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第5話:英雄の絶望、世界の拒絶

「ガガガガガオオオオオオオオオ!!!」

 鼓膜を震わせる咆哮とともに、断崖の頂に猛烈な突風が吹き荒れた。

 かつて小さな鉄の箱だったものは、今や全高3メートルを超える、黒い霧の肉体を持った『異形の魔獣』へと変貌していた。その胸の真ん中には、パクリと開いた蓋の隙間から、あの銀の指輪が禍々しい赤紫色の光に呑まれながら浮いている。

『おいおいおい! 冗談だろ、これが「伝説の英雄」の正体かよ!?』

 クロが悲鳴のような声を上げながら、僕の前に立ちはだかった。

 彼の影の体が急速に膨れ上がり、何十本もの太い触手となって魔獣の足を止めようと地面から伸びる。

「違うんだ、クロ! これはアルフレッドさん自身の呪いじゃない……! 魔王の呪毒に侵され、暗闇で孤独に死んでいった彼の『絶望』が、百年の間に膨れ上がっちゃったんだ!」

 魔獣が太い腕を横一文字に振るった。

 それだけで、クロが放った影の触手が一瞬で霧散する。凄まじい質量と魔力の奔流。戦う力を持たない僕なら、掠っただけで命はない。

『グハッ……! クソ、出力が違いすぎる! ルカ、俺が時間を稼ぐ! お前は今すぐ崖の下へ走れ!』

「ダメだ、クロを置いて一人でなんて逃げられない!」

『お前が死んだら、誰がこの落とし物を「返却」するんだよ! お前は役人だろ、仕事を全うしやがれ!』

 クロの叫び。彼はボロボロになりながらも、再び自身の影を編み上げ、巨大な盾となって魔獣の突進を受け止めた。ズズズ、とクロの体が削られ、僕の足元まで押し込まれる。

 魔獣の赤い眼が、じっと僕を捉えた。

 いや、僕を見ているんじゃない。僕の後ろにある、アリアさんの面影を残すこの世界そのものを、激しい憎悪の目で見つめているんだ。

『ニクイ……、ナゼ、俺ダケガ……。アリア、アリア……!』

 魔獣の口から漏れ出るのは、地獄の底から響くようなアルフレッドの歪んだ声。

 彼はアリアに会いたい一心で、けれどその愛が強すぎるあまり、自分を置き去りにした世界すべてを破壊しようとしている。

「アルフレッドさん……!」

 僕は恐怖で震える足を叱咤し、クロの盾の後ろから一歩前へ出た。

 右目の魔眼は、使いすぎによる負荷で視界が真っ赤に染まっている。激痛で涙が止まらない。それでも、僕はその目を逸らさなかった。

「ルカ、何をする気だ! 下がれ!」

「クロ、頼みがある。僕を、あいつの胸の真ん中まで――あの指輪のところまで飛ばして!」

『はあ!? 正気かよ! あんな呪いの塊に触れたら、お前の魂ごと消し飛ばされるぞ!』

「触れるだけじゃダメだ。あの指輪に残されている、アリアさんの『本当の記憶』をあの人に見せなきゃいけないんだ。僕の魔眼なら、それができる!」

 さっきアリアさんの墓前で見た記憶。彼女はただ待っていただけじゃない。彼女が遺した想いは、アルフレッドの絶望を包み込める唯一の光のはずだ。

 魔獣が大きく拳を振り上げる。次の一撃が来れば、クロの盾は完全に破壊され、僕たちは二人まとめて圧殺されるだろう。残されたチャンスは、今、この瞬間しかない。

 クロは僕の引き裂かれそうな目を見て、短く、獰猛に笑った。

『チッ……。お前がそこまで言うなら、付き合ってやるよ! 死ぬなよ、ルカ!』

 クロの影が僕の体を包み込み、巨大なパチンコのようにしなった。

 次の瞬間、ドン! と空気が弾ける音とともに、僕の体は宙へと打ち出された。

 眼前に迫る、黒い霧の巨躯と、牙を剥く大顎。

 吹き荒れる呪いの暴風が僕の皮膚を切り裂き、制服が血に染まっていく。意識が飛びそうになるほどの激痛。

「うおおおおおおおおお!!」

 僕は空中で必死に手を伸ばした。

 狙うは、魔獣の胸の奥で赤黒く光る、あの鉄の小箱の残骸――そして、その中に浮かぶ銀の指輪。

『消エロ……、全ベ、消エ失セロ……!!』

 魔獣の爪が僕の胸を貫こうと迫る。それよりも早く、僕の右手が、血にまみれた僕の指先が、銀の指輪へと触れた。

「お願い……、届いてくれええええ!!」

 僕は右目の魔眼の、最後のリミッターを完全に解除した。

 物質の記憶を覗くだけじゃない。僕の記憶を、アリアの記憶を、この物質を通じてアルフレッドの魂へと『逆流』させる。

「『追憶レミニセンス』――最大展開フルドライブ!」

 刹那、僕と魔獣の体が、眩い白光に包み込まれた。

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