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第4話:百年の鍵、開かれる封印

 どす黒い霧をかき分け、クロの先導で死に物狂いで坂を登りきると、突如として視界が開けた。

 そこは、天を突くような巨岩が切り立つ『最果ての断崖』の頂上だった。

 眼下には雲海が広がり、激しい風が吹き荒れている。不思議なことに、あれほど僕たちを苦しめた黒い霧は、この崖の頂の手前で何えない壁に阻まれるようにして、立ち入ることができずにいた。

『おい、見ろよルカ! あんなところに、本当に咲いてやがるぜ』

 クロが驚きに声を弾ませた。

 荒涼とした岩肌のただ一つ、ぽつんと残された小さな土の塊から、一輪の美しい花が咲き誇っていた。

 それは、夜空を切り取ったかのような深い藍色の花びらを持ち、自ら淡い光を放つ幻想的な花――『星見草ほしみぐさ』だった。百年前、この不毛の地がまだ緑豊かな丘だった頃に自生していた、アルフレッドとアリアの出会いの花だ。

「ガチッ、ガチガチガチ!!」

 僕の腕の中で、小箱がこれまでにないほど激しく歓喜の音を鳴らした。

 腕をすり抜けて地面に着地するや否や、短い金属の足をめいっぱい動かして、星見草の元へと駆けていく。

「あ、待って! 急に近づくと危ないよ!」

 僕が止めるのも聞かず、小箱は星見草の根元へとたどり着き、その美しい花びらに、錆びついた鉄の体をそっと擦り寄せた。

 その瞬間――世界が息を呑んだ。

 星見草から溢れ出した眩いばかりの黄金色の光が、小箱の表面を包み込んでいく。

 小箱に刻まれていた複雑な幾何学模様の魔法陣が、カチ、カチ、と小気味よい音を立てながら、まるでパズルが解けるように次々と反転し、光の粒子となって霧散していった。

 百年間、大陸最高峰の魔導士たちでさえ傷一つつけられなかった『英雄の封印』が、一輪の可憐な花の魔力によって、完全に無効化されたのだ。

「……解けたんだ。条件開錠の術式が」

 カチャリ、と重厚な金属の音が響く。

 小箱の正面についていた頑丈な錠前が外れ、蓋がゆっくりと、自ら上へと開いていった。

 僕とクロは、固唾を呑んでその様子を見守った。

 百年前の英雄が、世界の命運を賭けた戦いの直前に、愛する聖女へ遺した本当の気持ち。その中身が、今、ついに明らかになる。

 眩しい光が収まり、小箱の中から現れたのは――一対の、美しい銀の指輪だった。

 世界樹の枝を模した精巧な彫刻が施され、中央には小さな魔石が埋め込まれている。

「やっぱり……プロポーズの指輪だったんだ」

 僕は胸が熱くなるのを感じた。

 もし歴史が違っていたら、アルフレッドは戦いから無事に戻り、この指輪をアリアの指にはめていたはずだった。二人は結ばれ、幸せな家庭を築いていたはずだった。

「よかったね。やっと開いたよ。これをアリアさんの……」

 僕が指輪に手を伸ばそうとした、その時だった。

 ゴボリ、と不気味な音が、開いた小箱の底から聞こえた。

 指輪が置かれたその奥、目に見えない次元の裂け目から、どす黒い、ヘドロのようなマナの濁流が、凄まじい勢いで噴き出し始めたのだ。

『うおっ!? なんだこれ、マナが……いや、こいつは「呪い」だ! ルカ、離れろ!!』

 クロが叫び、影の触手で僕の体を後ろへと引き剥がす。

「ガ、ガチ……ガチ、ガガガガガガガ!!!」

 小箱が苦しそうに身悶えを始めた。生えていた金属の足が異形に変形し、鋭い爪を持つ黒い獣の足へと変わっていく。小箱の内部から溢れ出す黒い霧は、先ほど街道で見たものの数十倍の密度を誇り、またたく間に最果ての断崖の空を、不気味な紫黒色へと染め上げていく。

「どうして……!? 封印は解けたはずなのに、なんで暴走するんだよ!?」

 僕は風圧に耐えながら叫んだ。

 右目の奥が、千切れるように熱い。僕は眼帯を投げ捨て、激痛に耐えながら、暴走する小箱の奥にある『真実の記憶』を、魔眼で限界まで覗き込んだ。

「『追憶レミニセンス』!!」

 脳内に流れ込んできたのは、最初で見た記憶の、さらにその「続き」――歴史の闇に葬られた、英雄アルフレッドの本当の最期だった。

    



 暗い、深い、地の底の決戦場。

 魔王の心臓を突き刺したアルフレッドは、勝利の歓喜に沸く仲間たちの陰で、致命傷を負っていた。魔王の呪いが彼の肉体を侵食し、意識が遠のいていく。

『アルフレッド、すまない……! お前を連れて帰る術がない……!』

『いいんだ、みんな……。世界は、救われた。アリア……待っててくれ、俺は……』

 仲間たちが去り、崩落する地下深くで、一人取り残された英雄。

 死の恐怖と、魔王の呪毒が彼の精神を汚染していく。暗闇の中で何日も、何週間も、息絶えることも許されず腐り果てていく肉体の中で、彼の純粋だった愛は、いつしか恐ろしい怨念へと変貌していった。

『なぜだ……なぜ俺だけが、こんな場所で一人で死ななければならない……?』

『世界を救った代償が、これなのか……?』

『アリア……会いたい……。なぜ助けに来てくれない……?』

『憎い……世界が憎い……俺を置き去りにした全てが、憎い……!!!』

 英雄の、世界への凄まじい怨嗟。

 その巨大な負の感情が、地上に遺してきた「アリアへの贈り物」へと、時空を超えてリンクしてしまったのだ。

 アリアに遺した小箱は、アルフレッドの愛の結晶であると同時に、彼が死の間際に生み出してしまった、世界を滅ぼしかねない『呪いの核』でもあったのだ。

「ガガガガガガガガオオオオオオオ!!!」

 現実に戻った僕の目の前で、小箱は完全に巨大な『魔獣』へと姿を変えていた。

 鉄の箱の口は凶悪な牙を持つ大顎へと裂け、周囲の怨念を吸い上げて巨大化していく。

 百年の時を経て封印が解かれたことで、中に閉じ込められていた英雄の「最後の絶望」が、ついにこの世界へと解き放たれてしまったのだ。

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