守りたい笑顔
額につめたいものが触れているのがわかった。
意識がはっきりしてくると同時、ひどい眩暈に襲われる。
痛い。ひどく痛い。…ずっとずっと、心が痛い。
感情が溢れそうだ。涙が溢れそうだ。痛いよ。誰かこの痛みを止めて――。
助けて…っ
雅…っ!
「……っ!…奈!麗奈!麗奈っ!!」
「…ン…?」
ゆっくりと目を開いた。すると、眼下に涙目の清乃がいた。
「清、乃…?」
「よ、よかった…っ!目覚めたんだね!」
「よか、った…?目覚めたって…」
そこでようやく麗奈は、清乃は自分の事を見下ろしていること、自分が寝ているからそうなっていることに気が付いた。
「あれ、私…」
ゆっくりと体を起こすと、ひどいけだるさと眩暈が襲う。思わず顔をしかめた。
「…まだ、起きないほうが良いんじゃないの?」
「いや…てかここどこ?」
「保健室。……覚えて、ないかな。化学室に向かう前に、麗奈…倒れて…」
「……あ」
そこでようやく頭が冴えた。ここに自分がいる理由まではっきりとわかった。
だからこそ、余計に苦しくなった。
あの職員室前の出来事を思い出し、胸が痛む。
そのことが表情に出ていたのだろう。清乃がさらに悲しげな顔をする。
「麗奈…」
「…ごめんね、清乃。驚かせたでしょ」
「驚いた、けど…でも、正直仕方ないというか…悪いのは麗奈じゃないから、何もいえない。何も言わないよ」
清乃はふっと微笑を漏らしてくれた。でも、麗奈は今だけは笑顔を作ることすらできなかった。抉られた傷がひどく痛む。
(あいつは…)
結局あの上田とか言うやつは、麗奈の心の傷を抉っただけだった。本当に何がしたかったのか、全然わからなかった。
「清乃、今何時?」
「お昼休憩。12時過ぎだよ」
「……そっか」
「保健の先生が言ってた。麗奈が目を覚ましたらすぐ帰らせろって。家の人に連絡つけてあげるから、目覚ましたら教えてって言われてたんだけど…」
清乃の言葉に、麗奈ははっと息を呑んだ。立ち上がり、保健の先生のところへ行こうとする清乃の服の袖を咄嗟に掴んだ。
「麗奈…?」
「……ダメ」
「え?」
「先生に…家に、連絡入れちゃダメ…っ!」
「な、何で?だって、家には今麗奈の身の回りのことお世話してくれる人いるんでしょ?」
学校側には、正直詳しいことは話していないのだ。クラスのみんなや先生には、『家政婦』という扱いになっている。とても、男性と同棲、とは言いにくかった。
だからって、こんな形で…。
今家に連絡されれば、必ず雅が来る。そこで知られてしまう。
まだここまではギリギリの範囲かもしれない。まだごまかせる。でも、麗奈が気にするのはそこじゃなかった。
(きっと…倒れただなんて言ったら、すごい心配してくれる…ひどく心配かける…)
雅はきっとすぐに駆けつけてくれる。でも…今回倒れた理由が理由だ。
あのことで麗奈が発作的に倒れてしまったと知れば、また…自分だけじゃない。雅だけじゃない。唯夏も澪も真一も拓斗もきっと心配する。学校ではうまくいってる。大丈夫だって、安心させたばかりなのに…また、あの5人を心配の渦に巻き込ませるわけにはいかないのだ。
これは、ダメなんだ。
「……心配、かけたくない…っ。私はもう平気だから!ね?」
「でも…っ!」
「私も先生にいいに行くよ!大丈夫ですって!」
「でも、麗奈…まだ…」
「ホントに大丈夫よ。さっきのはホント、発作みたいなものだから…ホントに大丈夫だから」
麗奈は必死に清乃を止める。清乃を困惑させてしまうのは申し訳ないのだが、それでも…守りたいものがある。
「ね?大丈夫だから」
「……ほん、とに?無理してない?」
「平気!」
「…で、でも!とりあえず…一緒に先生のところ、行こう?」
清乃の言葉に、少しだけ躊躇したものの、麗奈はしっかりとうなずいた。
そして清乃に支えられながら、麗奈は保健室を後にする。
無人になった保健室の中で、大きな、それは大きなため息が響き渡った。
「…馬鹿じゃねぇの、あいつ」
麗奈の寝ていたベッドのカーテン越しにあるもう1つのベッド。そこに、彼はずっといた。
ベッドに寝そべってあの会話を聞いていた一夜は、またため息をつく。
「馬鹿だ。心底馬鹿だ、あいつは」
今の会話を聞いていれば、一夜には大体のことがわかった。
「…気に食わねぇったらありゃしねぇよ。…そんなにあの男が大事かよ」
絶対迷惑かけたくないとか、心配かけられないんだとか思ってた。麗奈はきっと思ってた。それほどまでに、大事な相手なのか…?
それほどまで自分を犠牲にしても、守らなければならないことなのか…?
結局あいつは、麗奈の何なんだ。
「気に食わねぇよ。お前も、あいつも…」
麗奈の隣を歩いていたあの男。少し年上のあの男。
たった2日で、麗奈の笑顔を取り戻したあの男――――。
「くそ…っ!!ふざけんな!!」
一夜は突然起き上がると、これまた保健室を後にする。
(何も知らねぇくせに、ふざけんじゃねぇ)
きっとこのまま行けば、麗奈が倒れたことなんて絶対にあの男が知ることは無い。
またきっと、のほほんとした日常を送ろうとする。
(それだけは、やっちゃいけねぇんだよ)
これから先、待ち受けているであろう最悪の結末を、一夜は見つめていた。
これから先、きっとまた起こりうる。
それだけは阻止しないといけないんだ。
(わかってんの?お前だけじゃねぇんだよ)
麗奈の笑顔を守りたいと思うやつが、自分だけだと思うなよっ!!




