事故調査ファイル_鋼の狂走②
「聖女様ご一行とお見受けいたします。遠路はるばるご足労いただき、心より感謝申し上げます」
清貴に声をかけてきたのは、意匠の一切を削ぎ落とした漆黒の鎧をまとった騎士であった。
「ああ、君がカシアンか」
清貴が応じると、黒騎士は静かに頷いた。
――名をカシアン・ヴァルハイト。
王国の栄えある親衛騎士を代々務める名門の家系でありながら、その次男である彼は、泥と血にまみれる『遊撃憲兵騎士団』の道を選んだ。地方の領主では対応不可能な有事の際、王命によって真っ先に現地へ急行し、全権を掌握。治安の維持や犯人の確保などに務める即応部隊の長──それが、二十九歳にしてこの大任を背負う彼の生業だった。
あつらえたような黒髪が鋭利な顔立ちを引き立て、眉間には深く皺が刻まれている。海よりも深い藍色の目は、いまは焦燥と僅かな憂いを帯びていた。
「列車事故だと聞いているが、予想以上に凄まじい光景だな。列車の横転により火災が発生、その熱によってサトウキビが燃え上がり、糖分が滲み出してすべてを包み込んだ、という事か」
「仰る通りでございます」
「確かに酷い有様だ。だが、……『遊撃憲兵騎士団』がわざわざ出て来るほどの事態とは思えない。単なる物損事故なら、現地の治安維持部隊で事足りるはずだ」
清貴の率直すぎる物言いに、僅かに空気が軋んだ。
カシアンの背後に控えていた数名の部下にも緊張が走る。だが、清貴はまったく動じていなかった。
現世においても、事故現場で警察や検察といった別機関と顔を突き合わせることは幾度もあった。そしてそれは、必ずしも好意的とはいえない状況が多々存在したのだ。
理由は明確である。
事故調査委員会は「事故原因の特定と再発防止」を絶対の優先事項とする。
だが、警察などの司法機関の職務は「罪を犯した人物を特定し、裁きにかけること」だ。
責任の所在の追及も、社会的な正義においては重要だろう。しかしそれは、責任を問われることを恐れるあまりに、現場に関わっていた者たちの口を重くするという最悪の枷にもなる。
誰しも本当のことを言って牢獄にぶち込まれるのは嫌だからだ。
『遊撃憲兵騎士団』もまた、犯罪の検挙や犯人確保を優先する機関であった。つまり彼らの存在は、清貴にとって「現地での客観的な聞き込みが極めて困難になる」可能性を示唆していた。
「……私からご説明差し上げてもよろしいでしょうか?」
張り詰めた空気の中、一歩前に踏み出したのはゼノンだった。
「ここ、カルヴァトリ半島は非常に自治制が強い地域だとお話させて頂きました。『カルヴァトリの事はカルヴァトリが決める』と言われるほど、半島の人たちは半ば独立国家のように振る舞っています。
しかし、この地に貨物列車を通すという一大工事には、ヴェネンティカ王国も多大な出資をいたしました。――つまり、この線路は半ば国営の資産なのです。
そこで事故が起こったとなれば当然、詳細な調査報告を必要としますが、もしカルヴァトリ側に過失や技術的な不備があった場合、それを隠蔽される可能性が非常に高い。そこで、国家の資産と利権を守るために『遊撃憲兵騎士団』が派遣されたのです」
「なるほど、状況は把握した。だが、『遊撃憲兵騎士団』が出てくることによって、かえってカルヴァトリ側は警戒し、完全に口を閉ざしてしまったのではないか?」
清貴が射すくめるような視線を向けると、カシアンは図星を突かれたように重々しく頷いた。
「誠にその通りです。部下たちを炭鉱や製糖工場に向かわせ、聞き取り調査を実施しておりますが……現地のギルドの連中は口を揃えて『何も過失はなかった』『定刻通り、規定の重量で走らせていた』とそればかりです。
物理的な調査をしようにも、あの冷え固まった砂糖の殻が強固すぎて、車内の魔石エンジンやブレーキ系統の残骸に触れることすら叶いません。調査は進まず、となれば現場封鎖を解除することもできず……」
「だが、このまま線路を塞ぎ続ければ石炭は届かず、サトウキビの収穫期も逃して半島は破滅する。その被害はカルヴァトリだけでなく、砂糖の供給が止まる王国全土に波及する」
そこまで考えて清貴はポンっと手を叩いた。
「そうか。つまり、膠着状態に陥った君たちが、この状況を打破するために『事故調査委員会』の出動を要請したということか」
「相違ありません。上層部に申請し、貴方様においで頂けるようお願い申し上げました」
ふむ、と頷きながら清貴は無精髭の生えた顎をさする。
若くして全権を握るこの黒騎士も、決して無能ではない。むしろ、自らの組織の限界を冷徹に理解しているからこそ、清貴を呼んだのだ。
「事故調査に関しては了解した。だが、一つ約束してくれ、カシアン」
清貴の目が、鋭い光を帯びる。
「僕たちが因果関係のパズルを明確にするまでは、関係者の身柄拘束や処罰の連呼は一切控えて欲しい。犯人捜しを始めた瞬間に、真実は隠れてしまうからね」
その言葉に、カシアンはしばし黙り込む。
だが、緩く息を吐き出すと、カシアンは漆黒の胸当てに拳を当てて頷いた。
「ナサニエル王子からも、現場では貴方の調査を最優先せよとの指令を受けております。……貴方の指示に従いましょう」
「まずは君たちが把握している情報を共有して欲しい」
「勿論です」
カシアンは頷くと、事故現場に向き直った。
「ご覧の通り、事故は緩やかな下り坂からカーブへと続く場所で起こりました。
鉄道を敷設するにあたり、この場が”魔のカーブ”になりうる事は現場の人間も重々承知していたようです。いざブレーキが効かなくなった時のために、カーブ直前には避難路となる退避線が用意されていました。
ですが……列車は、その退避線へ入ることなく本線を直進し、カーブを曲がり切れずに脱線した」
「退避線の直前において、スピードに異常があった、あるいはブレーキが完全に死んでいたということか?」
「鉄道員の言葉を信じるならばその通りです」
「ふむ、信じてはいないという口ぶりだな」
「証拠がない以上は何とも断定は出来ません。しかし確かな事実として、この時期の鉄道は運行状況が普段に比べて数倍もの過密スケジュールになっていました」
「その理由は?」
清貴が問いかけると、カシアンは彼方まで拡がるサトウキビ畑を指さした。
「サトウキビの収穫時期に重なっているからです。
通常、この列車は石炭を積んで中央まで直行しています。しかし、サトウキビの収穫時期には、その途中の加工工場がある集積駅で停車し、そこで石炭を降ろし、加工された砂糖を積み込まねばなりません。
これにより駅での荷役時間が大幅に増える。その上、中央へ送るべき石炭のノルマを減らすことも出来ない。
結果、遅れを取り戻すために列車の運行密度を極限まで上げる必要があったのです」
「なるほど。限られた単線の中で、単純計算でも数倍の過密ダイヤを維持しなければ物流がパンクする訳か」
清貴は低く唸った。
過密なスケジュールは、現場のあらゆる安全マージンを削り取り、些細なエラーを大事故へと直結させる引き金となる。
「さきほど『定刻通り、規定の重量で走らせていた』という証言があったと言っていたが、これは鉱山側の言い分か?」
「そうです。貨車に記された積載限界のラインまでしか詰め込んでいない、と。故に、重量過多によるブレーキ不全はありえないと主張しています」
「証言の信憑性は?」
「判断がつきかねます。やはりこの期間の過密スケジュールを考えれば、焦った現場がラインを超えて過剰な積み荷を行っていても何ら不思議はないだろうと考えます」
「なるほど。確実なデータが得られない限り、何があったかを判断するのは難しいな」
詳しい話を聞き出したいところだが、カシアンからの情報通りならば鉄道員も鉱夫たちも、中央の憲兵の前では決して真実を口にしないだろう。
清貴はゼノンに視線を向ける。
「ゼノン、カルヴァトリで調査をするにはまず誰に話を通せばいい?」
「この一帯を治めている顔役……いえ、支配者と言えば、ルドヴィコ・オルシーニ伯爵になるでしょう。
オルシーニ卿は主要ギルドのトップを兼任しておられますし、彼の抱える私兵は『オルシーニの猟犬』と呼ばれ恐れられています。表向きはただの自警団ですが、その実体は縄張り争いも辞さない、血生臭い集団ですよ」
「なるほど。まぁ狂犬ならば、こちらも負けてはいないだろうさ」
チラリと視線を投げた先でアレスはスカートの裾を持ち上げ優雅に微笑んで見せる。
事故調査員である清貴にとって、流血沙汰は極力回避したい事態だが、誰にも負けない暴力装置の存在はこんな時に頼もしくもある。
「そのオルシーニ卿はどこで会える?」
「オルシーニ卿は、ここ数日は鉱山付近にある街の別邸で姿を見かけたという報告を受けております」
返答を返したのはカシアンだった。
「では、早速会いに行くとしよう。カシアン、調査に進展があれば情報を共有する。だが、相手に余計な緊張を強いらないためにも別行動をとらせて貰うぞ」
「かしこまりました。ですが、オルシーニ卿は危険人物です。くれぐれもお気をつけ下さい」
「肝に銘じておこう」
清貴は短く頷くと、再び馬に跨り鉱山街を目指して出発する。
……ここでもアレスと相乗りになるのは、見た目が非常に情けないが、今更足掻いても仕方ない。
鉄道沿いの道を進むことしばし後、海のように広大だったサトウキビ畑も果てが訪れ、そこから先はなだらかな丘陵が続いていた。さらにその向こうにはエキナ火山が天を衝くようにそびえている。
荒々しいむき出しの岩肌と、未だ煙を噴くその頂きは天に食らいつくかのようだった。まるでカルヴァトリという土地を体現しているようでもある。
その火山のふもと、岩肌に貼り付くように建てられた家々は鉱山の煤により外壁は黒々と染まっている。
暗色の街の中にあってオルシーニ卿の別邸は、堅牢な要塞のようだった。
屋敷を囲う石積の外壁、重厚な鉄の扉は鋲が打ち付けられ、口を大きく開いた獅子の頭飾りがつけられている。
屋敷の屋根に翻るのはオルシーニ家の旗だろうか。まるで血のように赤いそれは、鉱山街の重く硫黄の臭いが混じった空気の中を嘗めるように翻る。
「大陸事故調査委員会代表の火野清貴だ。オルシーニ卿にお目通り願いたい」
門の前に立っていたのは、目を合わせるのも躊躇うような強面の男たちだった。
そのありようは王都にいる騎士たちとはまるで異なる。背筋はのび墓石のように微動だにしないが、眼力は近寄るものを射殺さんばかりの鋭さだ。
まるでマフィアの邸宅だ。
そう考えた清貴は、そのまま深く得心した。
なるほどまさにそうなのだ。現世におけるマフィアの起源も、不在地主となった貴族から領地や産業の管理・治安維持を丸投げされた中間管理職が、独自の武力を背景に利権を握ったことから始まった。
中央の警察力が届かない地方で、表の権威と裏の経済が完全に結託したこのオルシーニ卿のありようは、まさにそのシステムそのものと言えるだろう。
門番は顔を見合わせたあと頷いた。
「……主より聞き及んでおります。どうぞお通り下さい」
一人が鉄の戸を叩くと、重く軋む音を響かせ扉がゆっくりと開いていく。
ドアの向こうで待っていたのも、顔に傷のあるいかにも裏社会の人間といった風貌の男だった。だが教育は行き届いているようだ。突き刺さるような視線は感じるが、むやみやたらに威嚇する者はなく、身なりも整えられている。
オルシーニ卿は一角の人物であるのだろう。だからこそ話が通じる可能性もあり、同時に一筋縄ではいかないであろう相手となる。
「こちらです」
男に先導され門を潜れば、続く中庭は見事に薔薇が咲き乱れていた。
辺境の地でありながら魔石を用いた噴水がしぶきを上げており、同じく魔石ランタンがあちこちに下げられている。それらはこの地においていかにオルシーニ卿の権力が強大であるかを示していた。
王都にいる同じ伯爵位の貴族たちでさえ、これほどの豪邸を持っているものは数えるほどしかいないだろう。それに加えて、ここが別邸であるというのだから驚きだ。
屋敷の中もまた、驚くほどに贅を尽くしたものだった。
足元に敷かれた絨毯は埃一つなく靴音を完全に消している。壁に飾られた彫像や絵画は、美術に疎い清貴であってもそれが一級品だと見て分かるほどのものばかりだ。
「これはこれは聖女様、よくおいで下さいました」
ふと場違いなほど朗らかな声が響き、初老の男が現れた。
すでに白髪が多くなった髪と髭は丹念に整えられ、身にまとう衣服は上品でいて華美ではない。王都の晩餐会で出会ったとしても視線を集めるであろうほど、洗練された姿だった。
「お初にお目にかかります。当代を務めさせて頂いておりますルドヴィコ・オルシーニと申します。どうぞお気軽にルドヴィコとお呼びください」
「突然の訪問にも関わらず面会に応じて下さり感謝申し上げます」
「いやいや、とんでもない。私はずっと貴方がおいで下さるのを待っていたのです」
「……待っていた?」
訝し気に尋ねる清貴に、ルドヴィコの目元に笑い皺が寄る。
「私をこの地に呼び寄せたのは『遊撃憲兵騎士団』と認識していたのだが?」
「それは彼らの言い分です。だが、この地では通じません。カルヴァトリの事はカルヴァトリが決める。――我らが望まない限りは、王都への使者も届かない。故に、貴方がここに訪れたのは、我々の意思によるものです」
王の憲兵すら手の平の上で転がし、この半島のあらゆる情報を、物流を、人間の命をせき止めている。
その事実を優雅な微笑みの裏側で平然と言い放つ老伯爵の姿に、清貴は改めてこの男がカルヴァトリの『真の支配者』なのだと確信した。
「……なるほど。聞きしに勝るとはこのことだな。面白い。では、早速話し合いを始めよう。どうやらそちらには真実を差し出す用意があるようだ」
清貴の言葉に、ルドヴィコはますます笑い皺を深くして頷いた。




