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きみが星をほどくまで  作者: さくらつむぎ


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22/22

3-4 近すぎる嘘

(4)守られる

寮へ戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。

学院の夜は静かだ。

昼間の喧騒が嘘のように消え、廊下には自分の足音だけが響く。

ミシェルは小さく欠伸をした。


今日はなんだか疲れた…。


生徒会。階段からの落下未遂。

どれもこれも研究とは関係がない。

今日こそ術式の続きを…いや、もう少し寝てからでもいい気がしてきた。


そんなことを考えながら部屋の扉を開く。


「おかえりなさいませ」


聞き慣れた声と共に。クロムが床に片膝をついていた。


「……」


ミシェルは扉を閉めそうになった。

黒髪の悪魔は完璧な姿勢で跪いている。

険しい目つきをしているのに、本人は穏やかな表情をしているつもりなのだろう。


「駄目だね」


クロムが顔を上げた。


「まだ何も」

「駄目」

「ですが」

「駄目」


クロムは静かに口を閉じる。ノアは笑い転げている。


「ちゃんと聞いてやれよ」


笑いながら言うノアに説得力は皆無だ。


「ノアも止めてあげなよ」


最近かなり分かるようになってきた。クロムは感情があまり顔に出ない。

出ないだけで存在しないわけではない。なぜか私のことになるとかなり危険な思想にいきやすい。

今のクロムは完全に、“犯人を消しに行く許可”を取りに来ていた。


「人を殺めるのは禁止」

「ですが」

「禁止」

「二度と同じことを」

「最初の約束守れないなら契約解除するけど」


クロムが黙る。ノアが肩を震わせていた。


「お前も学習しろよ」

「ですが、主人様への危害は」

「駄目」

「……はい」


悪魔が肩を落とし、しょんぼりしていた。

どうしてなのだろう。普通、悪魔はもっと恐ろしい生き物だった気がする。

ミシェルは考えるのをやめた。


「それより」


鞄を置く。


「お腹すいた」


その瞬間、クロムの空気が変わった。


「ございます」


妙に誇らしげだ。最近一段と料理の腕をあげている為、ミシェルも少し楽しみだった。

テーブルへ向かう。

並べられている料理を見る。

スープ。パン。鶏肉の香草焼き。野菜の煮込み。

見た目からして以前より格段に良い。


ミシェルは椅子へ座る。

とりあえずスープを飲む。

一口。

二口目を飲んだ。


沈黙。

ミシェルはもう一口飲んだ。


「うん、おいしい」


部屋が静かになり、クロムが完全に停止する。


「……」

「?」


ミシェルは首を傾げる。


「また腕をあげたね、クロム」


塩加減も良い。火加減も良い。野菜も柔らかい。

少なくとも最初の頃の惨状とは比較にならない。


「これからも頼むよ」


クロムが固まったまま動かない。

数秒。十数秒。


「……っ」


胸元を押さえた。


「クロム?」

「大丈夫です」


全然大丈夫そうではなかった。

顔色一つ変わっていないのに、なぜか今にも倒れそうだった。


「主人様からお褒めの言葉をいただけるなど」

「大袈裟」

「大袈裟ではありません」


即答だった。

ノアはいつものことか、と完全に呆れている。


「こいつが悪魔だってことたまに忘れそうになるわ」

「確かに」


ノアの意見に思わず笑ってしまう。


「でしたら翼を戻しま」


「「要らない」」


窓の外では夜が深まっていく。

今だけは、この部屋だけは不思議なほど穏やかだった。

ミシェルは温かいスープを飲みながら思う。


やっぱりご飯は美味しい方がいい。


その感想に、クロムがまた幸せそうな顔をしていたことには最後まで気付かなかった。


放課後の生徒会室は静かだった。

窓の外では夕陽が沈みかけている。

セシル・アークライトは、人の言葉をそのまま鵜呑みにしない。

故意であれ無意識であれ、人は見たものを都合よく解釈する。そこへ感情が加われば尚更だということを経験し学んできた。

現場を確認し、記録、その場にいた生徒たちの証言との整合性の確認、結論はその後だ。


役員たちはすでに帰り、室内には紙を捲る音だけが残っていた。

机上に並ぶ数枚の資料へ視線を落とす。

内容は単純だ。階段での転落事故。報告上は、それで処理されている。

被害者はメイ・マーガレット。

原因は本人の踏み外し。たったその記載のみ。

セシルは資料を閉じる。

セシルのこれまでの経験から、あれは事故ではないと直感が言っていた。

ただ証拠があるわけではなく、事故として成立しない違和感が残っている。

脳裏に夕暮れの階段が浮かぶ。身体が前へ傾いた瞬間、落下しかけた少女。

そして、その直後、彼女は妙に冷静だった。

恐怖がなかったわけではないだろうが、一般的な反応が違う。


落下する人間の反応ではなく、慌てるより先に、何かを計算していたように見えた。

思考の優先順位が異様で、普通ではない。


「……」


セシルは椅子の背へ身を預ける。

窓から差し込む赤い光が資料の端を照らしていた。

もっとも気になるのはそこではない。


——「私が踏み外しました」


彼女の発言は完全に迷いのない返答だった。あの真っ直ぐな瞳、仕草、発言をする前の表情からして、覚悟を持った言葉の厚みがあった。まるでこれ以上何もしないでくれというような圧力。


セシルは小さく息を吐いた。


推測ばかりが増えていく、好ましくない状態だった。推測では判断できないからだ。

机上の別資料へ手を伸ばす。階段付近にいた生徒の一覧。

部活動の終了時刻。目撃証言。まだ断定には足りないが、偶然にしては重なり過ぎている名前がいくつかあった。

殿下との距離、生徒会への出入り、平民という地位、噂の発生源。

点と点は少しずつ線に繋がりかけている。


くだらない。人が誰かを害する理由としては、あまりにも——


しかし現実は往々にしてその程度なのだ。

窓の外では最後の陽光が消えかけていた。

静まり返った生徒会室の中で、セシルは一枚の資料を閉じる。

思い出すのは、夕暮れの階段で抱き留めた少女だった。

隠し事が下手だ。

本人は上手く誤魔化したつもりなのだろう。少なくとも、自分にはそう見えた。


「メイ・マーガレット」


誰もいない室内へ声が落ちる。


「君は一体何を隠しているんだ」


問いに答える者はいない。

それでもセシルは視線を落とす。

真実は、言葉より先に痕跡へ現れる。

彼はそれを知っていた。


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