事故調査ファイル_鋼の狂走①
ヴェネンティカ王国南部に突き出たカルヴァトリ半島。
本土と陸続きにありながら、その強固な自治権ゆえに、たびたび内乱の火種となってきた歴史を持つ土地である。
海に囲まれたこの地は、夏は極めて雨が少なく灼熱の太陽が降り注ぐ。対して冬は一転して激しい嵐に見舞われるなど、常に自然の猛威と隣り合わせにあった。
しかし、その過酷な寒暖の差と乾湿のサイクルこそが、この地に類稀なる糖度を誇るサトウキビをもたらした。また、半島の中央にそびえるエキナ火山は、王国随一の豊富な鉱山資源をその内に秘めている。
白い黄金たる砂糖と、黒いエネルギーたる鉱石。
この二つの絶対的な需要が、現地の領主やギルドたちに、王室すら容易に手を出せない強大な牙城を与えていたのである。
「いやしかし、これはまるで壁だな」
清貴は車窓に広がる一面のサトウキビ畑に圧倒されていた。
言葉通り、それはまさしく壁であった。
列車は盛り土の上を走っているはずなのに、どこまで進んでもただひたすらに密林のような緑の壁が立ちふさがる。その圧迫感は、まるで自分が小人になって草むらに迷い込んだかのようですらあった。これでは、カーブの先で何が起きていても直前まで視認できない。
「本当に凄いものですね。カルヴァトリ半島と言えば青い海が美しいと聞いていましたが、見えるのはサトウキビばかりです。……それにしても、っく、この揺れは、もう少しなんとかならないものでしょうか! 書類に目を通すどころか、このままでは現地に着く前に私の尻が四つに割れてしまいそうです!」
大量の書類を詰め込んだ鞄を必死に抱え、ゼノンが列車の振動によってズレかけた眼鏡を押し上げる。
ゼノンの言う通り、列車の乗り心地は最低であった。
それもその筈である。この世界において列車はほとんど普及しておらず、ヴェネンティカ王国においても僅か三路線のみ。そのどれもが、鉱山と街とを結ぶ貨物専用の路線である。
人の移動を想定していない車体は、数十トンの鉱石を載せることだけを目的とした硬すぎるスプリングを備えており、線路の継ぎ目を踏むたびにガツン、ガツンと脳を揺らすような衝撃を突き上げてくる。立っているのも難しいほどガタガタと激しくローリングする様は、まるで暴れ馬の背に縛り付けられているかのようであった。
清貴も、そしてゼノンも、予想以上に容赦のない振動にすっかり疲弊させられていた。
ちなみにこたびの遠征は、列車での長旅となると分かっていたため、ゼノンの愛犬であるセルジュはお留守番である。
普段当たり前のようにそばにいる毛玉がいない事も、疲労感を強める要因となっているのは予想外のことだった。
だが、唯一、涼しい顔をしている男がいた。
アレスである。
何故か彼だけは、車体がどれほど跳ねようとも身体がブレていなかった。
清貴が不思議に思ってよくよく見れば――彼は座席に座っているように見せかけ、僅かに腰を浮かせた見事な「空気椅子」の状態で、自らの脚力で衝撃を完全に吸収していた。
その常人離れした身体能力の無駄遣いを見せつけられた瞬間、清貴は別の意味で意識が遠のくのを覚えた。
「聖女様、大丈夫ですか? もしお辛いようでしたら、私の膝の上にお座りになりますか?」
アレスの真摯な問いかけに、清貴は渋い顔で首を振る。
「気持ちは有り難いが、僕にもおっさんとしての矜持というものがある。今のところ、まだそいつを捨てたくはないんだ」
清貴は42歳の成人男性である。いくら尻が瀕死の状態とはいえ、女装シスターの膝に収まる事態は回避したい。絵面に問題があり過ぎる。
そんな清貴の矜持が振動で消し飛び、危うく助けを求めそうになった頃合いで、ようやく列車が停止した。
優雅にステップを降り立つアレスの後ろで、清貴とゼノンは生まれたばかりの小鹿のような有様でなんとか地面に這い出た。二人とも腰を抱えて呻きながら、しばしは顔を上げる事すらままならない。
ただ、そんな満身創痍の二人の耳にも、駅舎の奥から何者かが激しく言い争う声が聞こえて来た。
「一体いつまで待たせるつもりなんだ! 事故からもう5日だぞ! これ以上、出荷を止められたら客先にどう言い訳をしろってんだ!」
「そうは言われましても、山からの線路が塞がって、機関車が動かせないんだからどうしようもないんですよ!」
「そいつをさっさと片付けろと言ってるんだ! いいか、あんたたち鉄道員は鉄の塊を転がしてりゃ給金が出るだろうが、俺たち商人はこの半島のサトウキビ農家全員の命を背負ってんだ。ここで砂糖が作れなきゃ、村の連中は冬を越せずに飢え死にするんだぞ!」
「私にそんなこと言われたって分かりませんよ! 事故の現場は中央の騎士団が睨みを利かせてて、俺たちじゃ線路に近寄ることすら……!」
「そんな時間があると思ってんのか!? 刈り入れはもう始まってるんだ。そこに石炭が届かないってのが、どういう意味か分かってるのか!」
ようやく顔を上げれば、煤にまみれた鉄道員と、必死の形相をした商人とが胸ぐらをつかみ合わんばかりに激論を交わしていた。
停車したのは、見渡す限りのサトウキビ畑に囲まれた、小規模な集積駅のようだった。駅舎というよりは大きな倉庫に近い木造の構造物は、熱気が籠もるのを防ぐためか天井がかなり高く取られている。
だが、その広大なスペースには、都市部に送られるはずだった砂糖袋が、引き取り手のないまま天井近くまでうずたかく積み上げられていた。
周囲の製糖工場の煙突を見上げても、上がるべき煙は一筋も見えない。
代わりに、行き場を失って倉庫に滞留した砂糖の重苦しく甘い匂いだけが駅全体に濃密に漂っていた。
その異様な光景と、互いの職務ゆえにぶつかり合う悲痛な叫びを聞きながら、清貴は冷静に現状を分析する。
「……ゼノン、サトウキビは収穫してすぐに加工を始める必要があるんだったな」
「その通りです」
ゼノンは列車の振動でズレかけた眼鏡を直しながら、苦しげに頷いた。
「サトウキビは刈り取った瞬間から急速に劣化が始まります。すぐに工場へ運び込み、大釜で煮詰める工程に入らなければ、すべてがただのゴミクズになってしまう。……ですが、その大釜を動かすための『燃料』が、あの脱線事故のせいで完全にストップしている状態です」
「さらに悪いことに、あと一ヶ月もすれば、この地方には冬の長雨がやって来ます」
傍らでアレスも口を開いた。
「そうなれば土壌は底なしの泥沼に変わり、収穫自体が物理的に不可能になってしまいます」
「ええ、その通りです。この一ヶ月の間にすべてを売り物にできなければ、カルヴァトリ半島の経済は破綻します。彼らが焦るのも当然なのです」
清貴は無精ひげの生えた顎を擦りながら、低く唸った。
サトウキビのタイムリミット、遮断された石炭と冬の嵐の足音。
――今回のインシデントは、物理現象だけでなく、現地の人間生活が複雑に絡み合っている。
元・事故調査員としての泥臭い直感が、清貴の脳内で警報を鳴らし始めていた。
「申し訳ありません。やはりここから先へ列車で進むのは無理なようです」
「いや、問題ない」
ようやく商人から解放された鉄道員が申し訳なさそうな顔で告げるのに、むしろ清貴は胸を撫で下ろす。
だが、次いだ言葉に改めて絶望させられることとなった。
「ですので、現地までは馬での移動となります」
「……馬」
ちなみに、清貴がナサニエルに依頼した飛空艇はようやく予算案が通ったばかりで、建造が始まるのはこれからである。例え出来上がっていたとしても、今回のように現場がサトウキビ畑の真ん中であれば、着陸できる場所などなかっただろう。
「聖女様、私の馬にお乗りください」
アレスの言葉に清貴は眉間に盛大に皺を寄せたものの、他の選択肢は見当たらない。
「だから私は何度も進言したはずですよ。清貴様も乗馬を練習なさるべきだと」
横から口を挟んでくるゼノンに恨めしげな視線を投げるが、言っていることは正論なので文句の付けようもない。当のゼノンとて、先ほどの振動で腰をさすりながら、必死に馬上での平穏を装っている有様なのだが。
しかし仕方なかろう。清貴がいた世界では、乗馬は一般技能ではなかったのだ。だが、この世界においては自動車はおろか、自転車に乗れるかというレベルの必須技能となる。分かってはいたものの、事故調査委員会としての激務に明け暮れていた清貴には、乗馬に割く時間など物理的に存在しなかったのだ。
「……アレス、すまんが相乗りを頼む」
「はい、お任せください、聖女様」
かくして、清貴はアレスとともに馬に乗り現地へ向かうこととなった。
見目麗しいシスター服の裾を容赦なく割り、清貴を懐に抱え込むようにして馬を御するアレス。その可憐な見た目に反した圧倒的な体幹の強さに、何とも言えない気持ちになる。
事故現場へ向かう道は鉄道と並走していたが、未舗装の泥道は馬が駆け抜けるたびに盛大に泥を跳ね上げる。道のすぐ脇には刈り入れ間近のサトウキビがそびえ立ち、それは永遠に続く緑の壁のようだった。
現地へ近づくにつれて、空気に甘く焦げた匂いが混じり出し、それは鼻の粘膜にこびりつきそうなほど次第に強くなっていく。キャラメルの匂いと言えば聞こえはいいが、実際にはそれに石炭の硫黄臭や泥の臭いが混じり合い、肌にべったりと絡みつくような、重苦しい甘さへと変貌していく。
「コイツは、……驚いたな」
やがて視界が開けた先に現れたのは数百メートルにわたり焼け焦げ、なぎ倒されたサトウキビの残骸。その上に転がった重い鉄の塊、――横転した貨物列車の無惨な姿であった。
異常なのは、列車の表面がべったりと黒い粘液によって包み込まれていることだ。
高温によって溶け出したサトウキビの糖分である。
列車が脱線して畑に突っ込み、周囲のサトウキビが炎上した。
その凄まじい熱により、破壊された茎から溢れ出た大量の糖分がキャラメル状に溶け出し、周囲一帯を、列車ごと包み込むように“キャラメリゼ”してしまったのだ。
それが冷えて固まり、今やガラスのような、あるいは強固な樹脂のような黒い装甲となって、事故の痕跡のすべてを覆い隠している。
大地が鉄の怪物を飲み込んだかのような、異様で不気味な光景。
清貴も、ゼノンも、そしてアレスも。
しばしはその圧倒的な『焦げ付いた奇観』を前に、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
第二部連載をスタートいたしました。
・更新頻度: 毎日12:00に1話ずつ(予約投稿のシステム上、数分のラグがあります)
・全体のボリューム: 全4章(各章7話構成)
すでに最終話まで執筆完了しておりますので、第二部最終章まで安心してお読み頂けます。
改めまして、清貴たち「大陸事故調査委員会」の活躍をお楽しみください!




