雨上がり
土砂降りの雨が足元を駆け抜けて行く。
目の前には大きな黒い石版。そこに刻まれた新たな名前は10人。
全員の名に、覚えがあった。
その文字を虚ろな目で見つめながら、彼女は…麗奈は一体何を考えるのか―――――。
時は2日前にさかのぼる。
家族が事故にあったと知らされた麗奈はしばしその場に立ち尽くしていた。
だが、雅たちに声をかけられ促され、やっとの思いで現実と向き合った。
その瞬間から、不安と怖さで震えが止まらなくなった。
そんな麗奈をいたわり、支えながら雅たちは麗奈と共に駆け出した。
拓斗の車で病院へ向かう。車の中でも震えは止まらなかった。
やっと病院にたどり着いた麗奈を、1人の医師が向かえ入れてくれた。
そして6人は、ある病棟へ案内された。そこで、ある部屋の前で立ち止まる。
麗奈は医師の顔を見たが、彼は何も言ってくれなかった。
麗奈は震える手で病室のドアに手をかけた。うまく力が入らない中、必死に重いドアを開ける。
その部屋の中で、麗奈が目にしたのは―――――――――――。
10人の、家族の顔だった。
全員がベッドに寝かされており、部屋は真っ暗。
誰も目を開けない。誰も話しかけてこない。誰も……息をしては、いなかった。
思わず、麗奈は病室に入った。あたりを見回しても、誰も何も言ってくれなかった。
噓だ…噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ
「……噓、だ…っ」
涙が後から後から流れてきた。麗奈は必死に1人1人にしがみついた。
「ねぇ、返事してよ!!麗奈だよ!!ねぇ、今日ひいばあちゃんの三回忌じゃなかったの!?ねぇ、返事してってば!!優!翔太!叔父さん、叔母さん!!おじいちゃん!!お婆ちゃん!!ねぇ、お父さん!!お母さん!!」
あたりを見回して叫んでも、誰一人微動だにしなかった。
「何とか、言ってよ…」
思わず座り込んでしまった。
「嫌よ…こんなの…っ。お父さん…私の歌、聞いてくれるんじゃなかったの…っ?優、翔太…今年、一緒に海行こうねって…お盆に、遊びに行こうと思って…っ!叔母さんの手料理、楽しみにしてた…のに…っ。お婆ちゃんちの、畑…っ手伝うって言ったのに…っ。こんなの…ヤダ…っ!嫌、嫌ぁ…っ」
麗奈は両手を地面にたたきつけた。
――こんなの、嫌あああああああああああああああああああああぁっっ!!
どれだけ泣こうが叫ぼうが、もう2度と陽智や志帆が応答することは、なかった。
それが2日前。今が2日後。
駆け抜ける雨があたりを濡らす中、麗奈は傘も指さずに突っ立っていた。
家族みんなの名前が彫られた、石碑を見つめて――――。
「可哀想に…」
「高速道路で事故だなんて…」
「対向車線から来た暴走トラックと正面衝突でしょう?志帆さんと陽智さんは…即死だったらしいじゃない」
「お気の毒に…まだ中学生だって言うのに…」
親族の間から、そんな言葉がちらほらと漏れる。そんな声を小耳に挟みながら、雅たちは麗奈に近い位置、それでいて距離を開けた位置で見守っていた。
「……麗奈…」
つぶやくような声に、もはや反応すら見せない麗奈。虚空を見つめているようにしか見えないその瞳。正気がまるでなかった。
思わず駆け寄りそうになる澪を、唯夏が黙って制す。
しばらくの間そんな事をしていると、少しずつ雨が止みだす。
そして――こちらに向けて、水を弾く足音が向かってきた。
親族たちが騒ぎ出し、雅たちも足音のする方向を見つめてみる。するとそこには―――。
「失礼、漆崎様の親族の方々ですね?」
現れたのは、整った服を纏った青年たち。警察だ。
「少し、お話よろしいでしょうか?」
「えぇ、構いません。私は漆崎志帆の母で、麗奈の祖母です」
親族を代表して、志帆の母を名乗るものが前に出た。
「どういったご用件でしょうか?」
「実は、お嬢様の漆崎麗奈さんのことなのですが…」
その単語が出た途端、麗奈の肩が初めて反応した。麗奈は少しだけ後ろを伺う。
「麗奈が…どうか?」
「…心苦しいことを、ここで申し上げることになりますが…彼女は今、ご家族の方がいらっしゃらない状況。そして彼女は未成年。戸籍の問題などで、どなたが彼女をお引取りになるのかを、お聞きしたいのです。もしくは、このまま施設へ行くのか…とにかく、彼女のこれからについてお話願えますか?」
その途端、あたりが急にざわつき始める。
まだらに聞こえてくる言葉に、麗奈は大きく目を見開いた。
「ウチじゃ…預かれないわ。まだ子どもが生まれたばかりなんですもの…」
「うち、今年上の兄が受験生だし…」
「あたしのうちは、これ以上人が増えると食費が…家賃も今月ピンチだし…」
「子どもの数がこれ以上増えるのはきついわ。たとえ…中学生でも…」
「お、おいおい…っ!ちょっと待てよ!」
親族たちの話に割って入ったのは真一だった。
「麗奈はみんなの家族だろ!?志帆さんと陽智さんの子どもなんだぞ!?どうして…親族どうしで、譲り合いなんて…」
「あなたにはわからないわよっ!」
突然、誰かがぴしゃりと言い放つ。真一が一瞬怯む。
「誰にでも家系があるのよ!麗奈は中二であと一年で受検!そんなお金はらえるわけないわ!」
「だからって、麗奈のこと放って置くのか!?麗奈はみんなの家族なのにっ!?」
「家族だからって何でもできると思わないでっ!!」
真一が唇をかみ締める。
その状況を、麗奈は信じられない瞳で見つめていた。親族の間で聞こえた言葉に、耳を疑った。
――ウチじゃ、預かれないわ。
(……預かれない、って…)
麗奈はもう一度石碑に向き合う。そこに掘られた父と母の名を見て、また涙がこみ上げる。
(1人、なんだ…私…)
誰も側にはいてくれない。誰も麗奈の事を想ってはくれない。
あの笑顔はもうどこにもない。その名を呼んでくれる存在も、ご飯を作ってくれて、笑顔であいさつをしてくれる人ももう…いない。
もう、誰も――――
(私は…っ)
「大体あんたたち誰なの!?陽智さんの知りあい!?そうじゃないなら、家庭の事情に口挟まないで頂戴!」
「…………て」
「部外者がいちいちでしゃばってこないで頂戴!それでなくてもこっちは忙しいのよっ!この辺でのこのこしてるくらいなら今すぐ――――っ」
「もうやめてええぇぇっ!!」
その瞬間、辺り一体が驚くほどの静寂に包まれた。ゆっくりと、全員の視線がある一点に集まる。
「…麗奈」
「うるさいっ!もう嫌!もう嫌だっ!みんなのことそれ以上悪く言うなっ!何も言うなっ!誰も来るな!近寄るな!人のこと悪くいうやつ嫌いっ!みんな嫌い!大嫌いっ!!」
「麗奈!」
「うるさい!嫌い!もうみんな大嫌いっ!!」
麗奈は両手で耳を塞ぎ、その場にうずくまった。
「みんなの前で…喧嘩しないでよぉ…っ!そんなことしても…も…誰も、戻ってなんかこないじゃんかぁ…!」
啜り泣きだったものが大きな嗚咽に変わった。
多くの人間の感情が爆発したと同時、麗奈の心にせき止めてあった感情も、一気に流れ出したのだ。
親族は、誰も口を聞かなくなり、真一も「ごめん、麗奈…」と言ったきり、何も言えなくなった。
誰も何もいえない静寂の時間がこのまま過ぎる―――誰もがそう思っていたその瞬間―。
麗奈の肩に、暖かいものが触れた。
「…っ」
はっとした瞬間には気が付いていた。これは…誰かの温もりであると。
そっと頭上を見上げると、そこにいたのは――――――。
「……雅…」
雅はそっと笑顔を浮かべると、麗奈の肩に手を置いたまま石碑を見つめる。そして―――。
「…陽智さん、志帆さん。安心して。麗奈は…俺が守るよ」
「……え?」
「2人の見守れなかった、2人の見ることができなかった麗奈の未来を、俺が守っていく。もちろん1人じゃないけど。どうか…2人の『宝物』。預からせてください」
――麗奈は僕たちの宝物だからな!
いつか、陽智が言った言葉だった。雅はそれを覚えていたのだ。
だがその言葉に、誰もが驚きを隠せなかった。親族たちの間に動揺が走る。麗奈自身もそうだ。
「みや…っ」
「麗奈、選んで」
「へ…?」
突然雅は麗奈に向くと、ひょんな事を言い出した。
「1つは、このまま施設に行くこと。2つ目は、無理言って親族の方の家に上がらせてもらうこと。3つ目は…俺たちと、来ること」
最後の一言に、麗奈は大きく目を見開いた。柔らかな雅の笑顔を見た瞬間、また涙が溢れ出す。
「麗奈が、決めて」
背中を押してくれる一言を気に、麗奈は雅に飛びついた。
「……いっ。雅、と…!みんなと、一緒に、いたい…っ!あの家に、いたいよ…っ」
「…わかった。じゃ…帰ろう、麗奈。みんなで行こう。俺たちと一緒に、行こう」
雅が優しくその背を撫でてくれる。
麗奈は雅の胸で、今まで出1番大きく泣いた。その間、ずっと雅は背を撫でてくれたし、みんなは麗奈を見守ってくれていた。大きな手の優しさが気持ちよくて、麗奈は思いっきり泣いた。これでもかというくらい、泣いた。
そして、雨が止んだときには―――泣き声は、晴れた空に吸い込まれていった。




