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きみが星をほどくまで  作者: さくらつむぎ


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3-3 近すぎる嘘

(3)嫉妬の温度

——嘘を貫き通すなら距離が遠い方がいい。


それはミシェルにも分かっていた。

学院生活は思ったより平穏だった。

授業を受ける。昼食を食べる。生徒会へ呼ばれる。帰って寝る。

最近はその繰り返しである。

問題があるとすれば、生徒会へ呼ばれる頻度が高すぎることくらいだった。


「マーガレット嬢」

「嫌です」

「まだ何も言ってないんだけど」


昼休み。

食堂で向かいへ座ったアレンに対する反応としては満点だった。

周囲から小さな笑い声が漏れる。

アレンも慣れたものだった。


「今日は仕事じゃないよ」

「本当ですか」

「信用ないなぁ」


信用実績がないのだから仕方ない。

ミシェルはスープを飲む。その横ではリリィが肩を震わせていた。


「ふふっ……」

「笑わないでよ」

「だって」


リリィは完全に面白がっている。

最近はこういう光景も珍しくなくなっている。

それが問題だった。

遠くの席から向けられる視線。

聞こえないふりをしている小声。

笑顔の裏側に隠れた感情。


ミシェルは気付いていたが興味がなかった。


目立ってるな…。出る杭は打たれる、それはどんな場合においても起こること。

視線くらいで人は死なない。悪口でも同じ。

ただ、目立つことにはそれ相応の代償が伴う。


その日の放課後。教室にはまだ数人の生徒が残っていた。

ミシェルは生徒会へ行く前に教材を鞄へしまっている。

ふと、後方から声が聞こえた。


「最近すごいよね」


「なにが?」

「マーガレットさん」


女子生徒たちの会話だった。

聞くつもりはなかったが、ただ耳に入った。


「殿下のお気に入りじゃない」

「生徒会にも入り浸ってるし」

「平民なのにね」


小さな笑い声。ミシェルは手を止めない。


…始まったか。別に珍しい話ではない。

父と同じ姓の頃もよく後ろ指を立てられたことがある。

あの時は自分のことだけではなく父のことも言われていたから精神的に辛かったが、

今回は自分のことだけなので特に何も気に留める必要性がなかった。

それよりも進んでいない演算式のことを考えていたかった。


「リリィさんも最近あの子と一緒にいるわよね」

「もったいないわ」

「本当に」


ミシェルの指先が少しだけ止まる。リリィの名前が出たからだ。

その瞬間、教室の扉が開いた。


「あら」


静かな声。

女子生徒たちが振り返る。そこにはリリィが立っていた。

数冊の本を抱えたまま。

そして、珍しく笑っていなかった。


「どうぞ続けて?」


教室の空気が止まる。

リリィはゆっくり首を傾げた。


「どうして止めるの?」


誰も答えない。

リリィは困ったように微笑んでいたが、目だけは笑っていなかった。


「私も聞いてみたいな」


空気が少し冷える。

ミシェルは本を閉じ、リリィのところへ行き、手を握った。


たぶん、このまま聞いてはいけない。そんな予感だけがあった。

リリィと教室を出ると、リリィはいつもの表情に戻っていた。

階段で別れ、不本意にも少し慣れてきてしまった足取りで生徒会室へ向かう。


生徒会室を出た頃には、外はすっかり夕暮れだった。

窓から差し込む赤い光が廊下を長く染めている。

今日の仕事も終わった。


最近、生徒会室にいる時間が長い。リリィに待っててもらうのも悪いので、最近は先に帰ってもらっている。

そもそも何故こうも毎日生徒会役員でもないのに生徒会室に顔を出す羽目になっているのだろうか。

それほどまでにアレン殿下は逃げ道を塞いでいくのが上手い。あの口の上手さは見習った方がいい。

当たり前になってきたが研究は進まない。もちろん術式も途中のままだ。

帰ったら今日こそ続きをやろう、そう考えながら階段へ足を向ける。


人気はまばらだった。

部活動帰りの生徒たちが時折すれ違う程度で、校舎の中は静かだ。

ミシェルは手すりに触れながら階段を下りる。

その時、突然背中に軽い衝撃が走る。強くはないが、階段では十分だった。

身体が前へ傾く。視界がぐらりと揺れた。落ちる。


どうしたら怪しまれずに大怪我をしないか。


そう認識した瞬間には、もう身体が動いていた。

足元で極小の術式が展開される。誰にも見えないほど小さく。

誰にも気付かれないほど一瞬で。

重心をずらす。落下角度を変える。受け身を取る。大怪我は避けられる。


油断していた。自分に敵意が向いていることを理解していたのに。自分が怪我するぐらいならまあ、いいか。殿下になんて言い訳しよう。その前にクロムか。怪我でもして帰った日には、犯人の生徒を——

まずいな。どうしよう。怪我しない方向で術式を…とりあえず誰にも気づかれない程度に…いや、最悪治癒星術で治して…


その計算が終わるより早く、視界の端で誰かが動いた。

腕が伸びる。次の瞬間、身体が引き寄せられた。

衝撃が消える。

代わりに感じたのは制服越しの硬い感触だった。


「……」


ミシェルは瞬きをする。目の前にいたのはセシルだった。

彼は片腕でミシェルを支えたまま、上の階段を見上げている。

視線は鋭い。

だがその腕は驚くほど安定していた。


「怪我は」


第一声はそれだった。

ミシェルは状況を確認する。打撲もない。問題ない。


「ありません」

「立てるか」

「はい」


セシルは確認するとすぐに手を離した。

必要以上に触れない。

それが彼らしかった。

ミシェルも制服の裾を整えながら階段の上を見る。

数人の生徒が立っていて、こちらを見下ろしているが、誰がぶつかったのかは分からない。

分からなくても別に困らない。


「何があった」


セシルの声が響く。

沈黙。

誰も答えない。


ここで騒げば大事になってしまう。事情聴取。報告。調査。生徒会。

増える仕事。それだけは避けたい。


「私が踏み外しました」


即答だった。

階段の上の空気がわずかに緩むが、セシルだけは無言だった。

数秒。その沈黙だけが妙に重い。


「そうか」


短く答える。それ以上は追及しない。

ミシェルは内心で安堵した。


…助かった。これで終わりだ。


セシルの目はいまだに鋭いまま階段の上に残る生徒たちや落下位置を捉えていた。

セシルにとって何よりも不可解なのは、咄嗟に落下する人間とは思えないほど冷静だった少女だ。全てが噛み合わない。


「……」


セシルは何も言わない。ただ静かに視線を上げる。

副会長としてではなく、生まれつき疑うことを知っている人間として。

一つだけ確かなことがあった。


レディマーガレットは嘘をついた。

だが、その嘘は自分を庇うための嘘には見えない。

誰かを守るためか、あるいは、騒ぎを嫌っただけか。

まだ判断材料は足りない。


セシルは視線を伏せる。


——確認する必要がある。


夕陽は静かに沈み始めていた。


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