壮大な計画 4
神殿長室には、側近であり護衛長のイルギネスが訪れていた。端正な顔立ちの額の上から後ろに白銀髪を撫で付けて流し、濃い赤のマントを纏って颯爽と立っていると来年五十歳を迎えるとは思えない若々しさがある。
神殿中枢の警護や護衛にあたっている部下たちとの会議を済ませて来た彼は、すぐ隣の机の上に肩肘をつき額に手を当てて渋面になっている主人──啼義を海色の瞳で見下ろし、「そりゃあまた、蒼惟様は大それたことを考えなすったもんだな」と呑気な口調で言った。
「視野が広いといえば聞こえはいいが、俺はそんな、実現不可能なことを望んでいるわけじゃないんだ」
啼義が手の指を組み合わせて渋面のまま返すと、イルギネスが片眉を上げて口を開く。
「神殿の後継者として、まずはしっかりこの神殿内のことと、イリユスの街の役に立つことを考えてもらいたい、だろ?」
イルギネスの口調が、側近が主人にきくにしてはフランクなのは、ここに二人以外の誰もいないからだ。
これは啼義自らが命じたことだった。二人は身分とは関係ない状況で出会い、八歳上のイルギネスは啼義にとって兄のような存在でもあった。兄弟のように気の置けない仲でもあった二人だが、ゆえにいざ神殿内に入って然るべき身分に就いたところで、あらたまった態度をとられることは、啼義自身の居心地が悪かったのだ。そんな経緯で、公的な場所以外では二十年以上が経った今でも変わらぬやり取りが続いている。それは息子たち、蒼惟とフィルディアスにも、そのまま受け継がれているわけだが。
「そうなんだよ。一通りの教養課程が終わって、これから世間の理を現場に混じりながら覚えていく過程で、自らの役割を意識しろって意味だったんだけどな」
「蒼惟様は、慈源の祠を管理しているのが、柊の実家の星莱の社だってことは、知っているのか?」
「いや。知らないと思う。少なくとも、俺から話したことはない」
「ははん……」
顎に手を当てて目線を外したイルギネスに、今度は啼義が尋ねた。
「あんたは話してないだろうな?」
するとイルギネスは、おどけた口ぶりで答えた。
「蒼惟様とそんな話をしたことはないが、フィルには話したことがある」
「うわ」啼義が頭を抱えた。「それじゃ時間の問題じゃねえか」
まさにその時、扉がノックされた。
「父上、蒼惟です。入ってもよろしいですか?」
啼義とイルギネスが、同時に顔を見合わせて黙る。
「どうやら思いの外、早く嗅ぎつけたようだな。突っぱねたところで、どうせ今か後かの違いなだけだろう」とイルギネス。
「……そうだな」
啼義はささやかにうんざりした顔で一度息をつくと、扉の向こうへ投げかけた。
「大丈夫だ。入ってこい」
ガチャ……と重厚なドアノブが周り、厳かに扉が開かれる。
「あ、イルギネス」
そこに白銀髪の剣士の姿を目に留め、蒼惟の表情がほころんだ。
「先ほど会議が終わりましてな」イルギネスが笑顔で言うと、蒼惟はイルギネスに笑顔で軽く会釈をし、「お疲れ様です」と礼儀正しく挨拶した。「ありがとうございます」と和やかな返事を受けてから、蒼惟は啼義に向かい、あらたまった顔で口を開いた。
「書庫で少し調べて来たんだ。慈源の祠を管理しているのは、柊の実家の星莱の社だったんだな」
そら来た、と思わず口から出そうになったのをかろうじて抑え、啼義は座ったまま答える。
「特にお前に必要な知識でもなかったからな。それに、柊自身も、そのことを特段意識していたわけでもない」
「でも柊は、ここにいる間に、祠の記録を調べに来たことがあるって、ルイヘルが言ってたんだ。きっと、柊なりに気になったことがあったからだと思う」
「……それで?」
あくまで堅固な声音を保ちながら、啼義は投げかけた。蒼惟が、動じる様子もなく真っ直ぐに問うた。
「父上は、柊が祠について調べていたことを、知っていたんじゃないの?」
啼義は黙って蒼惟を見上げ、少しばかり姿勢を正すと言った。
「別に、柊の行動をいちいちお前に伝える必要もないだろう。彼が何を学び、どう行動するかは、お前には関係ない」
「今まではそうだったけど……」
「これからもだ」
啼義の頑なな態度に、さすがの蒼惟も言葉に詰まった。この先話しても無駄だという空気が、部屋を支配している。祠についての話を進めるどころか、とてもじゃないが、柊のことを尋ねられる雰囲気ではない。
「蒼惟様」
イルギネスが、穏やかな眼差しを蒼惟に向ける。
「して、何か良い案は浮かびましたかな?」
父の側近からの助け舟に、蒼惟の沈みかけた瞳にパッと光が宿った。隣の啼義の顔が、「聞かなくていい」とありありと語っているが無視する。
「柊は今、故郷に帰っているんだろう? だったら星莱に行けば、柊にも会えるし、祠にも行ける」
「──馬鹿か」
父の厳しい声が、容赦なく遮った。
「会いに行く? 星莱にか。どうやってだ。イリユスから大して遠くに行ったこともないお前が、山を越えて行けるはずがないだろう」
「船がある」
「は?」啼義が訝しむと、蒼惟は毅然とした声で言い放った。
「もうじき、羅真丸がイリユス港に戻ってくる。月末にドラガーナ山脈の向こうに出航する時に乗せてもらえば、山を越えなくても行ける」
「──」
思いがけない方向からの提案に、啼義は目を見開いて言葉を失ったが、大きく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。そして蒼惟の目を見つめ、ピシャリと言った。
「蒼惟。そこまで気が回るとはなかなかだ。でも、長旅の経験もないお前に、それを許可するわけにはいかない」




