3-2 近すぎる嘘
(2)居場所の輪郭
放課後の生徒会室はいつも静かだ。窓の外では西日が校舎の壁を赤く染めていて、机の上には書類の山。
そして、その山に埋もれそうになりながら黙々と紙を捲る少女が一人。
メイ・マーガレット。
最近では誰もその光景に違和感を覚えなくなっていた。
最初は転入生がなぜ生徒会室にいるのか、なぜ殿下自ら連れてきたのかという疑問の視線が少なからず存在した。
だが人間は慣れる生き物だ。
毎日見ていれば、それが当たり前になる。
今では書類の山の向こうにメイの姿があることの方が自然になっていた。
本人だけが納得していないだけ。
「……」
入学関連書類。予算申請。備品管理表。行事計画書。
学院という組織は、驚くほど紙を消費する。
生徒たちは星術を学ぶ。教師たちは研究を行う。
それらを支えているのは大量の事務処理だ。
ミシェルは無言で書類を捌いていく。
その時、指先が止まる。一枚の申請書。
提出日は問題なく、記載内容も正しい。
数字も合っている。
「……」
確かに引っ掛かる。違和感だ。
ミシェルは前月の資料を引き出す。
さらにその先々月分。別の担当者の書類。数枚を並べる。
数秒。
答えは出た。提出者の癖だった。
使用するインク量。数字の書き方。修正跡。
本人も気付いていない程度の筆記習慣。
それが途中から変わっている。
「副会長」
向かい側の席で書類を確認していたセシルが顔を上げる。
「何だ」
「この申請書、代理記入です」
沈黙。
近くにいた役員たちも顔を上げ、セシルが書類を受け取る。
視線が紙面を走る。
数秒後。
眉が僅かに動いた。
「……なぜ分かった」
やはり来た。セシルはこういう人だった。疑う。正確には確認する。感覚では納得せず、根拠を求める。だから副会長が務まるのだろう。
「筆跡です」
「筆跡?」
「途中から文字の癖が変わっています」
セシルがもう一度資料を見る。
他の役員も覗き込む。
しばらくして、一人が小さく声を上げた。
「あ、本当ですね」
周囲がざわつく。
セシルは黙っていたが、書類を机へ置く。
「こっちで確認する。ありがとう」
それだけだった。否定も肯定もないけど、以前よりは少しだけ反応が柔らかい気がした。
気のせいかもしれない。いや、気のせいだ。
ミシェルはそう結論付けた。
その後も作業は続き、夕陽がさらに傾く。
役員たちが一人、また一人と帰っていく。
やがて今日の仕事も終わった。
「お疲れ様です」
ミシェルが立ち上がる。
「今日も助かったよ」
アレンが笑う。
「そうですか」
「そうだよ」
「なら休暇がほしいです」
一瞬静まり返る。
次の瞬間。
アレンは吹き出すが、セシルは書類を片付けながら小さくため息を吐いた。
「大丈夫。明日と明後日は休みだよ」
「知ってます」
「念願のお休みは何をするのかな?」
研究…とは言えない。
「寝ます」
「ふふ、そっかぁ、いい夢が見られるといいねぇ」
アレン殿下はまるで小さい子供に話すように楽しそうにしている。完全に人を馬鹿にしている。
生徒会室を出た頃には、空はすっかり茜色へ染まっていた。
廊下の先では部活を終えて私を待っていたリリィが手を振る。
「終わった?」
「うん、終わったよ」
「今日も?」
「今日も」
リリィがくすくす笑う。
二人で並んで歩き始める。
窓から差し込む夕陽が長い影を作っていた。
「ねえ、メイちゃん」
「なに」
「最近楽しそうだね」
ミシェルは足を止めそうになった。
「そうかな」
「そうだよ」
即答だった。
リリィは少し考えるように天井を見る。
「最初の頃はね」
「うん」
「ずっと帰りたそうだったもの」
「……」
図星だった。
本人は隠していたつもりだった。
だがリリィには見えていたらしい。
「今も帰りたいけど」
「ふふっ」
なぜ笑うのだろう。理解できない。
「本当だよ」
「うん」
「本当に」
「うん」
全然信じていない返事だった。
しばらく沈黙が続く。階段を降りる。
夕陽が廊下を赤く染める。
穏やかな時間だった。
やがて寮への分かれ道へ着く。
「じゃあまた月曜日に」
「また」
リリィは笑って手を振る。
その姿が見えなくなるまで、なぜか視線が残った。
部屋へ戻る。
窓辺にはノア。部屋の中にはクロム。
最近放課後になるとノアは私よりも先に寮に帰ってしまう。クロムと何かしているのかと思ったがそうではないらしい。
ただ2人が同じ空間にいることは日常になった光景だった。
「おかえりなさいませ」
「遅かったな」
「うん、疲れた」
ミシェルは鞄を机へ置く。
眠い。仕事は多い。研究は進まない。
毎月提出している報告書だが、いつもは星術について書いていたので楽だった。
でも今月から何を書けばいいのかわからない。
生徒会は面倒で王子はもっと面倒。帰りたい。毎日本当にそう思っている。
そう報告書に書くと流石に怒られるだろう…。
そうだ、刺客もかなり減ったし、護衛任期終了にしてもらえないか頼もうかな、
そう思ったが、ふと今日の帰り道を思い出す。隣を歩くリリィ。他愛のない会話。
夕暮れの廊下。不思議なことだった。
もし明日、その隣にリリィがいなかったら。
昼休みに話しかけられなかったら。
このまま山奥に帰ったら、少し寂しいかもしれない。
そんな考えが浮かんだ瞬間。
ミシェルは無言で首を振った。
気のせいかな、きっと疲れているんだ。




