1-11 孤立と転入
(11)寝不足
朝の日差しは容赦がなかった。
高い窓から差し込む光が机の上へ白く広がり、黒板へ書かれた術式を鮮明に照らしている。
教師の声もよく通っていたし、内容も悪くない。むしろ面白い部類だ。
術式構築における位相固定理論。古典式を現代式へ応用する際の座標補正。
普段のミシェルなら喜んで聞く話だった。
――眠くなければ。
「……」
ペン先が止まる。
危ない。一瞬意識が落ちかけた。
昨夜どころか今朝まで結界を維持し続けていたんだから眠いのは当然だった。むしろ今座っている自分を褒めたい。
星盤は部屋から持ち出していない為、この状況では自分で維持する他なかった。
他の手を考えなければ…ああ、駄目だ。眠気が強すぎて思考回路が停止している。
…帰りたい。
隣の席から視線を感じる。
「メイちゃん?」
「大丈夫?」
「……大丈夫」
「全然大丈夫そうじゃない」
「大丈夫」
ミシェルは諦めて視線を前へ戻す。
眠い。本当に眠い。昨夜の敵意の数を思い出すだけで頭が痛い。
王子一人を守る任務と聞いていたのに、蓋を開けてみれば、生徒による未遂が複数件。
さらに外部からの侵入も重なる。あれはどう考えても素人の動きではなかった。学院の結界構造も把握していた。侵入地点の選び方も慣れていた。
まるで――
「そこまで」
教師の声で思考が途切れる。教壇へ立つ中年の教師が教科書を閉じた。
「では誰か…」
教室へ緊張が走る。教師は視線を巡らせ、目が合う。
「マーガレット嬢」
ミシェルは静かに立ち上がる。
眠いが、興味という力でギリギリ授業の内容は頭に入っている。
質問内容を整理し、途中式を省きながら答える。
教室が静かになり、教師が一瞬だけ目を見開いた。
「……正解」
座ると隣のリリィが横で感心した顔をしていた。
「眠そうなのにすごいね」
「一応聞いてたからね」
そんなやり取りをしているうちに授業終了の鐘が鳴る。
生徒たちが立ち上がり始めた。
ざわめき。椅子を引く音。次の授業へ向かう準備。
その中で、ミシェルはふと視線を止めた。
教師だ。教壇の上で書類を整理している。
ただ、それだけ。
今朝、ロイドは昨日の犯人は処分されたと言っていた。主犯格はまだいるということだ。
ミシェル「……」
妙な違和感が残った。
何だろう…昨夜から続く感覚、記憶のどこかへ引っかかっている。
教師は何も不自然なことをしていないし、この学院でも評判の良い人物らしい。
昨夜、外部侵入者が選んだルート。学院西側。使用頻度の低い裏門付近。
あそこは偶然見つけられる場所ではない。
結界構造を知らなければ選べない。
学院内部の情報が漏れている。それだけは間違いない。
術式を組み込んだあの紙をこの教師に? いや、すぐにバレるだろう。第二王子よりも星力値が上だ。他の方法…
『俺がこいつ見張ればいいだろ』
『ノア!』
『相手は最高位ではないものの手練れだから無理しないように』
『余裕』
『捕食もだめ』
『その代わり晩飯は肉な』
『…それはいつものことじゃん。今朝ロイドさんが運んできた朝食でさえ肉だったでしょ』
「メイちゃん?」
リリィが首を傾げる。
昨夜から何度も感じている。学院の中にいる。生徒ではない。
やはりさっきの教師が…?
教師が教室を後にするとノアもその後をついて行った。
窓の外では、昼へ向かう陽光が中庭を照らし、平和を象徴するような学院の景色。
ミシェルには、それが薄い幕のように見えた。
不本意だが、第二王子と早急に接触したほうが良さそうだな…。
でなければこの不眠生活が続いてしまう。元凶を探るなら、どう考えてもあの男の周辺を見た方が早い。
この状況は効率が悪い。毎晩対応するより、原因を潰した方が早い。こんな生活が続くと護衛対象の王子も危ない。
私は一体、いつになれば、あの術式を解けるのだろうか…。
その後他の授業を受け、昼休みになった。
昼休みは思ったより平和だった。少なくとも表面上は。
食堂に集まった生徒たちは、それぞれの友人たちと昼食を囲み、貴族らしい優雅さと年相応の賑やかさを同居させている。
その喧騒から少し離れた席で、ミシェルは黙々と昼食を口へ運んでいた。目の前ではリリィが何やら話をしながら食事をしていた。
ミシェルの視線は皿には落ちるが、意識は別だった。
学院全体へ散らした感知式。外周結界。術式の紙。
第二皇子を中心に意識を向ける。
食堂の奥。窓際の席。
アレン・ヴァルシエルは数人の生徒たちに囲まれながら穏やかに会話していた。
昨晩のことがありながらも殿下の様子は全然変わらない。
誰もが自然に彼の周囲へ集まるが、敵意もまた、同じくらい集まっている。
幸い大きな異常もない。敵意はいくつか検知したが、昨夜に比べれば可愛いものだ。
殿下の食事に毒を盛ろうとした馬鹿者も中にはいたが未遂で済ませた。
授業を終え、ミシェルは学院書庫へ向かった。
学院中央棟の奥。幾重もの書架が並ぶ静かな空間。
高い天井まで届く本棚。古い羊皮紙の匂い。紙を捲る微かな音。
ようやく落ち着ける場所を見つけた気がした。
学院の歴史。設計図。結界構造。過去の記録。
内部事情を知るには最適だった。
本を数冊抱え、窓際の席へ腰を下ろす。
調べるべきことは山ほどある。
この国内における政治のこと。
第一王子派。そして学院内部の協力者。
…だめだ、眠い。
文章を読むと何故こんなにも眠気が襲ってくるのだろうか。いや、昨晩のせいか。
文字はギリギリ読め、内容もなんとか理解できる。思考も正常だ。
瞼だけが重かった。
一行読む。
二行読む。
ページを捲る。
そこで意識が途切れた。




