何よりも大事
風が颯爽と駆け抜けていった後、辺りを包んだのは一時の静寂。
だが、その静寂はすぐに破られる。
「…レイのためって、どういうことだ?」
「……もともと、無理だとは思ってたの。バドミントンは練習も試合もあって、もしもプロデュースの日と重なったらまずいなって、前から思ってて。きっとこれから先、両立し続けていくのは無理だろうと思ってたの」
麗奈は2人の顔を交互に見つめた。そして、柔らかな笑みを浮かべた。
「そしたらどっちを選ぶか…。悩んだんだけどさ。確かにバドミントン楽しかった。でも…やっぱ心のそこで、後悔してたんだと思うの」
「後悔…?」
思いがけなかった一言だったのか、一夜の眉が再度寄る。
そして麗奈は、ちょっとだけ寂しげな、儚げな笑顔を浮かべる。
「小さいころ…歌えなかったことが」
その時雅が言葉を発しなかったのは、その事実を知っているから。
そして一夜も声を上げなかったのは、小さなころから麗奈を知っているから。その現実があったことを、また一夜も知っていたのかもしれない。
「それが、すごく悔しくてしかたなくて…。そう考えて、また頭の中整理してみたらさ…もう音楽のことしか、浮かんでこなくなっちゃって…そこで気が付いたんだ。やっぱり私、音楽が大好きなんだってね」
始まりは、小さなころの大きな過ち。
何も知らなかったから仕方なかった。それで済ませられればそれでいい。
でも、あの期間…。本当に苦痛だったんだ。
歌えない日々が続くことが、何よりも苦痛だった。楽しかったことを止められるのが、何よりも嫌だった。
触れていたかった。側にいたかった。
ただ一心に、音楽というものに関わり続けていたかった。
「お父さんたちを困らせたくなくて、あのころは何も言わなかった。運動ができても歌えない。それがすごい悔しくて…。手の届く場所にある目の前にあるその音に、触れていたかったの。ただそれだけが、私の願いだった」
麗奈の言葉に沈黙をはさむことしかできない2人。
雅は、麗奈がずっと歌えなくて苦しんでいることを知っていた。
一夜だって、麗奈の苦しみがわかるのだろう。
だから両者共々、何もいえない。何もいわない。
「だから…そのころくらいから悩み始めて、どうしよっかなって思ってた矢先…お父さんたちが死んで、そして……あの事件が起きたんだよね」
「あの、事件…?」
「うん。上田と言う名の編集者的なやつ来ちゃったよ事件☆」
「なんでそんなファンシーな名前になってんだよ…」
少し呆れ顔でいう一夜。だが、麗奈は楽しそうだった。
「いや、普通に思い出すといらっとしそうだからせめて楽しくしてやろうかと」
「……まぁ、いいや」
これ以上突っ込んだところで何もならないと察し、とりあえず命名についてはさておき。
「でも…あいつが来たのと、それと…何の関係があるんだよ…」
「どっちか悩んでる間に、ああやって変に追い討ちかけられるようなこと言われてたら、自然とどっちかに気持ちが傾くものでしょ?」
「それは、そうかもしれないけど…」
上田が来て、また揺らいだ心。大きく揺さぶられた。
その時、感じたんだ。私は――――。
「あいつさ、よく『何で試合を棄権したのか』『試合に出なかったのか』って聞いてきたでしょ?」
「あぁ。そうだったな」
「その時にふと思ったんだよね。私…あの時どうして、帰ったんだっけって」
その一言に2人の表情が変わったのが、見ていなくてもわかった。
そしてその背に、そっと声がかかる。
「麗奈は…あの時帰ったこと、後悔したりしたの?」
「そんなことないわ。あの時は雅たちが背中押してくれてたし、帰った事を後悔なんてするわけない。そういう意味じゃなくて、何で帰ったのかって言うのは、その時帰ることが何よりも大事だったからでしょう?」
あの時、ほかにやることはたくさんあった。でも、それを全て放棄してでも行かなければならない場所があった。行かなければいけないと、そう背を押してもらった。
だから進めた。引き返すこともせず、それが大事だと心から思ったからこそ、背中を押されるままに走ったのだ。
「あの時背中押されて走って、よかったと思ってるよ。それで…そこで気が付いて、あの追い討ち受けて、決めた」
今自分が、心から大事にしたいものはなんだ。
前はきっと答えられなかった。でも、今ならそれがわかるんだ。はっきりと、胸を張っていえるようになった。
今、心のそこから大事だといいたいものが、できたから―――――。
麗奈はそっと体を半回転させ、その人と向き合った。
一夜を背にし、少し驚いた顔をしている雅に真っ直ぐに相対し、決してぶれることのない柔和な笑みを浮かべて、曲がることのない真っ直ぐな心をありのままに伝えた。
「私はお父さんとお母さんが残してくれた、あなたたちとのつながりが何よりも大事なの」
「――――――え?」
「私とあなたたちをつなげてくれた、お父さんたちが残した、形見のようなもの。一緒にいるときが何よりも楽しくて、何よりも安心できる。家族のいない私を、あの家に留めてくれた。私…雅たちが、何よりも大事。どんなことよりも、雅たちが1番大事よ」
麗奈は微笑を絶やさないままで言った。雅はまだ驚いた表情だったが、それでも見開かれた瞳が、輝いているのがわかった。
「だから、私は決めたの!大事なものを優先させる!私は音楽も、雅たちも大事!だから私はプロデューサーの道を行くよ!」
これは決して軽い気持ちじゃないんだ。ずっと悩んだ挙句、決めたこと。これが道なんだ。
だからこそ、その思いはきっと強く心に響いてくれたはず。
麗奈はにこっと、白い歯を見せた。
「だから、このまま音楽に行こうって決めたの!だから別に後悔はしない!多分!!」
「多分かよ…」
雅が少しだけ呆れたように笑う。でも、きっと心は届いているのだろう。和やかな瞳の色を灯していた。
こうやって笑ってくれるから。こうやって笑顔で迎え入れてくれて、嬉しそうな顔してくれるから。だから嬉しい、こっちも。この選択をしたことが間違いじゃないって思うから。
もう、やはりどこにも悔いなんて――――――。
「……諦める、のか…?」
「……え?」
麗奈がそっと背後を振り返ると―――――。
「…っ!!」
後ろに立っていた一夜と目が合った。が…その瞬間、目が合った途端、麗奈は声を失った。
一夜が、今まで見たことないくらい…はかなげで、寂しげな表情を浮かべていたから。
「一、夜…っ?」
「レイ…バドミントン、選手になるの、夢って言ってなかったっけ?」
一夜の言葉に、麗奈は驚いた顔になる。しかし、即座にその表情は曇ってしまった。
「諦めて、いいのかよ…そう簡単に、あきらめていいものかよ!」
一夜のその言葉に、麗奈は思わず目を閉じた。
「…レイ?」
感じた異変に一夜は目を細める。それは雅も同じだった。
今この場の、何かが変わった。
でも、一体何が、なぜ変わった…?
そう思ったその矢先の出来事だった。
「…夢を、諦める、か…」
「え…?」
ぼそっと、麗奈はそうつぶやき、ふと足を進めた。一歩一歩、ゆっくりと一夜の前まで足を進める。間をつめられた一夜は戸惑っているようだ。
そんな一夜を見つめ、麗奈は―――――。
そっと、囁いた。
「その言葉、そっくりそのまま返してあげるよ…」
麗奈がそのささやきを口にしたのと、一夜が目を見開いたのと、麗奈が体重を前にかけたのは、ほぼ全て同じ瞬間だった。
麗奈は一夜に驚きの声を上げる時間すら要さず、その一言だけ囁いて、そそくさと公園を去っていってしまった。
「あ、え、ちょ…っ!麗奈!?」
雅が慌ててその後を追う。
ふと、一夜の横を通り過ぎかけた時―――――――。
「――――――」
「…っ」
一瞬だけ聞こえたそれ。
足を止めかけたが、雅は唇をかんで再度走り出す。
「麗奈!!」
公園からすでに遠い場所にいる麗奈を、雅は必死に追いかけた。
残された一夜は、誰もいなくなった無人の公園に、1人佇んでいた。
茜の空は、すでに暗い影を落とし始めていた。




