自分のために
言葉が、簡単にでてこなかった。
「……麗奈、それ…どういうこと?」
自分の掴んでいる手が震えているはずなのに、こっちの手が震えてしまいそうだった。
「…何?歌っちゃいけないって…だって前!」
「あれは…お父さんとお母さんがいなかったからです」
「え…?」
麗奈は大きく息をついた。
すっと体を後ろに引き、雅の手から逃れる。
そして通学カバンをその場において、近くの塀に寄りかかった。
そっと空を見上げると、そろそろ夕方になろうとしている頃だった。そんな茜色の空を見上げながら、ポツリポツリと麗奈は語りだした。
「…私、小さいころから歌が大好きで、お父さんもお母さんも、私の歌大好きって言ってくれて。それが嬉しくて、私毎日歌ってたんです。そのころは、機械にもあんまり興味なかったっけ」
ふっと、昔を思い出すかのような懐かしげな笑みを浮かべる麗奈。
「そのあと、小学校3年生のときに風邪を長くこじらせて。治ったのはよかったけど、次の日から、何か歌を歌ってる時に違和感を感じるようになったんです。声がでにくいというか、何となくかすれてくるというか、何と言うか。心配してくれた親が、次の日病院に連れて行ってくれて。そしたら……」
伏せ目がちな瞳に、悲しげな光が宿る。
「……歌い方が、悪かったのかな…。あのまま歌い続けてたら…将来、私は声を失うよって言われたんです」
「な…っ!?」
「小さかったですから、ままなった技術も持ってない。だみ声で歌い続けてたようなもんですから、まぁ喉痛めたりはよくあることだって。私の場合は期間が長かったし、それにずっと歌ってた。故に、このままじゃ危ないよって言う警鐘を鳴らされたんです」
「じゃ、じゃあ!!前歌ってたの、ホントはまずいんじゃ…っ」
雅の心配の声色に、麗奈はやんわりと首を振った。
「今はもう大丈夫なんです。完治してるし、だみ声で歌ってない。ちゃんと喉を痛めない歌い方を身につけてます」
「…それはよかった」
ほっと胸を撫で下ろす。すると麗奈はクスクスと笑う。
「心配性ですね、雅さん」
「……まぁ、な」
確かに今、なぜか心底安堵の息を漏らした気がする。なぜか?俺に聞くな。
「でもまぁそんな感じなんで、今は大丈夫なんです。もう歌っても平気なんですよ」
「じゃあ、何で歌っちゃいけないんだよ?治ってるんだし、歌いたいんだろ?」
「…確かに、歌いたいです。でも……私はそのせいで、1番やってはいけないことをした」
「やっては、いけないこと……?」
雅がその言葉を繰り返して言うと、さっきよりも、麗奈の顔にかかっている影が濃くなる。
「……お父さんとお母さんを、ひどく傷つけた」
「……っ!」
「期待して、喜んで、褒めてくれて…私にたくさんの幸福をくれた2人に、私は一瞬でも絶望を与えてしまった。病院で、声を失うって先生から言われた時の、あのお父さんの顔が……頭から離れない…っ」
麗奈は右手で左手の手の甲を押さえる。
「あんなお父さん……見たこと、なくて…。目に、色がなくて…死んだ人みたいな顔してた…っ」
「麗奈…」
「その時思ったんです。『あぁ、私…世界で1番大切な人たちを、深く傷つけたんだ。悲しませたんだ。ひどいことしたんだ』って。それは……目に見えない、私の罪だ。私はお父さんとお母さんの子どもとして、決してやってはならないことをしてしまった」
抑えているほうの手まで、震えていた。きっと今麗奈の脳裏には、その時の情景が浮かんでいる。小さなころに抱えた、心の傷。心の罪。
「それ以来私は、2人の前で歌うことをやめました。歌うことで、あの時の事を思い出させたくない…。もう、あんな顔二度とさせない。させたくない。見たくない…っ。2人が傷つくくらなら…私は、歌なんて歌わない。たとえ歌が人を幸せにしようとも、私は2人を幸せにできないから…。ならいっそ、歌わないほうがいい」
「………」
そっと目を伏せた麗奈は、本当にあのころの自分を戒めているようにも見えた。
罪という言葉で、自分を戒めて―――。
ずっとずっと、小学生のころから、そんな感情を抱えてきたのだろうか?1人で悩んで、押し込めて、ずっと―――。
「何か、ごめんな。麗奈」
「いいんですよ。大体は自分の意志で話してました。独り言として受け取ってください」
寄りかかっていた体を塀から離し、にこっと笑った。
「そっか……まぁ、大体の事情はわかったな」
「えぇまぁ、そういうわけなんで…この前のことは、お父さんたちには黙っててほしい―――」
「だから、なおさらわからねぇ」
「はい?」
「…結局、麗奈はどうしたいんだよ?」
「え……?」
思わぬ返答に麗奈はたじろいた。
「け、結局って…」
「麗奈が歌えない理由も歌わない理由もわかった。でも、それを全部踏まえた上でさ、結局麗奈がどうしたいのかがわかんねぇんだ」
あまりにも無垢な顔で聞かれるもんだから、冗談でもないのだろう。
「ど、どうしたいって…」
「麗奈はさ、歌いたいの?歌わなくていいの?」
確信を付いてくるような一言だった。
…どうして雅はわかったのだろう。
麗奈は今事実を語っただけ。その時の心情を入れるとしても、今の気持ちを一切交えて話してはいなかったのだ。
理由は簡単。今どうしたいのかと聞かれると返答に困るからだ。
だから避けていたと言うのに、こちらからヒントになるようなことは一言も言っていないのに、雅は一瞬で確信を付いてきた。
このような時、麗奈はどう返答すればいいのかわからない。
……本当に?
ふと、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
本当にわかっているのか?今1番何をしなければいけない。どうしなきゃいけない。何がしたい。自分が今つむごうとしたその言葉ハ本当に、自分にとって最善の方法か…?
――本当にやりたいことやって何が悪いの?
(本当に、やりたいこと…)
今自分は、何を言おうとした?誰のために言葉をつむごうとした?
それは決して……自分のためじゃない。
――自分が自分に尽くして、何が悪いんだよ
そうだ。悪いことじゃない。
わかってるんだ。でも、でも、自分には――――――。
「……まぁ、今ここで麗奈が答えを出したとしても、それを言うのは俺にじゃないんだろうけどね」
「……はい?」
「だって。やりたいこと俺に言っても意味ないし?やりたいなら、とことんやればいい。もし誰かに了承を得たいなら…麗奈が今話さなきゃいけないのはきっと俺じゃないはずだよな?」
雅はそう言ってにっと笑った。
「大丈夫。怖くない」
「…っ!!」
最後の一言が、麗奈の意識を覚醒させた。
病気を患って、2人を傷つけて、歌という存在から心を閉ざした。
2度と誰かを傷つけたくなくて、その言葉から心を閉ざし、遠ざけた。だがどうしても、かかわりだけでも持っていたくて、プロデューサーという道を歩んできたが、それでも未練が残った。それでも、未練がいくら残っていようと大好きだったその存在を置き去りにしたことに変わりはない。大好きだといえなかった。その理由が、やっとわかった。
見ないようにしていた感情が開かれた。
そうか。やっとわかった。
――怖かったんだ。否定されることが。自分の歌で、誰かが傷つくことが。
ひどく憔悴しきった顔をされたのは、自分の歌のせいだと思い込んでいたんだ。
だからずっと、いえなかった。2人をあんな悲しそうに顔にした自分の『歌』というものを、ただ単に怖がっていたのだ。
父と母に、その事実を告げないまま、自分は1人で怖がり、遠ざけ、手放そうとしていた。
(私は…なんて事を…)
大好きだったのに。ずっとずっと、大好きだったのに…!!
麗奈は思わずぎゅっと目を閉じた。
すると突然、雅は微笑を漏らした。
「……答えでましたって顔してる」
「……そう、見えますか?」
「あぁ。やりたいことちゃんと見つけた?」
雅の言葉に、麗奈は即座に返答はできなかった。
でも、やがてそっと伏せていた目を開き、そっとうなずいた。
「そっか」
雅は「よかった」といわんばかりに嬉しそうに笑う。どうして自分のためにこんなに笑ってくれるのかはわからないが、それでも、それが―――。
「…雅さん」
「ん?何?」
「1つ、お願いがあるんですけど、聞いてもらっていいですか?」
麗奈は正面からじっと雅を見つめる。
その色に、迷いはなかった。
だから雅はそっとうなずいた。
「いいよ。俺でできることならね」
その返答を聞いて、麗奈は安堵の息と共に、決意の心を深く刻んだ。




