第29話 割れる門
片桐は胸元の無線機を掴み、短く返した。
「こちら片桐。負傷はあるか。短槍と無線は保持しているか」
『負傷なし! 短槍、無線ともに保持しています! ですが背後の亀裂から三体――いえ、四体寄ってきています!』
「敵を追うな。門を背にして身体と無線を守れ。隙間が開いたら自力で走れ」
『了解!』
片桐は無線を切らず、即座に振り返った。
「前衛、上手側の亀裂を警戒。測量、救助用ロープを出せ。隙間ができ次第、向こうへ通して引き込む」
二人の部下が無言で頷き、持ち場へ動く。片桐は手袋を外し、俺と宮坂さんへ視線を向けた。
「宮坂先達、沢渡さん。別隊であることは承知していますが、協力を願えますか」
「もちろんです。門の状況は?」
宮坂さんの問いに、片桐は噛み合った二枚の巨岩の継ぎ目へ素手を当てた。
「新道の岩壁と違い、ここは元から動く構造です。継ぎ目も可動経路も残っている。私の《石組み》は通る。ただし、この閉じる圧力のすべてに逆らい、人一人が通れる幅まで一人で押し広げ、保持することはできません」
俺は岩の合わせ目を見据えた。
二枚の巨岩が左右から押し合い、頭上からは絶え間なく小石が落ちている。閉じる力が働いているが、新道のような継ぎ目のない一枚岩ではない。
「片桐さん、手の幅ほどでも隙間を開けられますか」
「破片を集めて石の楔を組めば、一時的に隙間を作れます。ですが、そこから先へ押し広げる力が足りない」
「その楔の尻に、外から力を足せれば開きますか」
「力があれば動く。ですが、何を当てますか」
「俺が受けた打撃を門へ流します。片桐さんが閉じる力を受けてくれれば、最後の一押しを楔に通せます」
宮坂さんが即座に補足した。
「カゲのその性質は、力を消すものではありません。一度受けて、別の接触点へ流すだけです。打撃を受け損ねれば沢渡さんの身体が潰れます。合わせるのは一度きりです」
片桐は鋭い目で俺の右腕を見つめ、短く息を吐いた。
「未知の性質にすべてを預けることはできません。ですが、私が門の重みを受け、救助索と引き込み役を置けば、あなたの一撃が足りなくても手の幅までは保てる。後衛の位置を動かさず、次の手を残せます。一度だけ試します」
「お願いします」
その時、無線機から激しい金属音が響いた。
『――ザックの紐を裂かれました! 札入れをやられた、二千の紙が一体に持っていかれました!』
「札は追うな! 位置を離れるな!」
片桐が無線へ叫ぶ。
『了解! 門前を維持します!』
下手側の後衛支援は、奪われた札を追わず、短槍を振るって門の前を守っていた。
同時に、俺たちの足元、上手側の岩壁に走る細い亀裂の奥から、がさがさと乾いた布の擦れる音が這い出してきた。
赤褐色の古い山装束の切れ端をまとった紅葉衆が、二体、三体と這い出てくる。狙いは片桐の足元、そして測量担当が構えた救助用ロープだ。
「上手側にも来ます!」
前衛警護が短槍を構えて叫んだ。
宮坂さんが前へ出る。錫杖を右手に握り直し、左手を水平に薙いだ。
【湧く水、集いて奔流と成せ――】
『雨降り』
宮坂さんの澄んだ声が響いた。
濡れた岩肌から一斉に水滴が吹き出し、宮坂さんの足元で太い水流へまとまった。
渦を巻く水の束が、亀裂から飛び出した紅葉衆の二体を横から打ち据え、門から十数メートル下方へ押し流す。前衛警護が間髪を入れず、残る一体の足元へ短槍を突き出して牽制した。
「今です!」
片桐が踏み込み、門の継ぎ目へ両手をかざした。
【散る石は寄れ、伏す土は起きよ】
【継ぎ、支え、道を組め――】
『石組み』
低く重い詠唱とともに、足元の砕けた石と砂利が激しく擦れ合い、吸い寄せられるように門の縦の継ぎ目へ食い込んだ。
石が寄り集まり、硬く噛み合って一つの先細りした石楔を形作る。
ずず、と鈍い地鳴りがして、二枚の巨岩がわずかに押し戻され、手の幅ほどの黒い隙間が縦に開いた。石楔の太く平らな尻が、上手側の壁面に露出する。
片桐の顔が苦痛に歪み、喉からかすれた息が漏れた。閉じる岩盤の圧力が、《石組み》を通して、その全身へかかっている。
「ここまでです! これ以上は開かない!」
片桐の声が濁っていた。
測量担当がすかさず、手の幅の隙間から救助用ロープの先端を下手側へ投げ込む。
『届きました! ハーネスへ通しました!』
後衛支援の声が返る。
俺は息を吸い込んだ。
「カゲ、来い」
足元の白い狼がふっと輪郭をほどき、俺の身体へ吸い込まれた。
皮膚の下を、大山の冷たい清流が巡るような感覚が走る。
俺は左半身を門へ向け、左掌を壁面から突き出た石楔の尻へ真っ直ぐ当てた。指先は隙間へ入れない。
右半身を外へ開き、右前腕を盾のように構えて重心を落とした。
宮坂さんの水流を逃れた紅葉衆の一体が、測量担当の持つロープを断ち切ろうと、地を這って突進してきた。赤褐色の布をはためかせ、鋭い鉤爪を横殴りに振るう。
俺は逃げず、その軌道へ右前腕を差し入れた。
がつん、と頭蓋まで響く衝撃が右腕を叩く。
痛みが走ると同時に、右前腕の表面へ黒い水路の細い線が浮かび上がった。
線は右腕を駆け上がり、右肩を抜け、背中を通り、左腕を経て、石楔へ押し当てた左掌まで一気に走る。
身体を通った衝撃が、左掌から石楔の尻へ抜けた。
閉じる力の大半は、片桐の《石組み》が受けている。岩板は元の可動経路に沿ってわずかに戻っていた。足りないのは、あと一押しだけだ。そこへ、紅葉衆の一撃が楔を打ち込む力になって入る。
ぎり、と石楔が継ぎ目の奥へめり込み、その斜面が巨岩を左右へ押し分けた。
ごごご……と鈍い音を立て、縦の隙間が人一人の通れる幅まで広がった。
右肩から背中にかけて、引き裂かれるような鈍痛が走った。力を流し切れず、骨と筋肉が軋む。だが、足場は崩れていない。
横で門を支える片桐が目を見張った。黒い線が俺の身体を走り、それから門が動く順序を、その目で捉えていた。
「引け!」
片桐が濁った声で叫んだ。
片桐が《石組み》で広がった幅を支え、前衛警護と測量担当がロープを一気に手繰り寄せる。
下手側から後衛支援が、背後の紅葉衆を振り切って低い姿勢で飛び込んできた。ロープを補助に地面を蹴り、閉じ始める隙間を滑り抜ける。
「通過! 支えを入れろ!」
片桐はまだ手を引かなかった。
足元の割れ石が浮き、二つの短い石束へ組み上がる。前衛警護と測量担当がそれを継ぎ目の上下へ押し込み、片桐が石同士を噛み合わせた。
「離れろ!」
全員が岩から退いたのを見て、片桐が験を止めた。
主楔は圧力に耐え切れず砕けた。門は左右から狭まり、ずしんと二つの石束へ食い止められる。残った隙間は手の幅ほどしかないが、二枚の岩は完全には噛み合っていなかった。
上手側に残った紅葉衆は、宮坂さんの錫杖と前衛警護の短槍に間合いを外され、装備へ近づけないと知ると岩の亀裂へ退いていった。
旧道に、荒い息遣いだけが残された。
カゲが俺の身体から抜け、足元で白い狼の姿へ戻る。
「……戸数えを」
宮坂さんの促しに、地面へ膝をついていた後衛支援が立ち上がり、並んだ人間を指さした。
「前衛、測量、隊長、宮坂先達、沢渡さん……私。通過後、六。全員揃いました」
直前に分断を告げた作法が、今度は救出の完了を証明していた。
「損耗を確認します」
片桐が喉を押さえながら言った。声は明らかに掠れている。
後衛支援が息を整えて報告した。
「負傷はありません。門に入れた支柱二本と楔を失いました。それと、札入れから二千の紙が一枚奪われました」
「こちらは、私が《石組み》で声を削り、宮坂先達が《雨降り》を一回。沢渡さんは」
「右肩と背中を少し痛めました。ですが腕は動きます。歩行に支障はありません」
重傷者も、歩けない者もいなかった。
片桐は手の幅で止まった継ぎ目へ顔を寄せ、上下の石束を順に確かめた。
「今すぐ人が通れる幅ではありませんが、可動経路と支点は残しました。帰路は私が再度、《石組み》で開きます。戻った時に、ずれが進んでいないか確かめて補修します」
片桐が立ち上がり、俺を真っ直ぐ見つめた。
「沢渡さん。……今のは、紅葉衆の力を門へ通したのですね」
「カゲの二つ目の性質です。受けた力を消さず、身体を通して別の接触点へ流します」
「力を蓄積せず、即座に別の対象へ流す。私の《石組み》がなければ門は動かず、あなたの力がなければ幅は開かなかった。現場の判断としては見事です」
片桐は一度言葉を切った。
「ですが、これは公的に登録されていない作用です。事後、庁へ報告書を上げます」
「分かっています」
咎める口調ではなく、職務としての確認だった。
宮坂さんが二人の間に立ち、岩壁の上手側を見上げた。
「片桐さん、どうしますか。退路は開き直せて、歩けない人はいません」
「この狭窄部に留まる方が危険です。資源庁班は次の岩戸の手前まで移動します。そこで門の状態と全員の損耗を照らし合わせ、調査を続けるか撤退するか判断します」
「私たちも、そこまで進みます」
宮坂さんの返答に、俺も頷いた。
痛む右肩の奥で熱を確かめながら、俺たちは隊列を組み直し、旧参詣路の奥へ歩き出した。




