1-2 孤立と転入
(2) 森への訪問者
手紙が届いてから、五日が過ぎた。
その間、ミシェルの生活になんの変化もなかった。
朝になれば結界を点検し、ノアに朝食を急かされ、昼過ぎには森を歩きながら星脈の流れを確認する。夜は暖炉の火を眺めながら術式書を開き、眠気が来るまで演算式を書き続ける。
静かな日々。
机の端へ置かれた封書だけが、その静けさの中で妙に現実味を持って存在している。
王立アルシェリア星術学院。
第二皇子護衛任務。
私から父を奪った国の王子を護衛するなんて、なんていう皮肉なんだ。最高位星術師の肩書きを手に入れた時点で国から監視対象になり逃げ場はなくなった。
封を切った日ほどではないにせよ、その文字列は今でも視界へ入るたびに小さな疲労感を残していた。
窓際の机へ頬杖をつきながら、ミシェルは術式紙の上へ新しい補助演算を書き加える。
星位固定。
外部干渉抑制。
広域循環補助。
紙の上を走る文字列は複雑だったが、思考そのものは静かだった。人と話す時みたいに相手の反応を読む必要がない。術式は、正しく積み上げれば正しく応える。その単純さが好きだった。
「……ん」
ペン先が止まる。
演算効率は上がっている。けれど魔力循環の位相が微妙に噛み合わない。あと一歩で完成しそうな時ほど、美しく崩れる。
ミシェルは小さく眉を寄せ、紙を光へ透かした。
「はぁぁぁぁ」
「また沼ってる」
窓辺では、ノアが長椅子へ身体を投げ出したまま欠伸をしている。
「その顔、三時間後も同じことしてるやつ」
「今、いいところ」
「五日前から聞いてる」
ミシェルは返事をせず、再び紙へ視線を落とした。
学院へ行く気になれない時ほど、研究へ没頭する時間が増える。半ば無意識だった。
星術式を組んでいる間は、余計なことを考えなくて済む。
森の外には、自分に必要ないものが揃っている。
期待。観察。比較。興味。
自分より優れているか、劣っているか。自分にとって有害か、無害か。利用価値があるか否か。権力的立ち位置。人は勝手にこちらへ意味を見出そうとする。
何を考えているのか。どこまで出来るのか。どうしてそんな力を持っているのか。
その視線に晒され続ける息苦しさを、ミシェルは嫌というほど知っていた。
この家は、その全てから距離を置ける。
森の外縁から家の周囲まで、幾重にも結界を張っている。
認識阻害。
空間偏位。
星脈攪乱。
侵入抑制。
人への感知は森の入口に張ってある結界で感知できるようになっている為、ここでは星獣や精霊の類まで想定した構造になっている。
人外ほど結界内に容易に入れない。本来、この森へ安易に踏み込める存在はほとんどいなかった。
例外がいるとすれば、ここで誇らしげに尾を振るフェンリル。
災厄級。星術文明以前から存在している古代種。結界の干渉を力任せに踏み越えられる側の存在だった。
ミシェルは小さく笑い、再び術式へ視線を落としかける。
その瞬間、空気が軋む、小さな違和感。
次の瞬間、森全体へ張り巡らせた結界が連鎖的に反応を始める。
ミシェルが顔を上げるとノアも同時に身体を起こしている。
「……なんだ」
窓枠へ指先を触れる。術式展開。透明だった結界構造が視界の奥で幾重にも浮かび上がる。
森の外縁部。
そこを、一人の人影が歩いていた。迷っていない。
第三層結界は方向感覚を狂わせる。
第二層では空間認識を歪め、
第一層へ近付く頃には、自分がどこを歩いているのかすら分からなくなる。
その人物は、舗装された道でも歩くみたいな足取りで森を進んでいた。
黒い外套。
鳥が鳴かない。
森が静まり返っている。
ミシェルは静かに目を細めた。
人間ではない。
それは結界反応を見た時点で分かっていた。
人間用術式ではなく、人外干渉層の方が強く軋んでいる。
精霊。
しかも、かなり古い。
第一層へ触れた瞬間、結界が大きく明滅した。
星脈固定術式が軋み、森全体の魔力循環が一瞬だけ逆流する。
「……高位精霊」
小さく呟く。ノアが低く唸った。
「学院長、何送り込んできてんだよ」
高位精霊。
山や湖、星脈そのものと結び付いて存在する自然側の上位存在。
本来、人間国家へ従属するようなものではない。それが真正面から結界を突破してきている。人影はそのまま森を抜け、家の前まで辿り着いた。
数分後。
玄関の扉が、規則正しく三度叩かれる。急かす気配のない音だった。
ただ、そこにいることだけを静かに告げるみたいに。
「最高位星術師、ミシェル・レイフィール様」
扉越しに聞こえた声は低く穏やかだった。男とも女とも判別しづらい、不思議な声音。ミシェルは短く息を吐き、扉を開ける。
外には、一人の青年が立っていた。感情の起伏が薄い銀色の瞳。
学院の紋章が刺繍された黒衣を纏っている。存在感はある。
それなのに、生き物特有の熱が希薄だった。
冬の夜へ沈む湖面みたいな静けさが、その人にはあった。
青年はわずかに一礼する。
「お初にお目にかかります。王立アルシェリア星術学院、学院長秘書官ロイドと申します」
高位精霊が秘書官。
学院長は何を飼ってるんだろう、とミシェルは思った。
ロイドは静かに続ける。
「お迎えに参りました」
声音は淡々としている。
まるで以前から決まっていた予定を確認するみたいだった。
ミシェルは相手を見つめたまま、小さく首を傾げる。
「帰ってもらうことって可能だったりしま」
「不可能です」
食い気味だった。
「事前に通知した通り、既に学院側の受け入れ準備は完了しています。偽名登録、経歴調整、寮の部屋の確保まで終了済みです」
「…左様でゴザイマスカ」
ミシェルは少しだけ視線を逸らす。
国側の手際の良さが少しだけ腹立たしかった。ここでロイドを消し、逃亡することも可能だが、その選択後に何が起こるかは想像せずともわかる。
どれほど自分の意と反しようともここでは命に従う他ない。ここで無駄に口を開くよりはなにも言わずに従い、護衛任務を終わらせてきた方が効率がいい。
視界の端では、瞬時に透明化したノアがロイドをじっと観察している。
ロイドの視線は、一度もノアへ向かず、気付いていない。
フェンリルは高位精霊よりさらに上位へ位置する災厄級存在だ。
知覚できる方がおかしい。
ミシェルは小さく息を吐き、静かな森を振り返る。
この結界を越えて来られる存在が学院の中枢にいる。
その事実だけで、学院生活への憂鬱とは別種の厄介ごとが始まった気がしていた。




