1-4 孤立と転入
(4) 孤立はまだ定義されていない
王立アルシェリア星術学院の朝は、山奥の静けさとはまるで別種の秩序で動いていた。
石造りの回廊を、無数の足音が一定の方向へ流れていく。
開いた窓から春風が入り込み、遠くで鐘の余韻が揺れていた。
その音を聞きながら、ミシェルは校舎の高い天井を見上げる。
星灯石。
淡い光を放つ鉱石が規則的に埋め込まれている。
星力効率は悪くないな。天井構造との連結も綺麗。術式維持の循環設計を担当した術師は、どんな人なんだろう。少なくとも今の最高位星術師の中にはいない。
視線を滑らせる。
壁面補強。
結界補助線。
空調循環。
学院そのものが巨大な星術式だった。
ここまで大規模な演算構造を日常設備として成立させている時点で、王立学院の技術水準は相当高い。会ってこの星術式について話してみたい。
少しだけ興味が湧く。
少しだけ、だ。
「お、珍しく楽しそう」
「私の家にも活かせそう」
「…もしかしてフェンリルサイズでも快適に住める大きさになんのか?!」
「自分でフェンリル"でも"って」
透明化したノアが笑う。
廊下では、生徒たちの視線が絶えず行き交っていた。
新学期初日。
転入生。
知らない顔。
理由はいくらでもある。
ミシェルはその視線を受け流しながら歩く。
「……」
廊下の窓へ、自分の姿が映る。
着慣れない制服。暗く染めた髪。色を暗くした眉。星力反応まで調整済みの偽装術式。
鏡の向こうにいるのは、“メイ・マーガレット”だった。
ミシェル・レイフィールではない。
元から隠している星力値を更に隠し、術式傾向を誤認させ、星力循環まで平均値へ擬態している。
学院側から渡された偽装程度では足りず、自分で大半を書き換えた。
王国直属機関の偽装術式は甘い。これでは高位術師相手に三日も保たない。すぐにバレてしまう。
あとで自動的に維持されるように補助式を書き直そう、とミシェルはぼんやり考える。
「潜入任務で術式レビュー始める奴いる?」
「殿下に潜入バレたら帰れるかな」
「いや、その時は一方的な戦争が始まんだろ」
「なんで私が戦う前提なの」
前方から上品な笑い声がする。
貴族の子息だろうか。磨かれた靴音と香料の匂いが先に届いた。自然と身体が道の端へ寄る。
ぶつからない位置。視線を引かない角度。無害そうに見える立ち位置。長年染み付いた癖だった。
視界の端で、数人の生徒がこちらを見る。
その瞬間だけ空気が変わる。
転入生を見る目だった。
ミシェルは内心でため息を飲み込む。
山奥では必要なかった作業。人間社会では、呼吸みたいについて回るものだけど、護衛対象の殿下は毎日これ以上の視線に晒されているんだろうな…。
「ねぇ、あの子?」
「珍しい髪色」
聞こえないふり。関わらない。印象に残らない。敵を作らない。口角だけ一応あげておこう。
第二皇子の護衛任務。表向きはただの学生生活。
その実態は、王族派と妃派貴族の均衡上に立たされた監視業務に近い。
王族に興味はない。権力争いにも興味はない。星術研究の続きをしている方が遥かに有意義だ。
そもそも何故こんな重要任務がミシェルにやってきたのか、ミシェルは引っかかった。
「帰りたくなってきた?」
「…私の実力は、さ。国に完全には把握されてないはずなんだよね」
階段を上がりながら、ミシェルは視線を落とす。
「星力値は完全に押さえ込んでるし、実力も出したことがない。それに討伐任務の数も、他の最高位星術師より圧倒的に少ない」
王国は星術師を抱え込む。優秀な術師ほど前線へ回され、消耗するまで使われる。それがこの世界においての普通。
「研究時間を優先的に与えられてたのも不自然なんだよね」
保護。監視。隔離。最高星術師の中でも一番下っ端だから任務依頼が少ないと定義づけるのは安易な答えだ。
「その状態で、第二皇子護衛だけは私に回ってきた」
下っ端の実力でこんな重要な任務がなぜ私に?ノアが尾を揺らす。
「第二皇子の護衛に、何か隠されてるのは事実ってことだな」
「以前の護衛は最高位星術師じゃなかったのかな」
「あいつらん中に第二王子の護衛任務できそうなまともな奴いるか?」
ミシェルは他の最高位星術師を思い出す。
「………いない、ね」
考え込むうちに教室の前へ辿り着く。二年A組。
教室の扉越しに、誰かの笑い声が微かに聞こえた。
扉の前で立ち止まり、ミシェルは静かに息を吐いた。
――始まってしまうんだ。




