2-2 見えない手
(2)生徒会室
生徒会室は静かだった。
窓の外では夕陽が傾き始めている。
橙色の光が長く床を這い、机の上へ積まれた書類の山に影を落としていた。
紙を捲る音。
羽ペンの走る音。
それ以外はほとんど聞こえない。
ミシェルは黙々と書類を仕分けていた。
入学申請。予算申請。施設利用届。部活動報告。
内容ごとに分類し、確認済みのものを積み上げていく。
眠い。とても眠い…が、殿下がいる手前あくびができない。
眠気と作業は別の話だ。単純作業は嫌いじゃない。
頭の片隅だけで処理できる仕事は、今の状態には都合が良かった。
気付けば机の上の山は半分以下になっていた。
周囲の生徒たちも、最初こそ転入生へ視線を向けていたが、今ではそれぞれの仕事へ戻っている。
ふと、指先が止まる。学院設備維持費報告書。何気なく視線を滑らせたはずだった。
何かが引っ掛かる。計算は合っていて、記載漏れもないが違和感がある。
どこにも間違いは見当たらない。もう一度最初から読み直してみるか。
次に先月分を取り出す。
さらに前年同期。
もう一枚。
もう一枚。
紙が机の上へ静かに広がっていく。数字は整然と並んでいた。
あまりにも綺麗だった。
「……」
数字は人間より正直だ。少なくとも感情では嘘をつかない。
数字を並べる人間は嘘をつく。だから見るべきなのは数字そのものではない。数字が描く癖だ。人には筆跡がある。数字にも同じものがある。
この筆跡…
ノアがついている教師と同じ数字の書き方だ。
この"7"の独特な書き方。
あの教師がここで勤め始めたのはいつだ。改ざんされたのはいつから?生徒会との関わりは?彼の味方はここにいるのか?
私が知らないだけで他にこの似た筆跡の持ち主がいるのかもしれない。まだ断定はできない。ノアが何か掴めているといいけど…。
予算には揺らぎが生まれる。消耗品には偏りが出る。予定外の出費も起こる。
波がある。乱れがある。生き物のように。
この書類にはそれがなかった。まるで湖面だった。
風ひとつ吹いていない日の不自然なほど静かな水面。
綺麗すぎる。
ミシェルは数枚を抜き出し別の束を作る。
「何か見つけた?」
声が降ってきた。顔を上げる。
アレンだった。
いつの間に近付いていたのか分からない。相変わらず気配が薄い。
「まだ断定はできません」
ミシェルは書類を差し出した。アレンが受け取る。
近くにいた副会長も興味を持ったらしく席を立った。
「何だ」
「違和感です」
副会長が首を傾げる。
「違和感?」
ミシェルは少し考えた。言葉へ変換する。感覚だけで話しても伝わらない。
「この数字、綺麗すぎるんです」
「綺麗?」
「はい」
ミシェルは紙面を指差した。
「帳簿というのは本来もっと乱れます。人が関わる以上、誤差が生まれるので」
副会長は書類へ視線を落とす。
「数字は全部合っているが」
「合っています」
「なら問題ないだろう」
「それが問題です」
副会長の眉が僅かに動く。
ミシェルは続けた。
「例えば庭園を見た時、草木が綺麗に整えられていたら管理が行き届いていると思います。ですが、森の木が一本残らず同じ高さだったらどう思いますか」
「……気味が悪いな」
「そういうことです」
副会長が黙る。
アレンは楽しそうに聞いていた。
「数字が自然に揃ったのではなく、揃えられたように見えます。帳尻を合わせた形跡があります。額は一つ一つ小さいですが、この小さな額の積み重ねが何年も続けば話は変わります」
室内が静かになった。
先ほどまで書類を書いていた生徒たちも手を止めている。副会長は再び紙面へ目を落とした。
今度は真剣な顔だった。
「……なるほど」
小さく呟く。アレンは書類を閉じた。
「面白いね」
「そうでしょうか」
「うん」
青い瞳が真っ直ぐ向けられる。
「僕は三年間見落としていた。それにこの筆跡、見覚えがあるな…」
殿下は筆跡だけで人物を結び付けたのか。やはり観察眼が鋭い。
下手な動きをすれば私もすぐに殿下から怪しまれるだろう。
昨日の夕方の一件のように殿下に無茶をされると困る。私の術式が届く範囲に居続けてもらわないと間に合わなかったでは、話にならない。
王の命は確実に守る。そして自分の力も制御する。
これが大前提で変えることはできない。
問題は、もしあの男が本当に黒だった場合だ。制御した力で、殿下にバレずに拘束することができるのだろうか。
「皆さんお忙しいですし、私はたまたま暇だったから気付いただけです」
数秒の沈黙。
次の瞬間、副会長が吹き出し、アレンも肩を震わせる。
「それは謙遜になっていないよ、マーガレット嬢」
「?」
何がおかしいのだろう。ミシェルには分からなかった。
ただ一つ分かるのは、どうやら生徒会の仕事は、まだ終わりそうになかった。今夜の睡眠も、どうやらまた遠ざかったらしい。




