十四話 距離感
登場人物
元囚人女性、洗脳の使い手 主人公 セーレ
セーレの仲間 マーク、ビィシャア
他
テントから出てきたセーレは、どこか満足そうな顔をしていた。先ほどまで騎士団長と話し合っていたとは思えないほど、落ち着き払った様子だった。
それに気づいたマークとビィシャアが、彼女のそばまで歩み寄った。
「おい、あの騎士団長って……」
「ええ、ちょっと操ったわ」
「やりましたね、さすがです」
こうして、セーレたちは無事に通行許可を得ることができた。
もっとも、正当な交渉によるものではない。セーレが半ば強引に洗脳し、騎士団長に彼らの通行を認めさせたのだった。
騎士団長は、すっかり納得した様子でセーレたちを見送る準備を整えていた。
「それでは、良い旅を」
騎士団員たちは一列に並び、セーレたち一行に手を振りながら見送りの言葉をかけた。
マークはバイクに跨ると、エンジンキーを回した。低いエンジン音が周囲に響き、右手でスロットルを握る。車体がゆっくりと動き出し、砂利を踏みしめながら前進した。
その隣では、ビィシャアも錬成した馬に跨り、バイクと歩調を合わせて進んでいく。
やがて三人の視界に、巨大な橋が姿を現した。
王城へと続くその橋は、赤茶色のレンガを敷き詰めた壮大な建造物だった。全長は何と十キロにも及び、王城へ向かうには、この橋を渡る以外に道はない。橋の両側には頑丈な欄干が設けられ、その遥か下には、ゆったりとした河川が流れていた。
遠くを見渡しても橋の終わりは見えない。まるで地平線の彼方まで続いているかのようだった。
「随分大きな橋だな」
マークは思わず速度を緩め、前方を見つめた。
「私もこんな橋を見るのは初めて」
ビィシャアも驚いた様子で、馬の手綱を握り直した。二人にとって、これほど巨大な橋を目にするのは初めての経験だった。興奮を隠せない様子で、欄干の向こうに広がる景色にも目を向けていた。
一方、セーレはいつの間にか口数が少なくなっていた。
レンガの敷き詰められた道。遠くまで続く橋の景色。それらを眺める深紅の瞳には、二人とは違う感情が浮かんでいた。
懐かしさ。それだけではない。胸の奥に沈んでいた記憶が、ゆっくりと浮かび上がってくるような、何とも言えない複雑な心境だった。
セーレは欄干の向こうへ視線を移し、しばらく黙っていた。
「難しい顔をしているようだが、どうしたんだ?」
マークは彼女の変化に気づき、バイクを走らせながら声をかけた。
「あら、そう。ちょっと懐かしくてね」
「懐かしい?」
「えぇ……あれは確か」
セーレは遠くを見つめたまま、言葉を探すように間を置いた。
その表情には、懐かしい過去を思い出す喜びと、簡単には口にできない何かが入り交じっていた。
「何の話ですか?」
マークとセーレの会話に、ビィシャアが急に割って入った。
興味津々といった様子で二人を見比べる彼女に、セーレは一瞬だけ視線を向けた。
「いや、そうね。また今度ね」
「えっ、気になるんだけど……」
その後もマークは執拗にセーレの過去話を聞こうとしたが、口にすることはなかった。
十分後、セーレたちはバイクと馬を走らせ、長い橋を渡り終えた。
ようやく、レイントピア王城の入口前に到着した。目の前には、河川に囲まれた巨大な居城がそびえ立ち、夕暮れの光を受けた城壁が重厚な影を落としている。遠くから眺めていたときよりも、その威容は一層際立っていた。
「これが、王城か?」
マークはバイクを停め、目の前に広がる光景を見上げた。橋を渡っている間も城の大きさには驚かされていたが、入口まで近づくと、その規模の大きさを改めて思い知らされる。
「えぇ、レイントピア王城。またここに来るなんてね」
セーレは城を見つめたまま、静かに答えた。
その声には、懐かしさだけではない、複雑な感情が滲んでいた。かつてこの場所を訪れたときと、今の自分とでは、何もかもが違う。目の前に広がる景色は変わらないように見えても、彼女の記憶には、ここで過ごした時間や出来事が鮮明に残っていた。
河川の上に築かれた、レイントピア王城。
周囲を水に囲まれ、外部へ通じる入口は、三人が渡ってきたこの橋の道ただ一つ。外敵の侵入を防ぐには、これ以上ないほど堅牢な立地だった。
王城の内部は、四つの区画に分けられている。
商業地区、市民居住区、行政地区、そして王政地区だ。それぞれが異なる役割を担いながら、城内の生活と統治を支えていた。
なかでも王政地区は、ほかの三つの区画を統括する中枢に位置している。政治や軍事をはじめ、国の重要事項を決定する権限が集中しており、その影響力は絶大だった。
マークとビィシャアが初めて目にする王城の姿に圧倒される一方で、セーレはその奥にある王政地区へ視線を向けていた。
ここから先に何が待ち受けているのか。彼女はそれを知っているのか、それとも、かつてとは違う未来が待っているのか。
セーレは胸の内に浮かんだ思いを押し込めるように、静かに息を吐いた。
門兵に入門許可証を見せ、入口が開かれた。
門をくぐったマークが、感想を述べた。
「ここが、王城か、市民の顔色。何か暗くない?」
王城の入門手続き帳票に署名し、商業地区を訪れた。
商業地区といえば、商人達が声を上げ騒がしくしても可笑しくないはずなのだが、どうも空気がどんよりとしている。
もの静かに商売に勤しんでいた。
「活気がないわね」
セーレは、目の前に広がる景色と過去の記憶を見比べているようだった。懐かしさに浸る一方で、今の自分が置かれている状況を確かめるように、時折、遠くへ視線を向けていた。
バイクは低いエンジン音を響かせながら、ゆっくりと橋の上を進んでいく。長い道のりはまだ続いていたが、そろそろ休息を取る必要もあった。
「ねえ、そろそろ今日泊まる宿を探さない?」
セーレの提案に、マークとビィシャアも賛同した。
「そうだな。暗くなる前に決めておきたい」
「私も賛成です。ゆっくり休める場所がいいですね」
三人は周囲に目を配りながら、宿泊できそうな施設を探し始めた。
それから五分ほど走った頃、道路沿いに掲げられた一枚の看板が目に留まった。
そこには、満月亭と記されていた。
宿泊施設らしく、四階建ての建物は赤茶色のレンガを幾重にも積み重ねた造りになっている。正面には宿泊客を迎えるための店舗入り口があり、その周囲には窓が規則正しく並んでいた。建物の外観は年季が入っているものの、手入れは行き届いているようだった。
さらに、建物の左隣には小さな駐車スペースが設けられていた。間口は縦約二・五メートル、横約二メートルほどで、バイク一台を停めるには十分な広さがある。
「ここ、見てみましょうか」
セーレは看板を見上げ、満月亭の建物を眺めた。長旅の疲れもあり、まずは部屋の空き状況を確認したいところだった。
マークはバイクをゆっくりと駐車スペースへ乗り入れ、エンジンを停止させた。
静かになった周囲に、エンジンの余韻だけがわずかに残る。
セーレはサイドカーから降りると、衣服の乱れを軽く整えた。それから、先に店舗入り口へ向かっていたビィシャアのもとへ歩み寄った。
三人は顔を見合わせ、満月亭の扉へと視線を向けた。
「さて、セーレ。中に入りましょうか」
二人に遅れて、マークが後方から駆け寄ってきた。
満月亭の入り口を開けると、目の前にはカウンターがあり、五十歳近い白のエプロンとキャップを被ったお婆さんが受付をしていた。
「いらっしゃいませ。よく来たね。三名宿泊かい」
「ええ、そうよ。二部屋用意できるかしら」
宿屋の主人は、宿泊名簿を見ずに即答した。
「二部屋ね、空きはありますよ」
「部屋は、男一人、女性二人の別部屋で問題ないかしら」
「えぇ、一部屋にベッドが二つ置いてありますので、問題ありません」
セーレは、マークとビィシャアに確認を取り、満月亭の宿泊を決めた。
「それで、一泊いくらかしら」
「三名で九千タークだよ」
「九千ターク、王城にしては随分安いわね」思わず、本音が漏れる。
王城の宿屋相場は、一泊二万ターク。繁忙期となれば五万タークはくだらない。セーレは、その破格の安さに驚き、宿屋の主人に理由を尋ねた。
「それはね、お客さん。近頃、王城では血の洗練と呼ばれる罪人の処刑が行われていてね」
宿屋の主人曰く、王城の行政地区では毎日のように絞首刑、斬首刑の公開処刑が行われており、地方からの来客や旅人も少なくなったとのこと。その影響を受け、宿の値下げをしなければ集客も難しく、デフレ状況だという。
「そう、ありがとう。これ、九千タークね」
「毎度あり」
セーレは、銀の硬貨九枚を宿屋の主人へ手渡した。
宿屋の主人は、代金を受け取ると、代わりに宿泊部屋の鍵を手渡した。それを受け取った三人は、カウンターの右隣にあるエレベーターへ乗り込む。定員は四名。セーレは四階のボタンを押した。
「じゃあ、あなたの鍵は401だから」
マークは、エレベーターの中でセーレから鍵を受け取った。搭乗して一分ほどで四階に到着すると、セーレとビィシャアは402号室の鍵を開けた。
この階には二部屋しかなく、どうやら四階はセーレたちの貸切状態のようだった。
「とりあえず、十七時くらいになったら、夕食を食べに行くから、エレベーター前に集合ね」
現在の時刻は十五時半。夕食まで、まだ一時間半ほどある。
マークはセーレの言葉に頷きながらも、彼女が自分とは別の部屋へ入っていくことに、どこか物足りなさを感じていた。ほんの少し前まで同じ場所を歩き、バイクでもすぐそばにいたというのに、扉一枚を隔てるだけで離れてしまう。
もちろん、同じ部屋で過ごしたいなどと口にするつもりはない。セーレにも一人で休む時間は必要だろうし、彼女の意思を尊重したかった。それでも、もう少し一緒にいられたらと思ってしまう自分がいる。
彼女の横顔を見つめる時間も、何気ない会話を交わす時間も、マークにとってはかけがえのないものだった。セーレが自分をどう思っているのかはわからない。名前を呼んでほしいという願いさえ、まだ叶っていない。それでも、彼女のそばにいたいという気持ちだけは、少しも揺らいでいなかった。
「じゃあ、また後で」
セーレがそう告げると、マークは小さく手を上げて応じた。
「ああ、また後で」
彼女の姿が部屋の中へ消え、ドアが静かに閉じられる。
マークも自分の部屋へ向かい、401号室の鍵を差し込んだ。扉を開ける直前、もう一度だけ隣の402号室へ目を向ける。
夕食まで、あと一時間半。
そう考えると、少し長い時間に思えた。
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