稚拙な罠
小高い丘の上に、一本だけ大きく枝を広げた木の下。
その木に背中を預けて、男がくつろいでいる。
風になびく茶色の髪に、どこか人好きのする表情。
それは、黒狼王の右腕として恐れられる、ユージィーンその人であった。
その足元には、何故か大きなロープが蛇のようにとぐろを巻いているのだが。
そんなことは気にせず、その後ろでは3頭の馬が、思い思いに草を食んでいる。
実に長閑な風景だ。
ただし、それはここだけの話だった。
「…19…20っと…それにしても、アランはやっぱり、化け物だわー。敵にアイツいたら、全力で逃げるな…」
不謹慎な独り言を漏らしながら、眼下を流れる川を、アーモンドの瞳で愉快そうに眺める。
その視線の先では、激しい戦闘が繰り広げられていた。
調査に訪れたジークたちを、待ち構えるかのように現れた覆面の集団。
あたかも、窃盗団のような成りをしていても、肝心の剣術を隠蔽するまでの知恵は、どうやら無かったようだ。
実に系統だった動きを見せる野盗もどきに、ユージィーンは思わず苦笑する。
「この程度の罠で、どうこうできると思われてんなら、心外だね」
一騎当千の活躍を見せるアランのお陰で、雲か霞のように沸いていた野盗もどきも、そろそろ打ち止めのようだ。
野盗たちは明らかに混乱していた。
それを見届けて、ユージィーンはその場を離れる。
馬たちは一瞬、首を上げたが直ぐに、食事を再開した。
(本能のままっていいよなー)
思わずその自由を羨みながら、足音に気を付けて、さらに上流を目指していく。
徐々にその流れは細くなり、かすかに茶色く濁っているのがわかる。
どうやら、敵は予想以上のアホのようだ。
(やれやれ…これだから三流のやることは…)
予想通りの展開に、ユージィーンは笑いを堪える。
「全く…ちょっと可哀想になっちゃうな…」
言葉と裏腹に、茶色の瞳には欠片の同情もない。
目標は定まった。
あとは、それをいかに活用するかに掛かっていた。
ユージィーンの頬に、酷薄な笑みが刻まれる。
(お仕置きはどれにしようかな…)
そのアーモンドの瞳は、既に勝利の先を見つめていた。
ジークは目の前の敵を叩き伏せながら、赤毛の護衛の姿に眉をしかめていた。
3人に囲まれて、苦戦してるのかと思いきや、華麗な足払いで軒並み振り払っている。
殺すな、と言うジークの命令を受けて、その腰の剣は、未だに鞘のなかに収まったままだ。
体術だけであっさり、相手を翻弄するグランに、ジークは思わず舌打ちする。
「やっぱり、手加減してたな」
自分との打ち込みでは封印していたそれに、思わず不満が漏れる。
ユージィーンが聞いたら、盛大に笑われていただろう。
「これ以上、強くなってどうする?戦でも始める気か?」
強くなりたい、の先にあるものが見える男なら、きっとそういって、止めてくれるはずだ。
どんなにひねくれていようと、ジークにとって、ユージィーンは王としての良心を支える礎であった。
自分がそうであれば、きっと。
(アイリは泣かず、シン=ハ様は生きていたはず…)
どこにも行き着かない思いは、行き着かないが故に、いつまでもたゆたい、自分のなかにとどまり続けている。
「…ィヤアッ!!」
もう何度目かの、その物思いを裂くように、剣が繰り出される。
お手本のような、剣さばきだ。
教わりたてのように、辿々(たどたど)しいそれにジークは思わず、隻眼を細めた。
澄んだ光を放つ瞳は、戸惑いと怒りに揺れていた。
覆面で見えないが、きっと年若い見習い騎士だろう、と当たりをつける。
(どう吹き込まれたか…)
国政を操る残虐王を、退けるための聖戦だとでも持ち上げたか。
ジークはイストーリ伯の少し、腹の出っ張ったカエルのような姿を思い描く。
今頃は安全な自分の巣で、よい報告を酒を片手にまっているだろう醜悪な姿を。
(ユージィーンがキレないといいが…)
彼は、無能な指揮官がピーマンよりも嫌いだった。
因みにピーマン嫌いは筋金入りで、どんなに細かく刻もうとも全てをより分けて食べる、全く必要のないスキルも持っている。
手元を見ずに、緑の宿敵だけをより分けていく神業を思いだし、ジークは我知らず微笑んでいた。
「くっ…!!」
それを挑発ととった相手が、勢いに任せて突っ込んでくる。
(その勢いはよし…だが、まだ青い)
さらりと交わし様に、がら空きの胴をついて、打ち倒す。
「…ぐっ…」
それだけで、相手は籠った息を吐き出して、前のめりに倒れた。
それが最後の一人だった。
傍らに転がる黒装束の男たちを見下ろして、ジークは剣を納めた。
(余りにも…弱すぎるな)
東の辺境を任される伯爵の、騎士団がこの程度とは、到底思えなかった。
ジークはゆっくり近づいてきたグランに、声をかけた。
「帰ったら、もう一戦付き合えよ」
その言葉に赤毛の護衛は、少し驚いたように目を見開いた。
「…はい」
その答えに、鷹揚に頷いて、ジークは倒れ付した敵をみやる。
「予想したより、数が多い…ユージィーンの仕掛けでは、間に合わないだろう。何か他の策があるか?」
ジークの問いかけに、グランはその空色の瞳を巡らせる。
その瞳が、大きく枝を広げた大樹に定まった。
「…多少粗いですが」
短い返答に、ジークの隻眼が三日月を描く。
「ないよりましだ。任せる」
「はい」
即断して、ジークは男たちに向き直った。
その足元で小石が激しく跳ね始める。
川の流れが、一気に狭まる。
ジークの耳は、すでに轟音を聞き付けていた。
「時間がない。急ぐぞ」
その言葉に、弾かれたように、走り出すグランを見送り、ジークは隻眼を険しくした。
(とりあえず、人手がいるな)
先ほどの戦闘でも、少しはマシであった隊長らしき大柄な男に。
「…ッがはっ…!!」
気付けを施した。
苦しい息をはいて、意識を取り戻した男が、自分を蘇生させた男に気づき目を見開く。
「な、何故…?!」
不信に満ちたその瞳を、黙って見つめ返して、ジークは簡潔に伝える。
「命が惜しかったら、手伝え」
「な、なにをだ?!私は何も知らんぞ?!」
尋問と勘違いする相手に、嘆息する。
こう言うときに、自分の目付きの悪さを呪わずにはいられない。
「足元を見ろ。お前も土地の人間なら分かるだろ」
ジークの言葉に、男は今は半分くらいまで狭まった川に気づく。
それは少しずつ茶色く、そして、小さな小枝や石が流れに交じり始めていた。
その様子に、男の血の気が引いていく。
「…鉄砲水…!!」
嵐などで増水した川の上流で、何かの原因で塞き止められた水が、そのつっかえていたものがとれたときに、一気に溢れる現象を鉄砲水という。
その威力をいやと言うほど知り抜いている男は、にわかに覚醒した。
その瞳に敵意を越えたものを感じ、ジークは少し隻眼を和らげる。
「とりあえず、体力のあるものを教えろ。そいつから気付けをする。急ぐぞ」
「はい」
即席の部下となった男を従えて、ジークは走る。
水音はもうすぐそこだ。
(急がねばな…)
わずかばかりの焦りが、ジークの動きを鈍らせた。
頭上に影が差した時には、それはもう迫ってきていた。
「危ない…!」
轟音をと共に、伐採された巨木がジークにのし掛かってくる。
衝撃に大きく地面が揺れ、激しく水が跳ね上がった。
「黒狼王…!」
その言葉に応えはなかった。
―しばらく後、水は全てを洗い流した。




