羅真丸、来航 2
その日の夕方、先ほどの面子にイルギネスとフィルディアス、船員たちと幾らかの仲間や関係者たちも加わって、リウの酒場の二階部分を貸し切って宴会が始まった。
「蒼惟も、とうとう成人の儀を済ませたか。やっぱこの感じだと、神殿長を継ぎそうなのか?」
デュッケが、空になったジョッキを片手に啼義に尋ねた。
「分かんねえけど、そういう見方にはなっているかな」
啼義は、さらりとジョッキを煽ってから答える。こう見えて、意外と酒に強いのだ。
「後継者の決定は、あと五年以内くらいでと考えてはいるけど。元々、世襲制でもないし。蒼惟の意思を尊重しようと思ってる」
「なるほどな。まあ、啼義も今が一番自由にやってるんだから、もう少しその座を満喫したらいい」
「もう少し、な」
さっき驃とも似たような話をしたばっかりだ。どうやら周りは似たようなことを思っているのだなと、啼義はなんとなく可笑しくなった。
啼義の言葉通り、イリユス神殿の継承は、必ずしも世襲で決まるわけではない。神殿に祀られている<蒼き石>に宿る力、<蒼空の竜の加護>を継承するに相応しいと認められた者が長となる。ここ五代に渡り、現神殿長・啼義の先祖からの世襲での引き継ぎが続いているが、それはごく珍しいことでもあった。
「で、蒼惟は神学院を卒業して、これからどうするつもりなんだ?」
いきなり矛先が自分に向き、蒼惟は狼狽えた。どうするつもりと問われれば、例の、禁忌の祠を稼働させる件が浮かんだが──
「あ、うん……神殿での業務の手伝いとか……かな」
父の厳しい視線を感じ、蒼惟は目を泳がせて答えた。言える雰囲気ではない。
「なんだ、ハッキリしねえな。まぁ無理もないか。急に聞かれてもだよな。俺も、自分で決めて親父の船を継いだのは二十二の時だったし」
デュッケはニカっと歯を見せて笑うと、「さて、あっちのテーブルにも挨拶に行ってくるか」と立ち上がった。
エディラドハルドでは、十八歳で成人とみなされ、飲酒も喫煙も解禁される。ついこないだ十八を迎えた蒼惟は、成人の祝いだなんだと酒を注がれ、少し酔いを感じてバルコニーに逃れた。酒の強さはどうやら父の血を継いだようだが、このまま立て続けに飲まされ続けるのはさすがに遠慮したい。
「これからどうする、か」
手摺に頬杖をついて、藍色の夜の空が世界を染め始めた向こうに見える海を眺めていると、あの先になにがあるんだろうかと興味が湧いてきた。
禁忌の祠をどうにかしたいと思いついたらそればかり考えていたが、自分はまだこの周辺を少しばかり出た範囲しか世界を知らない。その祠のある場所──片方は柊の実家の管轄下にあるとは言え、星莱がどんなところなのかの想像もつかない。
<柊、あんまり故郷のこと話さなかったからな>
彼が神学院の魔術科を卒業して約二年。大陸を旅しながら修行と経験を積みたいと巣立っていったあの無愛想な黒髪の魔術師は、今頃どうしているのだろう。
その時、背後の硝子戸が開いた音がして蒼惟は振り返った。
出てきたのはデュッケだ。咥えていた葉巻を口から離し、陽気に声をかけてきた。
「おや、見当たらねえと思ったら、風に当たりに出てたか」
「あんなに立て続けに酒を注がれると思ってなくて、さすがに」蒼惟は苦笑した。
「なるほどな」
デュッケは隣に並び「みんな、あの小さかった坊やが無事に成人したのが嬉しいんだよ」と葉巻をひと吸いして、ふわふわと煙を吐いた。樹木を焦がしたような中にほんのり甘さが混じった、独特の香りが蒼惟の鼻先を掠める。
「それは、どこの品物?」
「エディラドハルドの西の外れにある、セイティーグ島さ。あそこの葉は趣深い味わいがあるって人気だ。苦味の中に、絶妙な甘さが隠れている」
蒼惟は、デュッケの手元の葉巻をしげしげと見つめた。するとデュッケは、ふとそれを蒼惟の方へ差し出した。
「吸ってみるか?」
「えっ……う、うん」
素直に頷いた。デュッケはにんまりと口の端を上げ、
「吸うって言っても、本当に吸い込むんじゃねえ。口の中で煙を転がして味わったら、それをゆっくり吐き出すんだ」
説明してから葉巻を口に咥えてしばし含み、先ほどと同じように口からゆったり煙を吐き出した。
「やってみな」
蒼惟は、手渡された葉巻を恐る恐る口に軽く咥え、言われた通り、吸い込みすぎないようほんの少し吸ってみる。果たして、口の中にほどよい苦味に紛れて柔らかな芳香が広がり──
「うはっ!」味わいすぎて吐き出すのを忘れ、口いっぱいに煙が飽和して咽せた。その勢いで少しばかり飲み込んでしまい、また咳き込む。
「おいおい、大丈夫か」
「けほっ……だ、大丈夫。なんか不思議な感覚で、吐き出すの忘れちゃって」
「間抜けだなぁ」
蒼惟から葉巻を受け取ったデュッケは、呆れつつも楽しそうだ。
「でも、いいチャレンジ精神だ。とりあえず試してみるって気持ちが大事だからな」
その言葉は、ささやかに蒼惟を揺さぶった。
<聞いてみるくらい、許されるよな>
蒼惟は手摺から身を離し、背筋を伸ばしてデュッケに向き合った。
「船長、あのさ」
「ん?」
葉巻を咥えたまま、デュッケの碧色の瞳が、蒼惟を捉える。画集でしか見たことのない南洋の海──エメラルドグリーンと呼ばれる色が、そこにはあった。
<見てみたい>
広い世界を。
蒼惟はキュッと表情を引き締めて、口を開いた。
「俺を、羅真丸に乗せてもらえませんか?」




