第6話:時を越えた「おかえり」
白光のなか、僕の意識はアルフレッドの深い精神世界へと溶け込んでいた。
そこは、果てのない暗闇と、凍てつくような底冷えのする空間。
中心には、ボロボロの甲冑を纏った一人の男が、膝を抱えて蹲っていた。伝説の英雄アルフレッド。彼の体からは、どす黒い怨念の霧が絶え間なく溢れ出している。
『……誰も来ない。誰も俺を助けてくれない。世界を救ったのに、俺はここで一人で死ぬんだ』
彼の魂が、百年前の絶望を何度も何度も反芻し、呪いを紡ぎ続けている。
「アルフレッドさん」
僕は血を流す右目を押さえながら、暗闇の中を歩み寄った。
『……誰だ。お前も俺を嘲笑いに来たのか? 光の当たる世界で呑気に生きている奴らが、俺の何を知っている!』
「僕は何も知りません。あなたがどれほど恐ろしい恐怖と戦い、どれほど寂しい思いで息絶えたのか、本当の意味で理解することはできない」
僕は彼の目の前で膝をつき、両手で「銀の指輪」を掲げた。
「でも、これだけは分かります。あなたが闇に呑まれていくその瞬間まで、地上であなたを想い、待ち続けた人がいたんです。……見てください。これが、アリアさんの本当の記憶です」
僕は魔眼を通じて、僕がアリアの墓前で受け取った「彼女の最期の瞬間の記憶」を、アルフレッドの心へと直接流れ込ませた。
暗闇の世界に、ぽっと温かい光の映像が浮かび上がる。
それは、教会のベッドで横たわる、老いたアリアの姿だった。彼女の枕元には、開かない鉄の小箱が置かれている。彼女の周囲には誰もいない。けれど、その表情は不思議なほど穏やかだった。
『アルフレッド……。結局、この箱は開かないままでした。でもね、寂しくはなかったんですよ』
老いたアリアは、震える手で優しく小箱を撫でた。
『あなたがこの箱に、どれほど強力な封印をかけたか。それは、あなたが「私を絶対に巻き込みたくない」と、命がけで私を守ろうとしてくれた証拠だから。この箱の重みは、あなたの愛の重さそのものでした。……だから、恨んでなんていません。私は、あなたに愛されて、世界で一番幸せな聖女でしたよ』
アリアはゆっくりと目を閉じる。その最期の瞬間に、彼女の唇がかすかに動いた。
『約束の続きは、あちらで聞かせてくださいね。……お疲れ様、アルフレッド』
光の映像が、静かに消えていく。
蹲っていたアルフレッドが、ゆっくりと顔を上げた。
彼の目から、大粒の涙が溢れ、床に落ちていく。彼の体を覆っていたどす黒い霧が、嘘のように、柔らかな黄金色の光へと洗われていく。
『アリア……。君は、俺を待っていてくれたのか。呪わずに、ただ、愛してくれていたのか……』
英雄は立ち上がり、僕の手から銀の指輪を優しく受け取った。
その瞬間、彼の甲冑はかつての美しい白銀の輝きを取り戻し、その表情には、歴史書に描かれた通りの、優しく勇敢な微笑みが浮かんでいた。
『ありがとう、若き管理官。君が繋いでくれたおかげで、俺は最後の最後で、本当の自分を取り戻せた。……さあ、俺を彼女の元へ還してくれ』
アルフレッドの姿が、きらきらと光るマナの粒子となって霧散していく。
「――ハッ!」
気がつくと、僕は最果ての断崖の地面に倒れ込んでいた。
空を覆っていた不気味な黒い霧は完全に消え去り、そこには満天の星空が広がっていた。激しい風も止み、世界は静寂に包まれている。
『おい! ルカ! 生きてるか!?』
焦った声とともに、クロが僕の体を起こしてくれた。彼の影の体もすっかり小さくなり、いつものサイズに戻っている。
「……うん、なんとか生きてるよ。クロ、ありがとう」
僕はふらつく体を起こし、目の前の地面を見た。
そこには、巨大な魔獣の姿はどこにもなかった。ただ、かつて鉄の小箱だった、錆のすっかり落ちた美しい銀色の小箱が、静かに佇んでいる。
蓋は開いたままで、中には一対の銀の指輪が、星空の光を浴びてきらきらと輝いていた。
金属の足は、もう生えていない。
未練が昇華され、この子はただの「美しい落とし物」へと戻ったのだ。
「ガチ……」
そんな幻聴が聞こえた気がして、僕は微笑んだ。
僕は指輪の入った小箱を大切に抱え上げ、隣に咲く一輪の『星見草』をそっと摘み取って、箱の中に添えた。
「これでお仕事完了だね。王都に帰ったら、ガイさんに美味しいお酒でも奢ってもらおう」
『へっ、当然だな。今回の出張は命がけだったんだから、特別ボーナスを要求してやるぜ』
クロが僕の影の中で嬉しそうに跳ねた。
数日後。
王都へ戻る途中、僕たちは再び『オルフェの街』の廃教会へ立ち寄った。
アリアさんの墓碑の前に、僕はあの銀の小箱を、開いた状態のまま、そっと供えた。
二本の指輪と、一輪の星見草。
百年の時を越えて、ようやく届いた、英雄からのプロポーズ。
「お預かりしていた落とし物、確かに返却いたしました」
僕が深く一礼して振り返ったとき、教会の崩れた天井から、優しい風が吹き抜けた。
それはまるで、百年前の恋人たちが手を取り合い、笑顔で「おかえり」と言い合っているかのような、とても温かい風だった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!『落とし物、お預かりします ――世界樹の麓の「未返却物」管理官――』は、これにて完結となります。




