しかし、予防措置はとられることなく、列車は高速のままカーブに突入、脱線してしまいました。
この、予防措置が正しく動作しなかったことが、事故のもう一つの要因です」
「猟犬たちは、鉄道員の怠惰だと報告していたが」
「違います」
清貴は、鋭く否定した。
「まず、鉄道員は過密スケジュールに苦しんでいました。サトウキビ収穫時期は列車の運行量が二倍になります。切り替えポイントの小屋は簡素な造りで、列車が通過するたびに小屋全体が軋みをあげる。
これでは交代制とはいえ睡眠時間は実質ないに等しかった。不眠不休の人間が、集中力を保ち続けるのは不可能です。
原因その一は、切り替えスイッチ担当者が置かれていた、劣悪な環境です」
「ふむ、……もっともな意見だ」
「原因その二は、安全対策に対しての周囲の無理解です。商人たちは、列車の到着が僅かに遅れると鉄道員に掴みかかって様々な暴言を浴びせかけていました。彼らは事故の事前回避を鉄道員の弱腰と捉えていたのです。
列車を退避路に入れれば、商人たちからの罵声を受ける。それが事故を防いでいたとして、商人たちにとって”起こらなかった事故”は存在しないも同じだったのです」
「頭の痛い話だ。だが確かに、私自身も無意識にそう思っていた部分があるだろう」
「……それを自覚できるのは、指導者として素晴らしい才覚です」
その言葉は、清貴が見て来た様々な現場の不条理が滲んでいた。
実利優先で安全対策を欠いた現場がいったいどれくらい存在するか。明確なルールが存在しても、それを軽視する者は多かった。
結果、防げた筈の大惨事を、清貴はその目で見て来たのだ。
「そしてこれが、……最後の要因です。存在しない筈の集積駅での停車、これが過密スケジュールに拍車をかけていました」
「これは、……」
清貴が差し出した書類は、密売人から聞き出した麻薬の詰め込みに関しての調査書だった。
そこには、王国に対して届け出のない駅が存在し、そこで麻薬の詰め込みを行っていた事が記されている。
詰め込みを拒んだ鉄道員は、見せしめとして暴行を受け、あるいは殺された者もいた。
中にはルドヴィコに訴えようとした者も存在したが、猟犬の中に密売人が混ざっている可能性も高く、口を噤む他になかったのだ。
書類をめくるルドヴィコの指先は小刻みに震え、その瞳は見て分かるほど獰猛な怒りに満ちていく。
「――ご存じありませんでしたか?」
「いや、……」
ルドヴィコは書類をテーブルに置くと、こめかみを指の腹で揉む。
「小耳に挟んではいた。猟犬たちに探らせてもいた。だが、確かな証拠が掴めなかった。その理由が今、分かった。
私を裏切っていたのは、どうやら血を分けた兄弟であったらしい」
調査書類にあった”存在しない駅”の場所から、犯人の当たりをつけたのだろう。
「……密売人を厳しく処罰し、二度と麻薬を運ばないと約束して下さい」
「そうすれば、この報告書は握りつぶしてくれる、と?」
「それは出来ません。ただ、時期を遅らせることは出来ます。憲兵よりも先に、貴方が毅然として取り締まりを行えば、中央からの厳しい責任追及にも言い訳がたちます。無傷とはいかないでしょうが、排斥とはならない筈です」
「手厳しいな」
「僕には事故調査委員会としての矜持があり、組織を健全に、そして信用性を保つために公平でなければならない」
毅然とした態度を示す清貴に、ルドヴィコは深く頷いた。
その顔は、融通の効かない相手に対しての忌々しさは微塵もなく、尊敬を含んだものだった。
「では、……今回の事故原因の分析をもとに、改めて安全規定の見直しを行います。政府承認を得るにはまだ時間がかかるでしょうが、草案は貴方にお渡しいたします」
「聖女・清貴、貴方の献身に心より感謝する」
清貴が椅子から腰をあげかけた所で、ふとドアの外に慌ただしい足音が近づいてきた。
ノック音が響き、ルドヴィコが許可すれば猟犬の一人が飛び込んでくる。
「大変です、ボス。サトウキビ畑が燃えています。ちょうど、事故現場と同じ場所です」
「なんだと? 火事は鎮火したのではなかったのか?」
「その筈です。ですが、今朝から『遊撃憲兵騎士団』が事故現場を掘り返していました。それで何か起こったんじゃないかと」
清貴が慌てて窓に近づくと、海のように続くサトウキビ畑の向こうに確かに煙が立ち上っている。
空を焼く黒煙は僅かな間にも火勢が強くなっている事が見てとれた。
「まったく、何をしてくれたんだ。今すぐ現地に向かう。犬どもに準備をさせろ」
「僕も連れていってくれ。火事ならば、アドバイスが出来る筈だ」
清貴が申し出れば、ルドヴィコは僅かな逡巡もなく頷いた。
「恩に着る、清貴殿。今後、カルヴァトリの珈琲は、優先して貴方の元へ届けさせよう」
「賄賂は受け取れないが、……友人からの贈り物ならばいいだろう」
笑う清貴にルドヴィコも僅かに頬を緩ませた。




