1-8 孤立と転入
(8)生徒会長の観察眼
放課後、生徒会室。
生徒会室は校舎中央棟の最上階にあり、学院内でも比較的人の出入りが制限された場所だった。とはいえ静寂とは程遠い。提出書類の束、各方面から上がってくる予算申請、演習場使用許可、貴族生徒同士の揉め事の仲裁依頼――新学期初日の生徒会は、例年通り忙しかった。
その中心で、会長の席に座っているアレン・アルシェリアは一枚の書類へ視線を落としていた。
「転入生ですか?」
書類整理をしていた副会長のセシル・アークライトが顔を上げる。
「珍しいですね。殿下がわざわざ個人書類を見るなんて」
「転入生は目立つからね。一応確認だけ」
穏やかに返しながら、アレンは書類を閉じる。
メイ・マーガレット、地方都市出身。二年編入。
経歴に不自然な空白はない。成績も“優秀寄り”程度へ綺麗に調整されている。提出内容だけ見れば、むしろ地味な生徒だった。
だからこそ逆に、引っ掛かった。
昼休みのあの態度。刺客か、否か。はたまた王に送られてきた新しい護衛か、否か。
「……妙なんだよね」
「妙、ですか」
「この書類違和感がない」
セシルが怪訝そうに眉を寄せる。アレンは小さく笑った。
「綺麗に作られすぎた経歴って、逆に浮くんだよ」
本当に自然な人間の履歴には、多少の偏りや粗がある。得意不得意。感情による選択。人間関係。
メイ・マーガレットの提出書類には、それが妙に少なかった。均整が取れすぎている。
まるで、“普通”を模倣したみたいに。
「考えすぎでは?」
「かもね」
アレンは否定しなかった。
昼休みに食堂で見た転入生の姿が、まだ頭のどこかへ残っている。
暗い髪。そしてあの目。自分に対して向けられる目は大体2つに分かれる。好意的かそうでないか。
マーガレット嬢の目はそのどちらでもない、むしろ自分に対して興味がないとまで言いたげな目をしていた。
地方だから僕の立場についてあまり知らないのかとも思ったが、はっきり"殿下"と言っていた。
「……」
窓際へ視線を向ける。
普通の生徒ではない。
少なくとも、“ただの地方出身者”ではない。それだけは確信に近かった。一体何者なんだ、
「殿下?」
「いや」
呼ばれて、アレンは思考を切り替えるように笑みを浮かべた。
「少し面白そうだと思っただけ」
生徒会長として、王子として、人を見ることには慣れている。相手が何を隠しているのか。
どんな距離を望むのか。どこまで踏み込めば壊れるのか。
そういうものを観察する癖が、幼い頃から抜けない。
そしてメイ・マーガレットは、明らかに“隠している側”の人間だった。
何故か不思議と、不快感はない。むしろ、どこか似ている気がした。
そもそも僕に興味がないという目をしておきながら、上辺では適当なことをつらつらと並べていた。
なんなんだ、一体。
「……」
無意識に、自分の指先へ視線を落とす。
誰かに期待されること、常にゆとりがあり笑顔で、みなの"理想の王子"で居続けること。
それは自分の周りから与えられた存在価値で、今さら窮屈とも思わない。
思わない、はずなのに。
昼休みのあの少女だけは、自分を見た瞬間、あの一瞬だけ、“王子”ではなく、“人間”として警戒していた。
それが少しだけ、印象に残っていた。
夕暮れ。
空はまだ僅かに青を残しているのに、学院の灯りはもう一つ、また一つと点き始めていた。
授業を終えた生徒たちが寮へ戻り、各々の時間を過ごしていた。
壁の向こうでは笑い声が弾み、扉の開閉音。階段を駆け上がる足音。
昼間の学院とは違う。
張り詰めた空気がほどけて、“学生生活”というものが一番色濃く出る時間だった。
その喧騒を遠く聞きながら、ミシェルは自室の椅子へ深く身体を沈める。
「……疲れた」
心底、という声だった。
制服のリボンを解き、机へ突っ伏しかける。
“普通の人間らしく振る舞う”ことに疲れる。
笑うタイミング。返事の温度。視線を合わせる長さ。術式より難しい。
山奥で術式だけ解いていた頃の方が遥かに楽だった。
「初日でそれ言ってたら先が思いやられるぞ」
ベッドへ転がっていたノアが呆れた声を出す。
「もう帰りたい」
「初日で逃亡か」
「……」
「まあ、いいんじゃね」
「よくないでしょ」
ミシェルは机へ視線を落とした。
まだ解けていない未完成の演算式が目に入り、思考が切り替わると、ミシェルは無意識にペンを手に取る。
基礎式自体は簡単だ。ただこの術式構造は古い。
この固定座標式へ別位相演算を噛ませれば、昨日解けなかったあの構築陣の誤差補正に使えるかもしれない。
さらさら、と。
紙の上へ追加式が流れ始める。
星力循環の再定義。補助演算の多重化。いや、違う。
これだと位相干渉が起きる。
なら術式核を分離して――
「また始まったよ…」
ノアが半笑いになる。
「人間関係で死にかけてた奴とは思えねぇ集中力」
聞こえていない。
ミシェルの意識は完全に術式へ沈み始めていた。
あと少し、あと一箇所、そこを書き換えれば――
視界の端に、金色が映り、ペン先が止まる。
ミシェルはゆっくり顔を上げた。
窓の外、寮裏の中庭。
夕暮れの薄明かりへ沈みかけた石畳の中央に、一人の男子生徒が座っていた。
金色の髪。膝の上へ開かれた本を静かにページを捲る指先。アレン・アルシェリアだった。
ミシェルは無意識に眉を寄せる。
……あんなところで何を?もうすぐ日が暮れるというのに、本?
生徒たちの動線から微妙に外れた位置。
護衛もいなければ、人気も薄く、王族が一人でいるには不用心すぎる場所。
…なんであの位置に?
背後の死角。周囲の視認範囲。逃げ道。
全部が妙に整いすぎている。無防備に見えて、無防備じゃない。
「あれ“待ってる”な」
ノアが低く呟く。
ミシェルも同じことを思っていた。
誰か、あるいは、“何か”を誘き出すみたいな佇まい。
その瞬間、ミシェルの表情が消えた。
ーーまずい!!
学院に着いた際に念のために学院外周へ張っていた広域結界。その西側へ微細な干渉。
それと同時に昼間、生徒たちへ紛れ込ませていた紙の一体が、鋭く警鐘を鳴らした。
――敵意検知。対象。アレン・アルシェリア。
ミシェルは慌てて立ち上がり、椅子が大きな音を立てて倒れる。




