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きみが星をほどくまで  作者: さくらつむぎ


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7/22

1-6 孤立と転入

(6) 優しい人

「メイちゃん、って呼んでいい?」


不意に向けられた笑顔に、ミシェルは一瞬だけ反応が遅れた。距離が近い。いや、物理的な意味ではなく。

初対面の相手へ向けるにはあまりにも自然すぎる声色に、思考がわずかに止まる。


「…うん、もちろん、よろしくね」


数拍遅れて返事をすると、少女はぱっと表情を明るくした。


「 私リリィ・ヴェイン。よろしくね、メイちゃん」


ふわりと揺れるパステルピンクの髪。

感情がそのまま表情へ出るタイプなのだろう。嬉しそうに笑うたび、緑色の瞳が春の光みたいに柔らかく細まる。貴族のご令嬢のお手本のような品の良さが漂っている。

ミシェルは曖昧に頷いた。


「眩しっ」


ノアが足元で小声を漏らす。分かる。非常に分かる。


「転入って緊張するよね」


「…うん、でもリリィちゃんが話しかけてくれたから大丈夫そうだよ。ありがとう」


心にも思っていないことをペラペラと連ねていたからか、ノアが身震いしていた。

…失礼にも程がある。


「本当?よかったぁ、」


ミシェルは少しだけ視線を逸らした。

こういう人種は苦手だ。悪意がない人間。

打算なしで話しかけてくる人間。そしてあの真っ直ぐに見つめてくる瞳。

そういう相手ほど、どう接していいか分からなくなる。

こういう時どう返すのがいいんだろうか。


「メイちゃんって、地方から来たんだよね?」

「…うん」

「王都初めて?」

「小さい時に何度かだけ来たことがあるけど、ほとんど覚えてないんだよね」


会話が続いている。

その事実に、ミシェル自身が少し驚いていた。普段なら、もっと早く終わる。

必要以上に話さない空気を作って、相手側から距離を置かせる。それが一番楽だった。

リリィは、不思議なくらい会話の温度を変えない。踏み込みすぎない。それでいて、離れすぎもしない。

まるで“警戒されること”に慣れているみたいだった。


「……」


…あ、そうか。

ミシェルはそこで初めて気付く。

教室の中で、リリィへ向けられる視線が少しだけ特殊なことに。

嫌われているわけではない。

誰とでも話す。誰にでも笑う。

だからこそ逆に、“特別親しい誰か”がいない。そんな空気。


「あー……なるほど」


ノアも気付いたらしい。

リリィ本人だけは、それを気にした様子もなく笑っていた。


「メイちゃん、昼休みに学院内案内しよっか? 学院広いから迷うんだよね」

「別に――」


断ろうとして、止まる。緑色の瞳がまっすぐこちらを見ていた。そこには探る色も、打算もなかった。

ただ純粋に、“困っていそうだから声を掛けた”というだけの視線。

そのまっすぐさが、少しだけ苦手だった。


「…そうだね、お願い、してもいい?」


言った瞬間、自分で少し驚いた。頼るつもりなんてなかったのに。

リリィは嬉しそうに笑う。


「うん!」


――この子は、多分。

人の孤独に敏感だ。そう直感が言っていた。


午前の授業は、驚くほど平穏に終わる。


星術理論基礎。高位演算構築。

黒板へ書き出される術式も、教師の解説も、既に理解しているものばかりだった。演算構築の途中式ですら、頭の中では数手先まで自然に補完できてしまう。


ミシェルは、それを表へ出さないよう慎重に調整していた。


普通、平均的に。正答率を下げる。わざと少し考える。答えを書く速度を周囲へ合わせる。

黒板の式をノートに書くのに、途中何度も書く速度を間違えそうになる。

山奥にこもっている間、術式にしか向き合っていなかった為、大体の術式はすでに習得済みで実践済みだった。

未知の術式に手をつけていたので、既存である術式、特に学校で習うような術式はミシェルにとっては簡単すぎるのだ。


簡単すぎる授業より、“普通の生徒を演じること”の方が遥かに難しい。

何が普通なのか定義付けがないからだ。こんなところで目立ってはいけない。

窓際の席へ頬杖をつきながら、ミシェルは静かに息を吐いた。


「器用なことしてんなぁ」


頭の奥へ、呑気な声が響く。視線だけを落とす。

透明化したノアが、机の下で椅子の脚へ身体を絡めながら欠伸をしていた。


「邪魔」

「バレてないからセーフ」

「そういう問題じゃない」


ノアは楽しそうに尾を揺らしている。

こんなことなら昨日のあの術式を解きたい。あの山奥に帰りたい。

いや、待てよ。いま授業で取り上げられている術式を応用して、別の術式とも融合したら、昨日まで沼っていたあの演算、解けないだろうか。

いや、あの術式ではないか、もっと別のーー


その時、不意に隣から視線を感じる。


「メイちゃん、どう?大丈夫?」


リリィが小声で声をかけてくれた。

危ない。任務を忘れるところだった。完全に手が止まっていた為、心配してくれたのかもしれない。


「うん、なんとか。やっぱレベル高いね」

「高いよね。私、演算構築ちょっと苦手なんだよねぇ」


困ったように笑う。その表情には、見栄も虚勢もなかった。出来ないことを出来ないと素直に言える人間。それだけで眩しい。


「いいぞー、"メイ・マーガレット"」


ノアが笑う。

ミシェルは無視した。

やがて昼休みの鐘が鳴る。途端に教室の空気が崩れた。

椅子を引く音。笑い声。購買へ走っていく足音。

静かだった教室が、一瞬で騒がしさへ塗り替わっていく。

ミシェルはその喧騒をぼんやり眺めながら、小さく肩の力を抜いた。


半日。まだ半日しか経っていない。

…あー、結局今日いまだに第二皇子見かけてすらないな。

星力感知で殿下の安否だけは確認している。星力感知だけでは殿下に何かあった時守れない。

このままでは何のためにこの学院に来たのか意味がわからない。

そもそもどうやって護衛するんだ、これ。

同じクラスでもない、ましてや同じ学年でもない。

護衛してないならただの学校生活でしかない。


「第二皇子のとこ行くか」

「うん」


心の中だけで即答する。

その瞬間。


「メイちゃん!」


ぱっと花が開くみたいな声が飛んできた。リリィだった。


「一緒にお昼食べよ!その後学院内も案内するよ」


反応が早い。

まるで断られる前に先回りして距離を縮めてくるみたいだ。ミシェルは一瞬だけ言葉に詰まった。

校内探検の話は完全に忘れていた。そういえばそんな話を朝にした気がする。

どう返すのが自然だろう。

普通の転入生なら。普通の女子生徒なら。"メイ・マーガレット"なら。


「あの皇子ならそつなく応えんだろうなぁ」


ノアが面白そうに呟く。少しだけ腹が立つ。

殿下探しよりも先にメイ・マーガレットがこの場に馴染む方が先か。


「…うん、もちろん!」


わずかに間が空いた。

けれどリリィは気付かなかったのか、嬉しそうに表情を明るくする。


「やった! 食堂行こっか」


断ればよかったかもしれない。

そう思うのに、不思議と嫌ではなかった。

リリィの後ろを歩きながら、ミシェルはぼんやりと周囲を見渡す。

談笑する生徒たち。その中に第二皇子の姿はない。

廊下へ溢れる昼の光。

穏やかな空気。

自分とは無縁だと思っていた“普通の学校生活”が、そこには当たり前みたいに存在していた。

その時だった。

廊下の向こう側が、不意にざわつく。


「生徒会長だ」

「今日も素敵だわぁ、アレン殿下」


空気が一瞬にして変わる。


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