1-10 孤立と転入
(10)長い夜
外周林の影へ、三つ。気配があった。
呼吸を殺し、星力波長を抑え、結界へ干渉している。
刺客。
ミシェルの表情から感情が抜け落ちる。
なるほど。ここまでやるか…。学院内部の敵意だけじゃない。それだけ第二皇子という存在が、“邪魔”なのか。
人間同士、それも王族内同士での争いほど醜いものはない。
ミシェルは近くの校舎の影に隠れ、指先で空中へ術式を書いた。
淡い光が線となって広がる。
複雑な多重構築。だが速度は異常なほど速い。
空間位相を半転。結界座標をずらす。
侵入者たちが踏み込んだ瞬間、景色が反転した。
「――っ!?」
林の向こうで、一人が息を呑む。
侵入したはずの学院が、どこにもない。
歩いている。
進んでいる。
それなのに距離が縮まらない。
空間認識を迷路化されたのだ。
「術者がいるぞ」
低い声。
ミシェルは無言のまま、更に術式を重ねる。
探査阻害。感知逆流。座標欺瞞。
侵入者側の感知式へ、わざと“学院内部に高位宮廷術師が常駐している”ような痕跡を流し込む。
相手が一瞬止まった。
迷い。警戒。撤退判断。
経験がある人間ほど、“見えない強者”を恐れる。
これで引いてくれればいいけど。
「……引くぞ」
短い声と共に、気配が離れていく。
完全に消えるまで確認し、ミシェルはようやく星力を切った。
静寂が戻る。
途端、全身から力が抜けた。
「お疲れさん」
ノアが苦笑する。
「初日からこれとかこれから先が思いやられるな」
「……本当に」
ミシェルは重い足取りで部屋に戻り、椅子へ座り直し、深く息を吐いた。
視線の先には、未完成の術式。
解きたかった演算式。でももう頭が回らない。
結局その夜、結界は何度も揺れた。学院内部の敵意。第一王子派の生徒。外部からの探査。監視。干渉。未遂。
夜が深くなるほど、敵意だけが増えていく。
そしてミシェルは、その全てを一人で処理し続けた。
誰にも知られないまま、誰にも気付かれないまま対応し、空が白み始めた頃には、窓の外で鳥が鳴いていた。
結局、一睡もしていない。もはや王子と常に行動していた方がいいのでは…。
そんな本末転倒なことを考え始めた頃。
窓の外では、鳥が朝を告げていた。
「今までどうやって過ごしてたんだ、あいつ…」
「普段つけてる護衛はどこに…」
――この学院の夜は、想像よりもはるかに長い。
「お前、今日普通に授業あるんだよな」
「……最悪」
ノアが吹き出す。
「転校2日目で遅刻は目立つよね」
大きく息を吐くミシェル。
「…寝たい」
扉のノック音が突然鳴る。
ノアは瞬時に透明になった。
「…はい」
「メイ様、お食事をお持ちいたしました」
扉を開けると学院長の秘書のロイドが立っていた。
疲労で追い払う元気はなかったので中に迎え入れて話を聞くことにした。
「昨晩はお務めご苦労様でした」
ご苦労様って…。
「私も駆けつけてはいたのですが、お見事でした」
…来てたなら手伝えよ。
「こちら学院長様からのお礼ということでお持ち致しました」
高価なダイニングテーブルの上に豪華な食卓が並んでいく。
そうか、そういうことだったのか。
「…ご飯より睡眠が欲しいです」
「昨晩のメイ様のご活躍により犯人を捕まえ先ほど学院長様が処分されましたので、今晩は数は減るかと」
…減るって、まだいるんかい。原因となっている主犯格を捕まえない限り、トカゲの尻尾切りと同じか。
出された食事を無碍にするのも気が引けたので、食べることにした。
「こちら、ありがたくいただきます。終えたらどちらに持っていけばいいですか」
「部屋の前に置いておいて頂ければ後で下げておきます」
「ありがとうございます」
ロイドは一礼して部屋を出て行った。
「美味そー」
「……昨日は、試されてたってことね」
「ん?」
「ロイドさん、完全に気配を消してた」
ミシェルは食事へ視線を落とす。
「……次は別の術式に変えよう。高位精霊でも星力感知から逃げられないようにする」
「いいから先食おうぜ」
「「いただきます」」
学院が、また“朝”へ戻っていく。
昨夜の殺意も陰謀も何も知らないみたいに、生徒たちは今日も笑いながら廊下を歩くのだろう。
食事を終えたミシェルは重い身体で立ち上がり、制服へ袖を通した。
鏡の前で、一度だけ表情を作る。目の下の疲労を隠す。呼吸を整える。視線を柔らかくする。“メイ・マーガレット”を被る。
完璧ではないが、壊れるわけにはいかなかった。
寮を出た瞬間。
「メイちゃん! おはよー!」
あまりにも平和な声が飛んできた。
リリィだ。朝の光の中で、何も知らないみたいに笑っている。
ミシェルは一瞬だけ目を閉じ、それからいつもの曖昧な笑みを浮かべた。
「……おはよう」
その声は、自分でも驚くほど普通だった。
ーー殿下はちゃんと休めているのだろうか、




