瞳
夕食の準備ができると、1階に麗奈も上がってきた。
そして、いつもよりもにぎやかな夕食が始まった。
志帆の手料理はすごくおいしくて、夏場なので、そうめんやそばなど、夏の風物詩がメインとなっていた。
「急だったからこんなものしかできなくて…ごめんなさいね?」
「いや、いいんですよ。ごちそうになってるのはこっちですから」
真一の言葉に、志帆はやんわりと微笑んだ。
「麗奈、麺つゆ取って」
「はいはーい」
一緒に食卓を囲んでいる麗奈はいつもどおり楽しそうだった。さっきまでの感じを一切醸し出さない。
(やっぱ見間違いだったのか…?)
雅は誰にも悟られないようにため息をついた。
一瞬だけの、あの麗奈の顔。寂しげな表情。
それがなぜか、頭から離れなかった。
今ここにいる麗奈は初めて会ったときと同じように、楽しそうに、嬉しそうに微笑むのだった。それが噓だとは思えない。心のそこから楽しんでいるように思える。
(一体なんだったんだ…あれは…)
「雅さん?」
「え……?」
「どうかしました?あまり箸、進んでないように見えたんですけど…」
「い、いや!そんなことない!大丈夫!!」
考え出すと止まらないのが雅の悪いくせだ。故に、誰かに心配をかけてしまう。
(一体どっちが心配してんだか…)
思わず笑いたくなるのを堪え、雅は再び箸を進めた。
夕食をみんなで平らげ、一息ついているときだった。
「さて、私は一足先に戻ってるよ」
「え?もう行くの?」
志帆が少しだけ驚いた顔をする。
「まだ食べたばかりよ?もう少しゆっくりすれば…」
「うん、そうなんだけどさ…。久しぶりの仕事だから、頑張りたいの」
麗奈はにっと笑う。それを言われると、志帆もそれ以上の咎めようがないのか「何かあったらすぐ上がってきなさい」とだけ告げる。
麗奈はその言葉にうなずいて、一足先に地下室へと戻っていった。
「いつも…あんな感じなんですか?」
「今日は特にせかせかしてるわ。まぁきっと…楽しんだと思うけど」
「楽しい…ですか?」
「えぇ。あの子は本当に、音楽が大好きだから」
志帆はそう言って、とても嬉しそうに笑った。
「小さい頃から、音楽好きな私と、機械いじりの好きだったあの人との両方の血を引いていてね。あの子は本当に、音楽というものが大好きなのよ。いつも、どんなときでも関わっていたいと思うほどにね」
「へぇ…でもなんか、想像できますね。小さい頃も音楽が好きだった麗奈」
「ふふっ。そうでしょう?」
「あのころから麗奈は可愛かったなぁ・・・」
麗奈の小さな時の事を思い出しているのか、志帆も陽智も少しだけ心ここにあらずの状態になっていた。
……2人そろって親バカだなぁ……。
と、誰もが思ったことだろう。あぁ。俺だって思ったさ。
しばらく、麗奈の小さなころの話や、今までの仕事の話……というか主に麗奈の話を聞いていた。
だがふと、雅は時計を見つめて思った。
麗奈が地下室にこもってからすでに30分が過ぎていた。
「麗奈、遅くないか?」
「あらこんな時間。でも…1度やり始めたら止まらない子だから。今までで最長12時間こもってたことあったわよ」
「一日の半分!?」
「えぇ…。さすがに、次の日疲れていたけどね」
いや、それは当たり前だろうが…。12時間…。
「俺ら…12時間歌い続けたらどうなるんだろう…」
「多分、歌い手生活終わる気がするわ」
「喉死ぬかもしれねぇな…」
いろいろと想像すると、怖かった。
「だからまぁ、心配は要らないと思うわ。さっきみたいに、寝てることだってあるしね」
「結構日常茶飯事なんだな」
「あそこで寝られると、さすがにあの年じゃ運べないから起こすんだけど…なかなかおきてくれないのよあの子・・・」
「え?でも、昼間はちゃんと起きたじゃないですか。がば!って」
「あれは、今日あなたたちが来る事を、麗奈は誰よりも楽しみにしていたからだと思うわ。ほら、よく遠足の前とか寝られなかったり、すぐ起きちゃったりするじゃない?」
「子どもかよ…」
またわいわいと会話が始まる。そんな中、雅は―――。
「……あの」
「ん?どうしたんだい?雅君」
「もしかしたら何か手間取ってるかも。俺、機械とかなかなか詳しいんで、ちょっと様子見てきます。自分の歌、他人にやらせっぱなしって言うのは、俺の性分に会わないんで」
雅の言葉に反論するものは、誰もいなかった。
「ついでだけど、もし寝てたら起こしてくれないかい?」
「ははっ。了解です!」
雅はそれだけ言い残すと、地下室へと降りていった。
雅の背中を送りながらも話は進む。が―――――。
「……あれ、雅…。機械詳しかったっけ…?」
そっとこぼした唯夏の言葉は、誰にも届いていないのだった。
地下室を降りていくと、またあの時の冷たい空気が肌を撫でる。
(夏場でも涼しいんだな…)
率直な感想を抱いた雅。階段をおり、あの部屋へ向かう。
ドアを前にして、開け放とうとした雅は一瞬躊躇して、ドアをノックした。
「おーい。麗奈ー」
返事がなかった。なにやら物音らしきものがしているのはわかるのだが、返事は一切ない。
雅は頭を掻いた。が、やがて決意したように、ドアを開け放った。
「麗奈ー?何やって――――――」
中に入ろうとした雅は、一瞬にして声を失った。
大きく目を見開いた先では――――。
「~~♪~~♪~~♪」
とても軽快に、麗奈が歌を歌っていた。
先ほどまで雅の立っていた場所で、麗奈は歌を歌っていた。それ自体問題はないのだが、何に対して雅が驚いたのかというと――――――。
(う……うめぇ!!?)
聞こえてくる麗奈の声は、とても綺麗だった。
ただ歌っているだけではない。曲の転調や美しいビブラート。何よりも楽しそうに歌うその姿に、一瞬で目が離せなくなった。
透き通るような歌声が、雅の耳に入ってくる。
思わず、ぞくっとした。
すると、ふと自然な動作で視線を泳がせた。
その瞬間、雅と目があった。
「―――――――っっ!!?」
その時、雅は麗奈が声にならない叫びを上げたような気がした。
それがマイクのせいなのかは、わからないが。明らかに、麗奈の態度と表情が一変した。
雅が驚いた瞬間には、麗奈は音楽を止め、真っ直ぐ雅の元へ走ってきた。
その表情は、すごく―――何かに怯えている表情だった。
麗奈はばっと雅に手を伸ばし――――
…たかと思った瞬間、雅の背後のドアを急いで閉めた。
「え……?」
「――――ですか」
「え?」
「いつから、いたんですか…っ?」
顔を上げた麗奈の顔が…青ざめていた。
「麗奈…?」
「いいから答えて!いつからいましたか!?」
「ついさっき。2分もいないくらい」
雅の言葉に、麗奈はふっと息を漏らした。心なしかそれは…安堵の息だった。
「麗奈、一体どうした…」
「ここであったことは、忘れてください」
「は…?急にどうして…」
「お願いします……忘れて、ください……っ」
雅は眉を寄せることしかできなかった。
雅に向けられた背中。ドアを押さえる手。懇願するように話す声。
その全てがかすかに震えている事実―――――。
(麗、奈……?)
どうしてそんなに震えている?どうして、忘れろ何て言う?何をそんなに焦って、何にそんなに怯えている…?
「ごめんなさい…本当に……ごめん、なさい…」
なぜ、そんなに謝るのに…忘れてほしいと願うのに……。
麗奈はそっと、雅を振り返った。
「………忘れて、ください」
どうしてそんな、助けてほしそうな目をするんだよ、麗奈。




