悔し涙
とぼとぼと帰り道を歩く。またこんな風に歩くなんて。
(くそぅ…頭が痛い…)
今日一日何とか乗り過ごしたものの、清乃にも先生にもいっぱい心配をかけてしまった。
(さらに雅にまで心配をかけてしまうとなると…さすがに自分の心が持たないわ)
大きくため息をつき、曲がり角を曲がる。一本道の家路を歩き、やっとの思い出家に着いた。電気がついている。雅がいることは確実だ。
(……気を、引き締めなきゃ)
少しだけ緊張しながら、ドアノブに手をかけた。
「…ただいま」
「あ、お帰り、麗奈」
リビングのほうから雅の声が聞こえた。
リビングへ繋がるドアを開けると、中からとてもいいにおいがした。
「もうちょっとだから」
「うん。ありがとう」
よかったいつも通りだ。その事実に少し安堵した。
自分の部屋に荷物を置き、制服を着替え、再びリビングに戻ると、夕食の準備ができていた。
「さ、食べよう」
雅が笑顔を向けてくれる。それだけで幾分か心が安らぐ。
何ひとつ変わらない夕食。2人しかいないけど、楽しい食卓。
何も変わらないと思っていたんだ。変わってないと思ってたんだ。
麗奈が、この異変に気が付くまで。
「……あの、さ。雅…」
「ん?どうかした?」
食事を盛り付けてくれてる雅。
―――――やっぱり、変だよ…っ
「雅…どうしたの?」
「どうしたって?」
「だ、だって…っ。今日、全然笑えてないよ…?何かすごい…無理してるよ?」
雅の笑顔が、引きつっていた。こんなの初めてでどうしてこうなっているのかわからない。何で雅がこんなことになっているの…?
「雅、どうしたの…。な、何か遭ったんじゃ…っ」
「……ごめん。それ、俺の台詞だ」
「え…?」
麗奈が困惑の声を上げると、雅はテーブルに持っていたものを全ておき、真っ直ぐ麗奈の元へ来る。こちらに向かってきた雅の表情が、いやに固い。
「雅…?」
「…ごめんな、麗奈。全部聞いた」
その一言で、雅が何を言いたいのかがわかった。徐々に、手が震えだしたのだわかった。
「なん、で…っ?」
「…多分、少し前に麗奈にさ作り笑いがどうのこうのって話をした男子。多分あの子だと思う」
「…一夜が?」
何でこんなところに一夜がいるんだ…。何でそんなこと、雅に…。
「麗奈が倒れたのって、きっと陽智さんたちのこと、思い出したからだよね?実は今も体調悪いよね?もし俺が気付いてなかったら、俺には言わないつもりだったよね?隠し通すつもりだったよね?」
雅の問いかけに、答えることができなかった。全て、事実だから。
「あの子の話聞くと、きっとまたその人は麗奈のところに来るよ。同じ事を繰り返し続けるつもりだったの?」
「それは…っ」
「ねぇ、何で…俺に言わないの?どうして言おうとしなかったの?」
怒涛の質問。声色は優しいものの、内側に秘められていそうな想いが今にも爆発しそうなのがわかる。それがひしひしと伝わってくるから。
どう返答しても、それは結果的に何を招くのか。麗奈はわかっている。だから余計何もいえない。どうしようか迷っていると、突然雅が息を吐く。
そして、どこか自嘲気味に言った。
「……ごめん。俺のせいだよね」
「え…?」
「麗奈が、俺なんかに気使ったから…言い出せなかったんでしょ?」
「ちょ、待って!!」
麗奈は思わず言い返す。
「た、確かに…っ!気は使った。でも、だからってそれが雅のせいには繋がらないよ!私は…自分で黙っておこうって思っただけで、雅が悪いわけじゃない!」
「――――――のに…っ」
「え…?」
小さなつぶやきのように雅が何かを言うが、よく聞こえなかった。麗奈が再度雅に問おうとした瞬間、雅は突然麗奈の両肩を掴んだ。
「雅…っ?」
「ならせめて…泣けばよかったのに…っ!!」
雅は顔を上げ、麗奈の瞳を真っ直ぐに見つめる。
その瞬間、麗奈は一瞬息を止めた。
正面から見つめる雅の顔が、今にも泣き出しそうだったから。
「せめて…っ!せめて泣けばよかったじゃんか!気を使おうが何しようが、泣くことはできただろ!?何で…っ!何でまたそんな平気なふりして笑ってんだよ!無理してるのばればれだっていっただろ!?麗奈のつらい顔、見たくないって言っただろ!?」
「みや…っ!」
「寂しいじゃんか…っ!絶対、悔しいこといっぱい言われたんだろ!?何で平気そうな顔するんだよ!何でまた笑ってるんだよ!どうしてそう大事なこと全部隠すんだよ!!」
麗奈は突然のことに、何も言えなくなった。
雅にこんな感情的なことばかりぶつけられたのは初めてだ。すべて麗奈のためを思ってのことなのに、なんだろう…。
(雅が、すごい…苦しんでるように見える…っ)
「……隠してても、黙っててもいいから…っ!せめて、泣けよ。つらいって、そういえよ。悔しいって、何でも良いから泣けよ…っ!俺のことよりも、自分のことを優先してくれ…っ!お願いだからもう、我慢するのはやめてくれ!!」
雅はそう叫ぶと、言葉の強さとは裏腹に、本当に優しく、まるで割れ物を扱うかのような仕草で麗奈の事を抱きしめた。
「もし、誰かの前で泣くのが嫌なら…全部放り投げてきていいから、俺のところに来いよ…っ!お願いだからもう、泣くのを我慢しないでくれ…っ。無理して笑わないでくれ」
「……雅、なん、で…っ」
どうして、雅のほうが泣きそうなの?どうして雅が苦しむの?一緒に苦しんでくれる必要なんてない。だって、その苦しみは…私が―――。
「何で、って言われたら俺にもよくわからない。麗奈のことになると歯止めが利かないのも、こんなに同じように苦しむのも、何で言って言われるとよくわからない。でも…1つだけいえる」
「え…?」
「俺さ…麗奈のことすげぇ大事なんだ」
「……へ?」
「だから、そうやって我慢されると、俺まで苦しいから。麗奈が無理に笑うと、こっちまで泣きそうになるから。お願いだから…ちゃんと泣いてくれよ。何も言わない。何も言わないから…お願いだから、ちゃんと泣け、麗奈」
雅の言葉に何も言えないまま突っ立っていた麗奈。
だが自分でもわかっていた。徐々に、せき止めていたダムが崩壊しつつあることを。
鼻の奥がつんとする。じんわりと、目頭が熱くなる。
さっきまで驚いていて止まっていた思考が動き始めると同時、雅の言葉の意味を理解し始めたと同時、徐々に徐々に感情が溢れだす。
ずっと…ずっとずっとずっとずっと…っ!!
苦しかったよ…っ。つらかったよ…っ。
「…なんで、試合に出れなかったのか」
「え…?」
「どうして棄権したのか。大事な試合でどこへ行っていたのか。何度も何度も、問われた。そのたびに、胸が痛くなって、息が苦しくなって…つらく、なった…」
麗奈はだらんと下げていた両手をゆっくりと上げ、雅の服を掴んだ。
掴まれただけでわかるほとに、震えていた。
「…あの人の目が怖かった。あの人の言葉がにくかった。何もいえない自分に腹が立った。言い返せなくて…つらかった…っ」
「……わかってる」
雅はそっと、片手で麗奈の頭を引き寄せた。
もう、限界だ。
「悔しいよ…っ!!意味、わかんない…っ!何であんなこと言われなきゃいけないの…っ!あいつなんかに、私のことがわかるわけない…っ!でも、何も言い返せなかったの…っ!!それが余計、悔しくて…っ!」
「…わかってるっ」
「悔しい…っ!!すごい悔しい…っ!!くそ…っ!馬鹿にされた気分だよ…っ!!心底腹が立った!!悔しかった!!」
麗奈はぎゅっと、手に力を込めた。
「悔しいよぉ…っ!!」
お父さん、お母さん。みんなのこと、あんなふうに言われた。
もしあの場面で、家族が死んだからって言ってたらきっと、家族のせいだってあいつは言う。試合を棄権したのは、みんなのせいだっていう。
だから、いえなかった。
みんなの笑顔を、あいつは汚して行った。
自分の利害のために、怪我していきやがった。
ごめんなさい。ごめんなさい。
何もいえなくて。不甲斐なくて。みんなのこと、守ってあげられなかった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「ごめん、なさい…っ!!!」
麗奈の手にも、雅の手にも力がこもる。
雅の服に雫が落ち、麗奈の背中の手が震える。
麗奈は声を上げて泣いた。悔しかったから泣いた。
雅は声を上げずにないた。ただひっそりと泣いた。
2人は、互いの傷を見つめながら、泣いた。




