嵐の庭
クリスは、散らばった花びらを集めながら、大きくため息をついた。
大分片付いたとはいえ、温室はまだ酷い有り様だった。
鉢植えは壊され、そこらじゅうに花びらは散乱し、汚い地面の一部になってしまっている。
枝が折れてしまったものも多く、庭師たちは忙しく、あちこちで作業している。
クリスが育てていた茘枝も例外ではなく、幾つかの鉢は割れて、速急な植え替えを必要とする状態だった。
(ちゃんと…根付いてくれればいいけど…)
あまり、植え替えを好む植物では無さそうなだけに、不安は付きまとう。
それが顔に出ていたのか。
とんとん。
肩を叩かれて、振り返る。
そこには、心配そうな梔子の姿があった。
そのままゆっくりと、指を動かしてくれる。
最近覚えた、手話という会話法。
[大丈夫?]
クリスはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。植え替えも試してみたかったから。これでいいデータがとれたと、思うことにする」
クリスの前向きな言葉に、ようやく梔子の顔にも微笑みが浮かぶ。
春の日差しのように柔らかい微笑み。
(可愛いなぁ…)
思わず手が延びて、その艶やかな黒髪を撫でてしまう。
一瞬、びくっと跳ねる梔子だが、すぐに力を抜いて、為すがままだ。
(妹がいたら…こんな感じかな)
なんだか、姉が自分を可愛がる気持ちがわかる気がして、複雑だ。
姉がいつまでも子供扱いをするのが、嫌だったのに、妹が(脳内で)出来たらやはり、姉のように子供扱いをしてしまっている訳で。
(でも、可愛いんだもの…!)
小柄な梔子に、円らな黒い瞳で じっと見つめられると、その小動物的な可愛さに思わずぎゅっと抱き締めたくなってしまうのだ。
男性恐怖症の彼女には、酷なこととは分かっているので、ガマンなのだが。
もともと、小動物好きなクリスには、なかなか辛い状況ではあった。
そんな兄?の煩悶をしらず、仮想妹はふわふわと微笑んで、茘枝たちの鉢替えを手伝ってくれる。
健気で働き者なのだ。
(もう…美徳しかないよね、この妹!)
完全に兄馬鹿と化している、クリスの背中に。
「…て、手伝ってもいいか?」
少し高音の、男というよりは少年の声に、クリスは振り返った。
そこにいたのは、すっかり見慣れた、護衛の制服を纏った少年騎士。
亜麻色の髪に、琥珀の瞳の組み合わせに、クリスは微笑んだ。
「あぁ、貴方でしたか。先日は、綺麗なものを見せていただきまして、ありがとうございました」
立ち上がって、礼をする。
すると、傍らの梔子も真似してピョコンと、頭を下げる。
(可愛いなぁ~!)
後をついてくるひよこのような素直さだ。
(こんな美少女に可愛いと悶絶しない男がいるだろうか?!)
いや、いないだろう。
そこまで、考えてクリスはハッとして、目の前の少年に目を向ける。
(あ、手遅れだった…!!)
彼の白い頬が、林檎のように赤く色づいているのをみて、クリスは確信する。
(…一目惚れしたんだ…!)
「…い、いや!あのくらいどうってことないし!」
(その証拠に、話す言葉はしどろもどろだし…間違いない)
少年にとっては不幸なことに、それまでの出会いは夜であり、クリスは自分に赤面する彼には一切気づいてなかった。
そして、クリスは二回の邂逅ともに、少年以上に感心を引くものがあり、少年の口調にも話にも意識が行ってなかったのである。
こうして、少年は狙っていない彼の仮想妹に惚れる馬の骨、という認定を、知らずにされていた。
結果。
知らない男に怯えて、知らず身を寄せてくる最愛の妹を背中に庇いつつ。
クリスは満面の笑みでこう言った。
「スミマセン、間に合ってますから!」
しょんぼりと去っていく少年に、わずかばかり同情をしたものの、クリスは心を鬼にして声をかけることを止める。
そのとき、ツンと腕を引かれてクリスは梔子を振り返る。
[あの人元気ない。クリス断ったから]
梔子の手話の内容にクリスは微笑む。
小刻みに震えながらも、相手を気遣える妹が、誇らしかった。
そして、自分への好意にはとことん鈍感な妹がいとおしかった。
(あー、可愛いなぁ、もう!)
再び、でれーっとしてしまう仮想兄なのであった。
そんな調子だから、困ったなぁというように、眉毛を下げる梔子には気づいていなかった。
往々にして、年少者は年長者が思うほど、子供というわけではないのである。
不届きものを退けたクリスは、梔子と仲良く温室の片付けをすませ、鼻唄まじりに道具を片付けにいくところで、困難にぶつかっていた。
早い話が、迷子になりかけていた。
(しまった…梔子についてきてもらえば良かった!!)
もう大分慣れたから、と変に兄貴ぶったばかりに、追い込まれた苦境にクリスは頭を抱えた。
(仕方ない…手近な建物の、なかにいる人にきこう)
そうしてようやくたどり着いたのは、どうやらバンケットルームらしい、華やかな空間だった。
バンケットルームも、嵐の被害で窓ガラスが割れたらしく、たしか何人か働いていたはずだった。
恥を忍んで?、割れた窓ガラスからひょいっと中を覗いて、クリスは首を傾げる。
沢山いるはずの、使用人の姿はなく、なかはがらんとしている。
床の四散した窓ガラスは片付き、綺麗になっているから片付けは済んで帰ったのか。
しかし、窓ガラスは新しいものが届いているのに、嵌められておらず、それをはめる使用人の姿もない。
そして、何気なく頭上を見上げて、クリスは待望の人影を発見した。
(あれ…?何してるのかな?)
クリスは思わず、首を捻る。
出入りの業者とおぼしき男が張り付いているのは、無傷のはずのシャンデリアだったから。
専用と思われる梯子まで使って、子細にそれを改める姿は、何処と無く鬼気迫っていて、クリスは声をかけることを躊躇う。
(どうしたのかな…?なにか傷でもあったのか?)
結局、そのまま声をかけず、クリスはきた道に足を向けた。
兄の威厳は崩壊するが、梔子に頼るしか、なさそうだった。
(そうと決まれば急がないと!)
彼女も自分も忙しい身分であれば、いつまでも同じ場所にはいないはずだからだ。
そして、身を翻しながら、もう一度バンケットを振り返る。
(何だろう?なにか引っ掛かる…)
小魚の骨のように、気にし始めると気になって仕方ないこと。
それでも。
(今は…仕事しないと)
気持ちを切り替えたクリスは、知らなかった。
そんな小さな疑惑など、吹き飛ばすほどの、大きな出来事が待ち受けていることを。




